2018年10月07日

画期的ながん治療薬?2

 小野薬品のオプジーボについては画期的な治療薬でもなんでもない旨を書いてきた。
 マスコミなどは、あたかも、抗がん剤にとって代わるような報道ぶりだが、残念ながら、オプジーボは抗がん剤を投与した後でなければ効果はない。
 そしてその効果も、投与した患者の2割程度にしか現れない。
 これのどこが、画期的か?報道機関のおめでたさにはあきれる限りだ。
 抗がん剤の難点は、副作用が大きい点だ。副作用が大きいということは、抗がん剤は毒に他ならないことを意味する。
 アルコールやたばこは、普通に購入できる。普通に購入できない抗がん剤はその毒性ゆえだ。
 毒だから、匙加減が必要である。だが、その匙加減、さらには抗がん剤は再発ではなく転移に用いる薬剤だということがわかっていない医者が多すぎる。その割合は9割ほどと推測される。
 この9割は、いままで使ってきた言葉でいえば、「ぼ~と生きているんじゃね~よ」と5歳児のチコちゃんに叱られるがん治療に携わっている医者の割合だ。
 抗がん剤治療にとって代わる治療は、オプジーボではなく、小林久隆医師の近赤外光線免疫療法だ。
 また児玉龍彦教授の研究は、抗がん剤の毒性を大幅に削減するものだ。
 繰り返しになるが、オブジーボではなく、画期的な治療は小林久隆医師や児玉龍彦教授が開発したものだ。
 本庶何某は、応用化学ではなく基礎化学に補助金を多く出すべきだと、自身の立場のみから発言している。
 そもそも、補助金に頼らなければ、できないような研究は研究者の自己満足にすぎない。やるなら趣味でうやってくれ。
 本庶何某の思考には、がん患者の立場などまったく考慮しているようには見えない。
 オプジーボは本庶何某が発見したPD-L1を基に開発されたものである。
 同じPD-L1を基にアメリカのメルク社が開発したキイトルーダは、抗がん剤使用後でなくても、効果があり、適用されるがんもオプジーボの比ではない。すでに国内での臨床も始まっている。
 応用化学の結果である。そしてがん患者にとっては、PD-L1の発見、さらにはオプジーボの開発より、はるかにキイトルーダの開発は朗報である。
 何に使えるのかもわからない基礎化学に税金を原資とする補助金を投入するなら、納税者の立場を考えれば、応用化学にこそ、税金を原資とする補助金を投入すべきだ。
 本庶何某は、京都大学勤務といういわば税金で食っていた公務員であり、納税者の立場が理解できないようなおめでたい御仁なのだ。
 基礎化学の研究で直接恩恵を受けるのは大企業である。利益を受けるところがそれ相応の負担するのが原則だ。本庶何某も税金を原資にする補助金をねだるより、直接恩恵を受ける大企業に行って頭を下げ、研究費を捻出することを考えるべきであろうし、それを若い研究者にも教えるべきである。 
 そしてマスコミもPD-L1を基にしたがん治療薬を画期的な治療薬として報道するなら、小野薬品のオプジーボではなく、キイトルーダを挙げるべきだ。加えて応用化学に力を入れていれば、アメリカに先を越されることもなかったことも。
 本庶何某に一言いわせてもらえば、ネーチャーやサイエンス誌に論文が載ることがゴールではないと学生を前にいったそうだが、何に使えるかもわからないPD-L1を発見したことはゴールではない。まして税金を原資とする補助金を受けているのだから。PD-L1を何に活用でき、そしてPD-L1の発見に基づく治療薬が皆に恩恵を受けることが出来る価格まで下げることがゴールであると。本庶何某もこんなことがわからないようでは、「ぼ~と生きてるんじゃね~よ」と、5歳児のチコちゃんに叱られる。
 
  


Posted by 柴田晴廣 at 21:29Comments(0)雑談

2018年10月07日

前回の続き(『牛窪考(増補改訂版)』2)

 『牛窪考(増補版)』を改訂し、『牛窪考(増補改訂版)』にグレードアップさせようとした動機については、前回書いた通りだ。
 今回は、もう少し具体的にどういったことを書き足したかを話したいと思う。

 『牛窪考(増補版)』の拾遺一及びその補遺は、祭礼についての論考である。
 祭礼の見学調査でよく耳にする言葉に「昔からこうだった」がある。
 ところが、この「昔からこうだった」は、話者の個人的経験に基づくものがほとんどで、吉本隆明著『共同幻想論』でいえば、「自己幻想」に過ぎない。
 民俗調査などでは、こうした多くの「自己幻想」を伝承と称して、それに検討を加えることもなく、単にそれを収集収録することを目的としている場合がほとんどだ。
 こんなことでは、民俗芸能等の本質に迫ることは出来るはずもない。
 改訂版では、伝承とは何かを明確にするとともに、『共同幻想論』の「自己幻想」、「対幻想」、「共同幻想」という概念を駆使し、祭礼組織の変容と祭礼自体の変容についても言及した。
 この祭礼組織の変容については、本来、がん患者の命を救うべき、がん治療の標準ガイドラインが、結果的には、落とさなくてもいい、多くのがん患者の命を奪っていることに鑑み、祭礼を存続させるための組織の変容が結果的には、祭礼組織の崩壊に繋がり、祭礼自体の存続を危うくしているという点を強調して書いた。

 ちなみに私に余命半年と宣告した豊川市民病院消化器外科の加藤瑛の言説は、私への病状の説明ではなく、「自己幻想」を連ねていたに過ぎない(大笑)。消化器外科の部長の寺西太の余命30月という言説は、「自己幻想」ではないものの、疑似科学に基づいたがん治療に携わる医師の多くが抱く「共同幻想」という、幻想の領域の話なのである(笑)。

 この加藤瑛のように、学術的な根拠(もっともがん治療に関しては、その基礎となる標準ガイドラインなるものが当たらぬも八卦、当たらぬも八卦の疑似科学(笑)であり、ガイドラインを金科玉条のごとく後生大事にしていては学術的な説明など出来るはずもないが)もない言説が蔓延るのか?
 ひとえにそれは、広い視野を持った学際的な見地の欠如が大きく影響しているのだろう。特に医学の世界は、必要以上に分野が細分化されており、加えて、門外漢の外科医が自己の医は算術の思惑から、内科的領域である化学療法に手を出したことにより、疑似科学が大手を振って、まかり通ることになる。
 これは、がん治療の現場に限られたことではなく、上記のように民俗の世界でも同様の現象がある。
 こうした学際的な視野の欠如の弊害を種々の例を引いて指摘した。

 拾遺一の補遺二は、「笹踊」についての論考であるが、今春、塚田哲史から『東三河地方の笹踊りと笹踊り歌』なるタイトルの本が送られて来た。
 この本の「はじめに」には、「極めて主観的、恣意的な観点を通して見ようと志した笹踊りの現状報告」と塚田哲史の見解が書いてある。
 簡単にいえば、この本は論考といえるものではなく、これまた塚田哲史の「自己幻想」が綴られているに過ぎないものなのだ。
 そうした自己幻想が綴られているに過ぎないものなのだが、新聞記者の質の低下からか、中日新聞等で、この本が紹介されていた。
 『牛窪考(増補版)』にも、塚田哲史の言説の出鱈目さは指摘してあるが、さらに、『東三河地方の笹踊りと笹踊り歌』に書かれている出鱈目を追加した。
 加えておけば、塚田哲史の言説は典型的な疑似科学といえるものだ。

 次に拾遺一の補遺の中の補遺三で採り上げた「隠れ太鼓」。この「隠れ太鼓」という山車芸能の考察に当たっては、京都祇園祭の吉符入りに、長刀鉾の会所で行われる「太平の舞」、国の重要無形民俗文化財に指定されている遠州森の山名天王社の舞楽の中の八撥、さらには、中世の車樂上で行われていた鞨鼓稚児舞との関係から、吉田藩士今切關所番の中山美石が幕府祐筆・屋代弘賢に回答した『諸國風俗問状答』の城内天王の祇園祭の車樂についての記載を踏まえ、その成立過程を検証した。それとともに、「笹踊」の覆面についてもこの成立過程の流れの中での影響にも触れた。
 また世界文化遺産に指定された「山・鉾・屋台行事」の構成される行司の選定基準の不審から、改めて、山・鉾・屋台の定義から、その成立から様々な形態への変化について検証するとともに、現行の山車や屋台の研究書の疑問を挙げた。
 文化庁文化財部伝統文化課が作成した「山・鉾・屋台行事」についてのユネスコ(の無形文化遺産登録の提案も、当たるも八卦、当たらぬも八卦の現行のがん治療の標準ガイドラインと同根といえる。

 そして拾遺五の東三河の徐福伝説についての論考では、伝説、伝承の定義と、伝説、伝承と史実についての違いから説いたのは、増補版以来のものであるが、徐福伝承という疑似科学を史実と誤解する者がなぜに多いのかを、広い視野から例を挙げ、疑似科学にはまった理由を解析した。
 自分の頭で少し考えれば、こんな疑似科学に陥るはずもないことだが、がん治療に携わる医師の多くが、現行のがん治療の標準ガイドラインという疑似科学に引っかかっていることからすれば、当然のことかもしれない。
 がん治療に携わる医師の多くが簡単に疑似科学を信じてしまっていることを知った今回の経験を活かして徐福伝承という幻想を史実と誤解するに至る経緯を説明できたように思う。
 値段ばかり高額で、大した効果もないオプジーボを画期的な治療薬と報道している報道機関も、同様だ。こんな高額で対して効きもしない治療薬がどういうものか自分の頭で考えたことがあるのか甚だ疑問だ。疑似科学にはまる多くのがん治療に携わる医師と、オプジーボを画期的な治療薬と報道する報道関係者も根は同じだ。

 拾遺五の補遺では、明治政府の神仏分離という文化の破壊により、ぴんと来なくなっている神仏混淆を再現し、その神宮寺の本尊等から垂迹神を推定し、本来の祭神当を明らかにするとともに、それに基づく民衆の信仰や為政者の思惑をあぶり出し、農本主義から外れた民衆の実態を明らかにする点などを書き足した。

 以上、大雑把ではあるが、改訂版に書き足した内容の説明である。
  


Posted by 柴田晴廣 at 12:29Comments(0)牛窪考(増補版)

2018年10月06日

前回の続き(『牛窪考(増補改訂版)』1)

 確認のため、記して置けば、自身の見落としを誤魔化そうとして、ほとんどがんについての知識がないことが露呈した当時豊川市民病院消化器外科勤務の加藤瑛が私に余命宣告をしたのが2017年7月19日。そして加藤の説明が腑に落ちないことから、標準治療ガイドラインが疑似科学だと判明したのが、8月の確か3日ごろ。
 余命宣告というのは、さすがにいろいろ考えさせられるものですが、それ以上に、加藤の出鱈目な説明から、余命より、がんの発生、転移、再発のメカニズムに私の興味は映っておりましたし、余りにもお粗末な説明から、余命宣告自体に首を傾げるところがありました。
 これは寺西太の余命30月についても、同様で、寺西がしきりに口にしていたエビデンス。30月のエビデンスは、既に私の頭の中では当たるも八卦当たらぬも八卦の疑似科学と判定していたがん治療の標準ガイドラインですから、実態は、エビデンスもくそもないものです。
 とはいいながらも、余命宣告というのは、人生は有限という当たり前の事実を改めて見つめ直す機会になります。
 時間を意識するといえば、たとえば書きたいことはまだ山ほどあるのに、終了時間が迫った試験などでしょうか。駅伝を見ていて、繰り上げスタートまで微妙な残り時間で、チームメートにタスキを渡すべき必死に走っている選手なども確実に時間を意識していると思います。
 こうした時間を意識しているときというのは、おうおうに焦りを伴うものです。
 時間を意識して思ったのは、がん治療に携わっている多くの医師のように、ぼ~と生きていては、いけないこと。改めて時間を有意義に使おうと思いました。
 それとともに、受験テクニックに長けており、そのテクニックに基づく偏差値とやらは、そこそこ高い、そこそこの頭脳を持っている者が、なぜに現行のがん治療ガイドラインのような疑似科学にはまり込むのか。
 このことについていろいろと考えましたし、その経験を『牛窪考(増補版)』に活かせないかということも、思うようになりました。
 そしてその前に、一度自分の考え等を整理しようと思って立ち上げたのが、このブログです。
 そして、『穂国幻史考の概要』、『牛窪考増補改訂版の概要』を書き連ね、現在、それは電子出版物になっております。
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/newpage9.htm
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/newpage9.htm

 そして、その『牛窪考(増補改訂版)』。8月時点の目次は以下のようになっています(8あg辻点ですから、現在はもっと増えております)。

  牛窪考(増補改訂版) 〈目次〉

稲垣正浩 オンデマンド出版による『牛窪考』(柴田晴廣著)、刊行。電子版も。 13
はしがき 16
 第一章 牛久保の地名由来譚と牧野氏 42
 第二章 古名・常寒 54
 第三章 若宮殿建立と常荒 62
 第四章 牧野氏の出自 71
 第五章 牛窪と八尻 77
 (拾遺一) 「若葉祭(うなごうじ祭)」の起源と豊川流域の「笹踊」 83
   「うなごうじ祭」は「蛆虫祭」ではない(100) 豊川流域の「笹踊」と朝鮮通信使(157) 「若葉祭(うなごうじ祭)」の起源と寶永の大地震(163)
  (補遺一)「うなごうじ祭」名称考 171
    平田派国学者・羽田野敬雄の牛久保観(171)
     反骨を貫く若宮殿の縁起(173) 国学の核心は中華思想にあり(175) わが国本来の神祭とは乖離した国学思想(193) 上若の唄う「梅ヶ枝節」も異国起源(226) 遠州灘近海にも多くの外国船が航行(230)
    田中緑紅主宰『鄕土趣味』の功罪(251)
     地面に寝転ぶ姿態からの連想には疑問(256) 稻垣豆人著『三河引馬神社の奇祭』の本当の著作者は誰か(267) 引馬天王社の「出し豆腐」(280) 稻垣豆人が「出し豆腐」以上に興味を示した「七福神踊」(304) 『牛久保私談』『東三河に於ける御神事笹踊』等の地元近時代資料の検討(357)
    大正一〇年の「若葉祭」と祭礼組織の変容(375)
     『下中祭礼青年記録集』が記す「祭礼紛擾の件」(375) 「祭礼紛擾の件」が緑紅に与えた影響(451)
    「うなごうじ祭」という通称についての仮説(459)
     梅村則義著『奇祭 牛久保のうなごうじまつり』の「虫封じ説」の検証(463) 卯月八日の「紙下げ虫」と『救民妙藥』の「小兒舌胎」(472)『牛窪密談記』等に見る「若葉祭」の由来(488) 縄文に由来する灰塚野の祭りが「うなごうじ」の語源(498) 「うなひ髪」由来は疑問(516)
  (補遺二)豊川流域の特殊神事「笹踊」の考察 532
    豊川流域に分布する「笹踊」の概要 532
     「笹踊」に関する先行研究の概略(532)
      「笹踊歌」をテーマとする研究の限界(536) 間宮照子著『三河の笹踊り』の功績(626)
     豊川流域の「笹踊」の分布と天王社(646)
      間宮照子著『三河の笹踊り』収録以外の社で「笹踊」を行っていた可能性(646) 天王信仰と「笹踊」発祥の直接の関係は疑問(664)
     「笹踊」の所作及び囃子方他(692)
      「笹踊」の特徴及び「笹踊」と呼べる芸能の範疇(692) 豊川流域の「笹踊」の類型(705) 囃子方の役割等及び過去においての踊り手の選考(723)
      「笹踊」の起源に関する諸説の検討(738)
    豊川流域の各社に奉納される「笹踊」の個別検討 777
     吉田神社(777) 牛久保八幡社(822) 三谷八剱神社(842) 新城富永神社(852) 豊川進雄神社(860) 御馬引馬神社(883) 菟足神社(908) 当古進雄神社(927) 大木進雄神社(960) 上千両神社(969) 富岡天王社(973) 式内石座神社(977) 上長山(白鳥・素盞嗚・若宮)(988) 豊津神社(1001) 伊奈若宮八幡社(1009) 老津神社(1024) 大村八所神社(1031) 石原石座神社(1040) 各笹踊の具体的起源と伝播(1055)
    各社の「笹踊歌」の歌詞(補遺二参考資料) 1075
     伊奈若宮八幡社(1076) 石座神社(岡崎市石原)(1076) 石座神社(新城市大宮)(1077) 牛久保八幡社(1078) 菟足神社(1080) 老津神社(1081) 大木進雄神社(1082) 大村八所神社(1084) 御馬引馬神社(1085) 上千両神社(1086) 上長山白鳥神社(1088) 上長山素盞嗚神社(1088) 上長山若宮八幡社(1089) 当古進雄神社(1090) 豊川進雄神社(1090) 豊津神社(1092) 富岡天王社(1093) 富永神社(1094) 三谷八剱神社(1095) 吉田神社(1097)
  (補遺三)「隠れ太鼓」考 1100
     「隠れ太鼓」が奉納される祭礼(1100) 「隠れ太鼓」とは(1105) 「三つ車」の詳細と「若葉祭」の大山車の役割等(1149)
    『帝都物語外伝 機関童子』に見る「若葉祭」の「隠れ太鼓」(1179)
     機関童子と「駱駝の葬禮」(1197) 歌舞伎の「人形振り」と「若葉祭」の「隠れ太鼓」(1204)
    「若葉祭」の「隠れ太鼓」と尾張の山車からくり(1217)
     東三河の山車からくりと三谷祭の山車の概略(1217) 東照宮祭に始まる尾張山車からくり(1233) 「若葉祭」の「隠れ太鼓」は、山車からくりの「人形振り」か(1242)
    豊川下流域の大山車と尾張型山車(1260)
     山車と屋台はどう違う(1260) 尾張型山車の分類と伝播(1323) 昼間から提灯を飾る東三河の囃子車と遠州の屋台(1349) 尾張の「大山」及び「車楽」と豊川下流域の大山車(1366)
    豊川下流域の大山車の起源とその亜型 1380
     「若葉祭」大山車の「再興」が意味するもの(1380) 小坂井の大山車は西若組の旧車(1429) 「豊川庄屋文書」に載る山車は大山車ではない(1445) 吉田祇園祭の車樂と「隠れ太鼓」(1457) 三谷祭の山車の原型は「若葉祭」にあった(1517)
    化政期の寄席芸能が「隠れ太鼓」に与えた影響(1575)
     豊川流域の「笹踊」と豊川下流域の大山車の祭礼における位置付け(1575) 「若葉祭」の「隠れ太鼓」が「人形振り」になったのは大山車再興の際か(1615) コレラの流行と張子の虎、首振り人形の起源も文政期(1673) 「隠れ太鼓」の起源の検討(1676)
 (拾遺二) 牛久保と山本勘助 1690
   勘助は実在したか(1690) 『牛久保古城図』の描く山本勘助養家・大林勘左ヱ門屋敷(1695) 遺髪塚は養父・大林勘左衞門の屋敷に建てられた(1703)
 (拾遺三) 『牛久保古城図』考 1712
   聖圓寺はいつ廃寺になったか(1713) 善光庵の建立時期と移転再建(1723) 光輝庵が牛久保に移転したのはいつか(1728) 養樹寺の創建はいつか(1732) 大聖寺の移転と牛久保城築城の関わり(1735) 淨福寺の移転と西三河の一向一揆(1738) 長谷寺の再建と移転時期(1740) 上善寺と載る矛盾(1749) 東勝寺を載せる矛盾(1754) 了圓寺が古城図に見えない理由(1760) 榊原澁右衞門の出奔と法信寺の建立(1773) 庚申寺の建立、及び『牛久保古城図』の作成経緯(1780)
 (拾遺四) 善光庵の創建と再建 1785
   善光庵の創建と善光寺如来 1785
    古記に見える善光寺如来の由来(1786) 善光寺如来が上善寺に安置された経緯(1792) 善光寺池と善光寺川(1795)
   善光庵の再建者・潮音道海と「大成經弾圧事件」 1797
    『大成經』とは(1799) 潮音道海と『大成經』(1802) 長野采女と京極内藏之助(1811) 「伊雑宮事件」(1816) 忌部澹齋と『大成經』(1824) 長野采女と廣田丹斎(忌部澹齋)(1835) 高野本と山鹿素行(1838) 高野本と鷦鷯本の関係(1842) その後の潮音道海(1846)
 (拾遺五) 検証 東三河の徐福伝説 1851
    山本紀綱著『日本に生きる徐福の伝承』が独り歩きした小坂井の徐福伝説(1851)
     徐福伝説とは――伝説の定義を中心に(1862) 徐福と始皇帝――徐福の姓・始皇帝の姓(1877) 徐福の子孫が秦氏を名乗るのか――徐福伝説成立の下地(1879) 秦氏と徐福――弓月君と百濟の国姓(1888)
    菟足神社の徐福伝説説明板を検証する(1894)
     日色野と秦氏――淵源は銅鐸埋納地を秦氏関連とする大口喜六か(1895) 『牛窪記』等に載る徐氏古座侍郎――長山熊野権現神主・神保氏の本姓は惟宗(1920) 菟足神社を創設したという秦石勝について――姓氏家系の大家・太田亮氏の著作から(1954) 生贄神事は中国的か――奥三河の鹿射神事及び諏訪の御頭祭と菟足神社の生贄神事(1962)
    山本紀綱に小坂井の徐福伝説を紹介した近藤信彦と渥美郡の幡多鄕(1999)
     橋本山龍運寺と船町文庫――大口喜六、近藤信彦は、幡太鄕比定地の住人(2007) 羽田八幡宮と幡太鄕――近藤信彦と羽田野敬雄(2017) 蓬萊島と築嶋弁天社――山田宗偏により秦御厨に造園された蓬萊島(2028) 御衣祭と上佐脇の八社八苗字――『大神宮諸雜事記』と日下部姓波多野氏(2033)
  (補遺)非農耕民はなぜ秦氏の裔を称するのか 2062
    非農耕民と秦氏――東三河を中心に(2064)
     彈左衞門家と渥美郡出身の車善七――側近を三河出身者で固めた家康(2069) 彈左衞門と伊奈本多家――臨川山本龍寺の開基を巡って(2075) 牧野氏と鶴姫伝説――信長の世に廃寺となった豐川村東光寺(2083) 車善七の敗訴と大岡忠相――豐川村矢作と彈左衞門(2117) 牛頭天王の本地と播磨、そして秦氏――祇園感神院及『野馬臺詩』が記す日本の国姓(2127)
    ひょうすべと秦氏――農本主義と非定住者(2198)
     ひょうすべと椀貸伝説――三河大伴を例にして(2206) ひょうすべと三島神――三島神が降臨した攝津三島江と上宮天満宮(2215) 三島神と鳶澤甚内――火明命を中心とした海人の世界(2230)
  附録一 相撲雑話 2265
    序 『穂国幻史考』における野見宿禰論 2265
    第一章 節會時代の相撲 2312
    第二章 神事から見た相撲 2324
    第三章 吉田追風家と弓術吉田流 2351
    終章 私と相撲、そして弓 2375
  附録二 三州吉田の怪猫騒動 2382
    はじめに 2382
    吉田城沿革 2386
    天球院の怪猫退治 2396
    結びにかえて 2406
  附録三 県道三一号線物語――古代から現代まで 2408
    鎌倉街道と県道三一号東三河環状線 2408
    東三河平野部の古代の地名と交通路 2430
    律令時代における東三河平野部の官道と鎌倉街道 2445
あとがき 2475
主要参考文献 2521

 下記の『牛窪考(増補版)』と比べるとだいぶ増えているのがわかるかと思います。
 http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/newpage5.html


  
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Posted by 柴田晴廣 at 20:49Comments(0)牛窪考(増補版)

2018年10月05日

前回の続き(民放健康番組とスポンサー)

 前回書きましたように、がん治療に直接携わっている医師の9割は、「ぼ~と生きてるんじゃね~よ」とチコちゃんに叱られる生き方しかしていません。
 実際、今回ノーベル賞を受賞した本庶何某は、免疫学が専門ですし、現時点のオプジーボとは比べ物にならないぐらい画期的な治療法・近赤外光線免疫療法を開発した小林久隆医師は、レントゲンが専門です。またこれも現時点のオプジーボとは比較にならないすぐれた治療薬の開発に携わっている児玉龍彦教授の専門も放射線で、がん治療ではありません。
 携帯電話がガラパゴスといわれていますが、がん治療の現場はケータイ以上のガラパゴスです。
 それをあらわす例かと思いますが、欧米、特にヨーロッパでは、抗がん剤治療より、ラジウムによるのが標準です。
 レントゲンの発明者・キューリー夫人が1920年にラジウムががん治療に有効だといったことに由来します。フランスの国立がんセンターはキューリー夫人の研究所の跡です。
 私もラジウムは、ヨーロッパの例を参考に治療に採り入れました。ラジウムのある豊橋の銭湯に行ったり、ちょっと贅沢して、三谷の明山荘の日帰り入浴(もちろんお得な回数券利用ですが(笑))したりと、楽しみながら治療しております。

 私の治療の続きを書けば、10月から抗がん剤治療をはじめ、12月中旬には、CTの画像上からがん細胞は消えました。そして一旦休薬、現在再開していますが、がん細胞はCTの画像上からは消えています。念のため後一度、投薬して、休薬の予定。もっとも休薬ではなく、これで終わりの可能性も無きにしも非ず。
 発生時期から見ても、再発ではなく転移でしょう。転移であれば、がん細胞が消えれば、完治ということになります。
 再発する可能性もありますが、再発したところで、現行の抗がん剤でも適切な投薬なら、何とかなりますし、近赤外光線免疫療法など画期的な治療もそのうちには実用化されます。児玉龍彦教授の研究も大腸がんを先行させるそうですから、心強い限りです。
 また幹細胞治療も、大腸がんが最先です。そう考えれば、早い遅いの差はあれ、私のがん完治は完全に視野に入っています。
 欠陥マニュアルのステージ4、すなわち末期がんは、正しい知識をもってすれば、治るものなのです。

 ここで小林久隆医師の近赤外光線免疫療法と、児玉龍彦教授のがん細胞と結びつきやすい抗体を活用した抗がん剤治療について簡単に説明しておきます。
 近赤外光線免疫療法は、がん細胞が40度程度の熱で死滅することに着目し、がん細胞と結びつきやすい抗体にテレビのリモコンなどが発する赤外線で発熱する薬剤を付着させ、投与、翌日に近赤外線を当ててがん細胞を死滅させるというもので、赤外線の照射は数分程度だそうです。入院しなくてもいいし、手術の必要もない。副作用もほとんどなく、実用化され保険適用になれば、数万円程度の費用で済むそうです。
 近赤外線の照射器も新品でも300万ほどだそうです。豊橋の西駅の近くの病院が何億だかの量子線治療器を購入したそうですが、近赤外光線免疫療法等が実用化されれば、量子線治療器など無用の長物になるでしょう。どぶに金を捨てているようなものです。これなども製薬会社の社員がいう医者なんてちょろいもんだの典型かもしれませんね。それだけがん治療の知識が医師に備わっていないということの証明です。
 それにしても量子線治療器を導入した病院の関係者が近赤外光線免疫療法について知らなかったということは、普通で考えれば信じられません。
 この治療については、7年ほど前、オバマ大統領が演説で言及していましたし、前回、大腸がんを標準ガイドラインを拒否して、大腸がんを完治させた坂口力も、3年ほど前、元厚生大臣という立場と東京医科歯科大学特認教授という立場で、数年のうちにこの近赤外光線免疫治療をわが国でも実用化させるといっておりました。
 実際そうなっています。小林さんの研究の成果である特許の所有会社の筆頭株主は楽天の三木谷氏ですから、楽天が今までとはまったく別の形態で事業展開する可能性もあります。患者にとってはいいことです。外科医にとっては死活問題でしょうが。
 いずれにしても、量子線治療器を何億も出して購入した病院の関係者は、どういった情報収集をしていたのか私には理解に苦しみます。これも、チコちゃんに叱られるぼ~と生きてきたんでしょう。

 次に児玉龍彦教授の研究。実は、がんに結びつきやすい抗体があると知った時点で、私も何で既存の抗がん剤にこれを活用しないかと思ったしだいです。一瞬これはと思いましたが、とき既に遅し、もう少し早くがんになれば、一儲けできたのに(笑)と悔やみました(笑)。素人の私ですら思いつくことに思い至らないのですから、やはりがん治療の現場で携わる医師はぼ~と生きているんでしょう(苦笑)
 これは自分でもすぐ思いついたことですから、理解しやすかった。既存の抗がん剤が少量ですむから安価になるし、何時間もかけて点滴をやる必要もない。さらには、現在より効果は上がるし、ピンポイントで攻撃するから副作用もない。小林さんの研究とともに児玉さんの研究も画期的なものです。

 なぜこうした優れた画期的な研究が知られていないのか?
 その前に、最近、気のせいか増えたと思う、がん保険のCMについて考えて見ましょう。
 普通に考えれば、近ごろのがん保険は、安い掛け金で、手厚い保障になったなぁといったところでしょうか。
 本庶何某の研究に基づく年に何千万も掛る現行のオプジーボは論外ですが、上記の小林久隆医師や児玉龍彦教授の研究に基づく治療が実用化されたとしたら、どうでしょう?
 繰り返しになりますが、近赤外光線免疫療法が実用化されれば、保険適用で5万円程度といわれます。児島龍彦教授の治療法については、具体的な金額は示されていませんが、現行の抗がん剤治療は、保険適用で、医療控除等を利用すれば、数万円ですから、それよりかなり安くなることが予想されますから、ちょっとした疾患程度の治療費と変わらない値段だと推測されます。
 保険会社は慈善団体ではありません。
 損するようなことはしません。調査能力もありますし、系列に製薬会社等があることも珍しいことではありません。
 小林医師や児玉教授の研究に基づく治療を前提としてがん保険の課金を設定しているとすれば、決してお得な保険とはいえなのではないでしょう?
 そして、小林医師や児玉教授の研究に基づく治療の実用化が遅れれば遅れるほど、保険会社の損出は大きくなります。
 そう考えれば、私が考えているより、ずっと早期にこれらの治療は実用化されるのではないかと思います。
 最近、がん保険のCMが増えたなぁと思いますが、そのようなことを考慮すれば、いわば、早く売り抜くための閉店売り尽くしセールのように思えます。

 さて、本稿は、かっこ書に書いたように「民放健康番組とスポンサー」です。
 がん保険を始めとする生命保険を扱う生命保険会社は、民放のお得様です。
 小林医師や児玉教授の研究に基づくがん治療を健康番組で放送したら、どうなるでしょう?
 現行のがん保険に加入する人は増えるでしょうか、減るでしょうか?
 裏を返せば、本庶何某の研究に基づく治療薬程度なら、がん保険の加入の増減に影響はありません。つまりオプジーボなんていう治療薬は、最初から私が何度もいっているように画期的でもなんでもないわけです。
 端的にいえば、民放の健康番組なんていうのは、お得意様の生保会社に忖度したものに過ぎないわけで、患者にとって有用な情報などないに等しいといっていいものなのです。

 では、NHKはどうか?
 2011年だと思いますが、NHKは、がん幹細胞治療の特集番組を放映しています。
 ただ現在は無理でしょう。
 天然記念物級の能力を持つ総理大臣と、類は友を呼ぶ取り巻き。その天然記念物級の能力の総理大臣は大企業優遇。当然生保会社のトップクラスも、天然記念物級の能力の総理大臣のお友達でしょう。
 その天然記念物級の総理大臣に忖度しているNHKは、民放以上に期待できません。

 疑似科学といえる現行のがん治療の標準ガイドラインのエビデンスとやらでいう末期がん患者(笑)の立場から、現在及び私の知る最新のがん治療について書いてきましたが、次回は、「雑談」のカテゴリーでなく、本ブログの本筋の話に繋げたいと思います。  


Posted by 柴田晴廣 at 19:42Comments(0)雑談

2018年10月05日

前回の続き(門外漢の外科医がなぜ抗がん剤治療に手を出すのか?)

 前回書いたように、現行のがん治療ガイドラインなるものは、がん幹細胞が確認されているにもかかわらず、再発のメカニズムも説明できないような、天動説のような言説といっていいものです。
 先に天動説の信奉者にいくら精密な天体望遠鏡を与えても、正確な天体の動きをつかめるわけがないと、ガイドラインに拘泥する者のたとえに使いましたが、再発のメカニズムの説明もできないような欠陥マニュアルに基づいて診断したところで、患者の正確な状況など到底把握できるはずもなく、把握できないのであるから、的確な治療もできないということです。
 マニュアルに従ってという点では、マクドナルドなどのファストフードの店員と、ガイドラインに従った医者とは変わるものではありません。
 変わっているところは、ファストフードの接客マニュアルと違って、がん治療のガイドラインはマニュアル自体が欠陥品だということです。つまりガイドラインに従っての治療しかできない医師は、マクドナルドの定員以下ということです。
 ファストフードの例を出しましたが、外食はファストフードに限ったものではありません。
 こちらの要望に応じた注文料理を出すところもあります。
 がん治療というのは本来、こうしたビスポークでなければならないはずです(ビスポークについての詳細は以下を参照してください)。
https://tokosabu.dosugoi.net/e989330.html
 ところが現状は、ビスポークではなく、ファストフードや量販衣料店の吊るし服並みの対応ががん治療のほとんどを占めています。寺西にビスポークの治療を期待しても無理なことです。わかっていたことですが、一応、寺西にビスポークの治療はできるかと聞くと、即座にできますと。厚顔無恥(無知)とは、このことをいうのでしょう。無知としたのは、自身に薬の知識がないことすらわかっていないからです。
 豊川市民病院消化器外科部長の寺西太を庇うつもりは毛頭ありませんが、これは寺西が特殊な例だとは思いません。
 先に書いたように、友人からの又聞きですが、製薬会社の社員によれば、医師なんてちょろいもんだそうです。
 寺西の対応を見て、いうとおりだと確信しましたし、ほかの医師も同じようなものだろうと想像しました。特に門外漢の外科医が本業の外科のほかに薬の知識まで仕入れることは、所詮無理なことだからです。
 そうした門外漢の外科医などが抗がん剤治療に携わっており、たいした知識もないことから、欠陥マニュアルがいつまでも改訂されずに残っておるわけです。
 時代劇などで二足の草鞋といえば、口入屋とやくざの兼業。悪役の代名詞のようなものです。もっとも悪役といっても、小悪党。
 外科医が知識もないくせに、抗がん剤治療に手を出すなど、時代劇の二足の草鞋と同様、社会の弊害です。繰り返しになりますが、二足の草鞋は小悪党に過ぎません。その裏に巨悪がいることはいうまでもないことです。

 さて、寺西と以上のようなやり取りをしたのは、8月の初旬、とにかく浜松医大でセカンドオピニオンを利用しようと、紹介状を書いてもらい、1週間後ぐらいの2017年8月16日に浜松医大の倉地清隆教授に会いに出かけました。
 倉地教授がいうには、この人たちはいつのデータを基準にものをいっているのかということでした。
 前回書いたように、2007年以降、がん幹細胞は続々と確認されています。大腸がんについては、その2007年に早くも確認されているわけですから、それを仮説という寺西は、少なくとも10年以上前の知識しかないことになります。十年一昔、昨今の技術の進歩からいえば、十年なんていうのは一昔どころじゃありませんから、寺西太ならぬ浦島太。
 教員免許の更新制より、人の命を預かる医師免許こそ、更新制にすべきでしょう。それなりの知識はあるでしょうから免許剥奪まではいかなくても、法律の世界では弁護士、司法書士、行政書士、税務の世界では公認会計士、税理士とランクがあり、できる仕事も制限があります。医師免許も更新制にし、ランクわけをし、できる診療治療も制限すべきでしょう。人の命を預かっているんですから。そうしなければ医は算術を助長します。
 話を挟みましたが、加えて、抗がん剤治療を受けても余命30月といっていましたが、これも寺西がしきりに口にしたエビデンスとは無縁の欠陥ガイドラインに基づく治療をした場合のデータに過ぎません。
 現行の大腸がんの抗がん剤は、がん細胞の抑制ないし消滅を目的とするものであり、がん幹細胞の抑制ないし消滅を目的とするものではありません。ところが上述のように欠陥ガイドラインは再発のメカニズムさえ説明できないもので、転移と再発の治療もごっちゃになっています。
 こんなガイドラインに基づく治療によれば、余命30月でしょう。
 沢井製薬のホームページに出ていると思いますが(確か監修は虎ノ門病院の専門医)、オキサリプラチンは、6クール投与すれば、12クール休薬しても、効果は変わりません。ここでいう効果とはがん細胞の抑制という意味での効果です。
 抗がん剤というのは、副作用がひどくなり断念というパターンがほとんどですが、上記の6クール投薬、12クール休薬すれば、副作用もそれほどのものではありません。
 また先に加工附子が副作用の緩和に有効である旨を紹介しましたが、附子が配合されている医薬の代表的なものが八味地黄丸や牛車(ごしゃ)腎気丸があります。実際、牛車腎気丸の服用でオキサリプラチンの副作用が抑えられる報告は出ており、私も牛車腎気丸を服用し、副作用には悩まされませんでした。
 この調子で行けば、ほぼ永久的に投薬しても、副作用が出ることはないと思われますし、そのうちには、最初に紹介した小林教授や児玉教授の現時点のオプジーボなど問題にならない安価で画期的な治療薬が実用化されます。
 そのように考えれば、余命30月など浦島太、もとえ寺西太の戯言に過ぎないわけです。
 もっとも、寺西の治療では余命30月でしょうが。

 ここで、ガイドラインがいかにいい加減なものかという例を挙げておきます。
 三重県選出で公明党所属の議員で坂口力がいました。現職の折には厚生労働大臣を務めており、現在は東京医科歯科大学の特認教授という肩書きを持っております。
 その坂口、医科歯科大の特認教授の肩書きを持っていることからもわかるように、三重大学医学部出身で、医師免許をもっております。また坂口は10年ほど前になりますが、大腸がんを患い余命宣告を受けております。医師免許を取得している坂口ががん患者の当事者になったときに取った選択は、ガイドラインには基づかない治療でした。
 余命宣告された坂口が特認教授として活躍しているわけですから、ガイドラインに従わない治療で完治したといういうことです。医師免許を持っている者が、がんに罹ったときに、標準ガイドラインを選択しなかったというのは、いかにガイドラインがでたらめかを物語っています。

 さて上記のように、ガイドラインに基づいた抗がん剤の投与は30月ぐらいが限界ですから、ガイドラインのデータでは大腸がんのステージ4の5年生存率は1割程度となっています。
 繰り返しになりますが、寺西を庇うつもりはありませんが、欠陥マニュアルが、改訂されていないことなどを考えれば、寺西が特殊な例とも思えません。
 がん細胞なんていうのは40度程度の熱で死滅しますから、ステージ4、つまり末期がん患者が肺炎などで高熱を出し、熱が引いたら、がん細胞が消えていたなんていうこともありますし、ちゃんと治療の仕方を知っている医師もいるわけですから、差引すれば、1割程度の医師しか適切ながん治療の方法を知らないといえるのではないでしょうか。
 政治家が知ったかぶりをしているだけで、中身は素人以下ということは重々承知していましたが、がん治療に携わる医師も政治家に負けず劣らずです。
 がん治療に携わる9割の医師は、5歳児のチコちゃんに「ぼ~と生きてんじゃね~よ」と叱られるようなことしかしていないわけです(笑)。
 このように、がん治療に携わる医師のうち1割程度しか治療の仕方を知らないから、民間療法などに走る者が現れるわけです。
 民間療法ではないものの、近藤誠とかいう医師も同じようなものです。彼の頭の中にはおぼろげながら再発と転移の違いは描かれていたでしょう。しかしがん幹細胞が確認されても、それを知らないのか知ってて採り入れないのか、結局は標準ガイドラインと五十歩百歩。独りよがりの分、ガイドラインより悪い結果を招くことになります。
 芸能人などの金持ちが被害にあっているようですが、ブランド品依存症とでもいいましょうか、自己の確固たる価値観がないため、ぼったくりに近いブランド品(模造品を奨励するつもりはないが、模造品が出回るのは、多くのブランド品は原価は安価で、利益を過剰に上乗せしているからです)にすがることと根は同じでしょう。原価などわずかなものに過ぎない化粧品が高額なほど売れるというのも同様です。
 世間を知らない芸能人なんていうのは、ある意味、葱を背負った鴨に見えるのでしょう。
 こうした事態も、いつまでも疑似科学に過ぎないガイドラインを変更しないことが原因です。

 では、なぜ門外漢の外科医が抗がん剤治療に手を出すのか。ぼ~と生きてる割には、医は算術に長けているのか、先に紹介した小林教授や児玉教授の研究に基づく治療薬が実用化されれば、外科の仕事が激減することはうすうす感づいてはいるのでしょう。
 そうなる前に仕事を確保しておく、それが外科医の総意なんでしょうね。
 加えて、外科医というと、テレビドラマなどではかっこよく描かれていますが、西洋医学の外科は西洋医学の内科と比べれば、その歴史ははるかに浅く、もともとは床屋の仕事でした。床屋のサインポールのトリコロールの白は包帯、赤は動脈、青は静脈です。外科手術も行いますという看板なのです。
 今では見かけなくなりましたが、私が子供のころの床屋さんは、白衣を着ていました。これもこうした歴史的背景に基づくものです。
 外科医には内科医に対するコンプレックスがあり、そのことも内科的な抗がん剤治療の取り込みに一役買ったことは容易に想像できます。
 先に免許の更新制について教員免許を引き合いに出しましたが、小学校の教員免許は全教科教えられますが、中学高校は、科目別の免許です。
 少なくとも、内科的な治療である抗がん剤治療は、原則外科医は禁止にすべき。つまり二足草鞋の禁止です。

 話を戻せば、浜松医大で倉地教授の話を聞き、豊川市民病院で、最初に行ったときの担当だった内科の宮木医師に戻してもらえなかったこと亜から、青山病院を選択しました。結果論からいえば、私の指示通りに動いてくれて余命半年は幻に終わりそうです(笑)

 話は変わりますが、前回書いたように私は24の歳に、激症肝炎に罹っています。
 私が20になる直前に父が工場をはじめ、私も父の仕事を手伝っていました。
 工場を始めて数年も建たず手狭になり、別の場所にも工場を借り、私は新たに借りた工場を担当しておりました。なかなか従業員の手配ができず、私は風邪だとわかっておりましたが、先に体調を崩して休んでいた従業員がおり、高熱があるのはわかっていたものの、1週間ほど朝6時から夜は10時ごろまで仕事(工場ですからもちろん力仕事もかなり含んでいます)。
 休んでいた従業員が出てきて、5時ごろ仕事を終え、医者嫌いの私ですが、星野医院により、帰宅、布団の上で、うとうととしていると、手足の先が痺れだし、異変に気づきすぐに起き、家にいた祖父母と妹に作業着のポケットに診察券があるから星野医院へ電話してほしいと告げ、さすがに自分でももしかしてダメかもしれないと思い、見苦しい格好で死にたくはないと、夏でしたから、アイロンがかかった白の麻のシャツに、黒の麻のスーツで、歩いて星野医院に向かいましたが、星野医院を目の前にして、長距離走を終えた後のように息が上がり、何とかたどり着いたものの、ベッドに横になると、目のみがかろうじて動かせるといった状態でした。
 星野先生の適切な措置により、1時間ほどで回復しましたが、途中、このまま植物状態になるのかとかいろいろなことが頭の中をよぎりました。
 さすがに翌日、来るようにといわれ、翌朝は風邪の熱も引き完全に健康状態でしたが、医者嫌いでも、朝一で診療に出かけました。
 採血をし、翌日結果が出るとのこと。翌朝電話があり、なんともないかとのこと。なんともないと答えると、じゃあ検査のミスかもしれないから、もう一度採血とのこと。
 最初の採血では、ガンマGTPの値が6900、二度目が落ちていたものの3000ほど、自覚症状はありませんでしたが、激症肝炎と診断。
 絶対安静といわれましたが、熱も下がり、自覚症状からは健康そのもので、さらに母が体がなまるで仕事においでんと。
 絶対安静にしていないにもかかわらず、1週間で100ぐらいまで下がりましたが、ひょんなことから絶対安静にしていないことがわかり、市民病院に入院することになりました。
 ちなみに、当時私は消防団に所属しており、症状が出る前日に集団検診で採血をしています。後でわかったことですが、そのときのガンマGTPは正常値でした。

 さてそんなことから市民病院に入院をしたのですが、入院してすぐにいわれたのが、検査をするとのこと。私にはこれは腑に落ちないものでした。激症肝炎だとわかっているわけですし、私は治療に来たわけですから、何の検査をするかという点が腑に落ちないわけです。
 腑に落ちないから、何の検査かという点と、治療に来たのだから、わけのわからん検査などする気はないから、治療しないのなら、退院するというと、寝とれば治ると、当時はタバコをすっていましたが、所持していたタバコはゴミ箱に捨て、とにかくごろごろしていたところ4日ほどで正常値に戻り、退院しました。医者のペースにはまらなかったことが早期退院に繋がったと思います。医者のペースにはまっていれば、良くなるどころか悪化していたでしょう。
 上記のように患者は治れば、原因などどうでもいいわけです。一方医師は原因が知りたい。おそらくなんで6900もガンマGTPの値が上がったのになぜなんともなかったのか、そうしたことを医師は知りたかったのでしょう。治療以上に。
 このように、患者と医師はその目的や思惑が異なるものです。
 医療行為も法律的には、物を買ったり売ったりの売買行為などと同様の契約です。
 患者が医者に注文をつけるのは、契約なら当然のことです。
 その点を前提に医者とは付き合うべきでしょう。
 また医療機関の利用者は、医療行為は、ファーストフード店やコンビニエンスストア、さらには役場などの行政機関と同様のサービス業であることを認識し、遠慮せずに付き合うべきです。こうした遠慮ががん治療に携わる医師の多くが「ぼ~と生きている」一因になっているんですから。

 そしてもう一つ忘れてはならないのは、陸軍軍医のトップだった森林太郎の自己の思い込みにより、多くの兵が病にかかり、命を落としたこと。
 そして軍といえば、もう一つ、いわゆる731部隊には京大医学部の研究者が多数参加し、人道上問題ある実験を繰り返し、その罪を問われることなく、戦後、医学界の指導者として君臨した者が幾人もいることです。

 上記のように、父が工場を始め、私もその会社で仕事をしていたわけですが、当然、下請け仕事。この地方に多い、自動車関連の下請けで三次、あるいは四次下請けといったところでした。
 テレビ番組のスポンサーとなっているような自動車部品の三次下請けの仕事をしていましたが、不良品が出たとき、その説明が、どうも知ったかぶりしているだけで、わかっていないように思え、そもそも設計が悪いのではないかと思い、私はいわゆる文系でしたから物理の基礎から始め、流体力学の専門書等が理解できるようになり、思ったとおり、某自動車メーカーの関連会社の社員も、結局は知ったかぶりだとわかりました。
 その理解を基に、その部品の改良品の特許の出願をしたいと父に相談すると、特許事務所に頼めば、出願だけで何十万もかかるが、自分で特許明細書を作成すれば、当時ですと収入印紙(まだ特許印紙はなかった時代)1500円程度で出願は可能と。
 さらに父は、特許明細書の書き方がわからなければ、図書館に明細書の書き方の本があるとも。
 自分で特許明細書を作成したのをきっかけに、特許制度に詳しくなり、特許検索(当時は紙公報で、公報の手めくりというアナログの検索だが)といったことをやるようになりました。
 今回、加藤瑛の説明がおかしいと思えたのも、この自動車メーカーの関連会社の社員の知ったかぶりの経験が大きかったですし、加藤の説明のおかしさを特許検索を手始めにして、どこがおかしいかが理解できたのも、父が自分で特許明細書を作成せよといったことが大きいと思います。
 父には、感謝しております。お父さんありがとう。
  


Posted by 柴田晴廣 at 17:35Comments(0)雑談

2018年10月05日

前回の続き(医者の薬の知識など)

 私の小学校、中学での同級生で、大学卒業後出版関係の仕事をした後、叔父さんが溶接機材の商社の管理職だったようで、その叔父に誘われ、転職した友人がいるのですが、以下は彼から聞いた話です。
 溶接関係の機材を扱っているわけですから、当然酸素ボンベ等も扱っているわけですから、病院にも出入りしていました。
 そして親しくなった製薬会社の者から、家はどこかと問われ、それじゃあ星野医院の近くだね、という話になり、ほとんどの医者は、ちょろいもんだけど、星野先生は薬の知識もしっかりしており、誤魔化しがきかないと、いわれたそうです。
 豊川市民病院の消化器外科の部長・寺西太と話しているとき、30年近く前に聞いたこの話を思い出しました。
 その前に、私が末期がん(笑)になるまでの略歴を。
 2016年の4月、何人かに顔色が悪いといわれ、仕方なく4月12日、上述の星野医院に渋々いったところ、見るまでもなく悪い、すぐに市民病院に行けとのこと。その際触診で左下腹にしこりがあることも市民病院に連絡。
 救急車を呼ぶといわれましたが、自分で自動車を運転して行きました。
 というのも、すぐ帰れると自分では思っていたからです。もっとも星野正純先生は、どうみても自力ではいけないと思うんだけど、自力で行けるって言ってるんですよと電話で話しておりました。
 すぐ帰れると思っていた私の思惑は見事に外れ、市民病院で受け付けを終えた時点で、車いすに乗せられました。血液検査等を行い、消化器内科の宮木知克医師にいわれたのが、一時間遅ければ、確実に命はなかったとのこと。血液検査でヘモグロビンが3だったそう。歩けるのが不思議な値だといわれました。
 虚血性心不全は、宮木先生の的確な治療により、1週間ほどで回復。宮木先生に命を助けられました。宮木先生に感謝です。
 そして、虚血性心不全の原因を調べたところ大腸がん。ステージは3だと。それがわかったのが、4月の20日頃でした。
 ゴールデンウィーク前で、手術室は空きがないが空きが出来たら、即手術ということで、いったん退院。5月2日に、消化器外科の原田真之資医師が執刀。みごと成功。
 9時間ほどの腹腔鏡手術でしたが、翌朝には歩け、2㌔程歩きました。
 4日目で、点滴を含めすべてのチューブがとれ、手術から1週間で退院。執刀医の原田先生にも感謝です。
 原田先生が心配していたのが、腹膜播種でしたが病理検査の結果。腹膜播種の恐れはなし。ステージは3Aとのこと。
 手術から2週間目で抜糸。風呂もOKということで、プールはと聞くと、それもOK、帰りに1時間ほど泳ぎました。
 原田先生が、刈谷のトヨタ系の病院に転勤になり、西土徹医師が担当医になるも西土先生が体調を崩され、青山佳永医師に交代、私の経過は順調でした。
 そして2月、例の加藤瑛に代わり、4月、7月と加藤が診察。そして7月19日、診察室に入ると、何の前触れもなく、いきなり余命半年と。
 先い書いたように、加藤は見落としていたわけで、2月から受診のたびに採血、2月に加藤が変わる直前、4月、7月にCT撮影していたわけですが、2月から見落としていたわけです。
 その自分のミスを誤魔化すため、いきなり余命宣告をして、私の正常な判断を狂わせようと考えたと思われます。
 2月に代わって採血をしていたが、見落としていたんじゃないかと問うたところ、柴田さんは腫瘍マーカーの数値が上がらないタイプだと。
 そもそも、最初に診てくれた宮木先生は、星野先生から左下腹部にしこりがあるという点と、採血で腫瘍マーカーが上がっていたからがんと判断したわけです。
 それで、受診のたびに採血をしていたわけです。また西土医師は、がん細胞が発生すれば、腫瘍マーカーの値が急激に上昇しますから、すぐわかりますよとも。
 だいたい私が腫瘍マーカーが上がらないタイプなら、加藤は何のために採血を看護局に指示していたのか?
 さらに、執刀医の原田医師が完全否定していた腹膜播種を、腹膜播種だとも。
 宮木先生、原田先生、西土先生、そして青山先生の見解をすべて否定しているわけです。
 そして、私には、豊橋で歯科医師をやっている知人がいるのですが、彼の義理の兄が、浜松医大の消化器科の教授の倉地清隆医師。歯科医師の知人からは何かあったら連絡してほしいといわれていましたから、浜松医大でセカンドオピニオンを利用しようと、加藤にいったところ、かまいませんよと。
 大体、私は病院なんていうのは、ほとんど行かないし、病院嫌いでがんをほったらかしていたわけですから、セカンドオピニオンの利用に紹介状が要るなど知る由もなし。
 無駄足を踏むことになりました。
 さすがに、医師以前に人間性にも問題がある加藤を担当から外してもらい。消化器外科の部長の寺西に
 7月19日に余命宣告され、説明の出鱈目さから自分でがんの発生と転移、さらには再発のメカニズムを調べ、2週間ほど経った、8月の初めには、転移と再発の違い等は理解でき、再発の説明も出来ないがん治療の標準ガイドラインが欠陥マニュアルだとの理解も出来ました。
 そのあたりまで理解出来ていた時点で寺西に診察してもらいましたが、この欠陥マニュアルに拘り、再発の原因であるがん幹細胞を仮説だと。これには呆れました。
 確認のために記して置けば、寺西ががん幹細胞は仮説だといったのは、2017年の8月の初旬です。前年の2016年の夏には、国立がんセンターが、大腸がんの幹細胞抑制物質の創出に成功し、かのネーチャーに発表しております。そして2017年の3月末には、これもまたネーチャー誌に慶応大学の研究チームが大腸がんの幹細胞治療を確立との論文を発表しております。
 それを仮説だという寺西の知識のなさから、これじゃぁ治るものも治らないと思いました。
 ここでがん幹細胞について説明して置けば、1997年に急性骨髄性白血病、2003年に乳がん、2003年に脳腫瘍、2004年に前立腺がんの幹細胞が発見されます。
 そして2007年には、大腸がん頭頸部扁平上皮がん、脾臓がんの幹細胞が発見されます。
 2007年に一気に発見が増えるのは、おそらく2006年に開発されたiPS細胞(人工多能性幹細胞)にあると思われます。
 カッコ内に日本語を入れましたが、iPSも幹細胞です。そして開発当初はほとんどががん化したそうです。それに基づきがん幹細胞が、翌年の2007年に多数発見されたのでしょう。現在ではほとんどのがん幹細胞が確認されています。
 ここで、再発について説明すれば、手術等でがん細胞を切除しても、がん幹細胞が残っておれば、これががん細胞の生産工場になり、新たにがん細胞を生む。これが再発の眼かイズムです。そしてがん幹細胞というのは、細胞分裂が遅い。がんの手術から5年で快癒などというのも、実は、がん幹細胞の細胞分裂がもっとも遅いのがおおよそ5年ということからです。
 加えて置けば、標準ガイドラインは、再発と転移を区別していないわけですが、転移は原巣からリンパ節を介して他の臓器等にがん細胞が移転したことです。ですから、この転移したがん細胞が消滅すれば、快癒ではなく完治です。私が現行のがん治療ガイドラインは疑似科学で当たるも八卦、当たらぬも八卦というエビデンス(笑)は、ここにあるわけです。
 大体、欠陥マニュアルゆえ、ステージ1でも5年生存率が100パーセントではないのは、手術でがん細胞を切除したものの、がん幹細胞が残っていたにほかならないわけです。
 このがんのステージなんていうのが、医者がやたらとつかう「エビデンス」とは無縁のものなのです。エビデンス0の標準ガイドラインに基づくものだからです。
 寺西もご多分に漏れず、がん幹細胞はエビデンスがないなどとほざいていましたが、私からいわせれば、お前が金科玉条のごとく信じている標準ガイドラインこそ全くエビデンスとは無縁のものと、話すのもばからしくなっておりました。
 話は前後しますが、寺西が抗がん剤投与の話をした時点で、「あんた外科だけど、ほんとに薬のことわかるだかん」と質問したところ、わかりますと。
 ところが、すでに書いたように、薬の知識など製薬会社の社員からの受け売り。
 ジェネリックの話になったときには、開いた口がふさがりませんでした。
 ジェネリックとは、特許権の存続期間が満了したその特許権に係る発明は自由に実施できるわけで、そうした特許権の存続期間が満了したもと特許発明に係る薬品をいいます。
 実は薬が特許の対象になったのは、30年ほど前、それまでは特許を受けることができない発明について規定する特許法32条で、医薬と農薬が特許を受けることができない発明とされていました。医薬と農薬が特許の対象となった際、臨床試験等により特許権の存続期間が侵食されることから、特許権の存続期間の延長登録制度も導入されました。
 特許権の存続期間は、出願の日から20年で終了しますが、延長登録制度を利用すれば、5年を限度で延長されます。ジェネリックが話題に上りだすのが、ちょうど5年ぐらい前になるのも、上記の理由で保護対象になった直後に出願した医薬で存続期間の延長登録制度を利用した場合に特許権の存続期間が満了するのが、5年ほど前になるからです。
 前回にもオプジーボの話で言及しましたが、後発の改良発明は当然、効果とか副作用の軽減とか先行発明を利点があるわけです。
 ジェネリックもそういう意味では後発です。先願の特許権の存続期間が満了した場合は、その改良発明が他社によりなされ、それが特許になっている場合、先願の原特許権者が改良発明を実施する場合、当然、後発の改良発明の特許権者に無断で業として実施すれば、会長発明の特許権の侵害になりますが、特許権の存続期間が満了していない場合でも、後願権利者に無断で業として実施すれば、後願の特許権の侵害になります。
 ジェネリックといえど同様です。特許権の存続期間が満了しだれでも自由に実施できるわけですから、それに勝つためには、他のジェネリックより利点がなければ競争になりません。
 そうした話の中で、寺西が発したのが、まさに友人から聞いた医者なんてちょろいものを再現するものでした。
 寺西曰く、ジェネリックでない正規の製品の方が優れている。その理由は、正規の製品はポイントが隠してあるから、ジェネリックはそれを忠実に再現できないからとのこと。
 こんな都市伝説のようなことを信じているのが、いまだにいるのかと思うと同時に、偏差値とやらはそこそこ高いはずだが、おつむの程度はこの程度かとも。
 特許法36条4項1号には、「発明の詳細な説明の記載は、経済産業省令で定めるところにより、その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものであること」と規定し、これに違反する場合、拒絶理由(49条4号)、特許異議申立理由(113条4号)、特許無効理由(123条1項4号)になります。
 つまり発明のポイントを隠して特許出願しても、特許査定(51条)はされませんし、誤って特許をすべき旨の査定がされても、特許異議の申立ての審理又は特許無効審判の審理において取消決定又は特許を無効にすべき旨の審決がされ、当該決定又は審決の確定により特許権は遡及消滅します(114条3項.125条)。
 おそらく製薬会社の社員の話を鵜呑みにしていたのでしょう。その製薬会社の社員は、思ったでしょう。寺西なんてちょろいものと(笑)
 それを決定付けるのが、抗がん剤の点滴薬・オキサリプラチンの話になったときです。この薬は名古屋市立大学の薬学部の喜谷教授が1975年に開発したものです。
 そして名古屋市立大学のHPの喜谷記念がんセンターのページで薬学部の牧野教授が、オキサリプラチンの副作用軽減には加工附子が有効と書いています。
 寺西の母校は名古屋市立大学です。学部が違うとはいえ、母校の教授が行っていることも知らないということは、寺西の薬の知識は製薬会社の社員のみからのものということになります。
 「お前は外科だが、薬の知識はあるか」と私が危惧していたことが的中してしまいました。
 長くなりました。この辺りでいったん筆を置きます。
 加えて置けば、24のとき、風邪をほったらかしにして、仕事にいそしんでおり、激症肝炎を発症したときにも星野正純先生に助けてもらいました。おそらく星野医院に行かず、違う医者に行っておれば、厄年で命を落としていた妥当と思います。
 星野先生に感謝です。
  


Posted by 柴田晴廣 at 07:00Comments(0)雑談

2018年10月04日

前回の続き(オプジーボについて)

 確認はしていませんが、オプジーボの特許権は小野薬品が所有していると思います。
 そして小野薬品はその特許権に基づいて国内で独占的にこのオプジーボの製造販売を手掛けているのでしょう。
 さて、特許法には、裁定による通常実施権という制度があります。いわゆる強制的実施権の設定です。
 その裁定による通常実施権の中で「公共の利益のための通常実施権の設定の裁定」の規定が特許法93条に規定されています。
 その公共の利益のための通常実施権の設定の裁定について規定する特許法93条ですが、1項「特許発明の実施が公共の利益のため特に必要であるときは、その特許発明の実施をしようとする者は、特許権者又は専用実施権者に対し通常実施権の許諾について協議を求めることができる」と規定します。
 つまりオプジーボという特許発明の実施が公共の利益のため特に必要であるときは、そのオプジーボの実施をしようとする製薬会社等は、特許権者である小野製薬等に対し通常実施権の許諾について協議を求めることになります。
 もちろん、小野薬品が実施権の設定又は許諾をするとは限られません。
 ところが、オプジーボの実施が公共の利益のため特に必要であると認められるときに、小野製薬が実施権の設定又は許諾をしないことにより、特許法の目的(1条)であるい産業の発達を阻害することになれば、問題でしょう。
 そこで、公共の利益のための通常実施権の設定の裁定について規定する93条2項では、「前項の協議が成立せず、又は協議をすることができないときは、その特許発明の実施をしようとする者は、経済産業大臣の裁定を請求することができる」と規定します。
 先に書いたように、現時点では本庶何某の研究に基づくがん治療薬は、「遅い、高い、まずい」の別段画期的なものではありませんが、これだけマスコミ等が画期的と騒げば、特許法93条1項に規定する「公共の利益のために特に必要であるとき」に該当するとして通常実施権の設定の裁定がされる可能性が高くなります。
 実は、裁定による通常実施権という制度は、制度があるだけで、実際に裁定の請求がされたことはありません。
 しかし、公共の利益のための通常実施権の設定の裁定について規定する特許法93条では、同法86条を準用する旨を規定しており、その特許法86条2項では、柱書で「通常実施権を設定すべき旨の裁定においては、次に掲げる事項を定めなければならない」と規定し、同項号で「通常実施権を設定すべき範囲」、2号で「対価の額並びにその支払の方法及び時期」と規定しています。
 2号の対価の額とは所謂ロイヤリティーのこと、小野薬品自身がその対価の額を定めるわけではありませんから、当然、小野薬品の思惑よりかなり低額に設定されます。
 裁定が請求されないものの、この規定により、伝家の宝刀の役割を果たしているわけです。
 今回のノーベル賞受賞、それに伴う報道により小野薬品は、競合他社に対して、通常実施権の許諾をせざるを得なくなり、オプジーボの価格はどんどん低下することになります。
 また競合他社の参入により、効果は当然向上することになります。
 これは、オプジーボに留まるものではなく、近赤外光線免疫療法などの他のより優れたがん治療にも波及すると思われます。
 本庶何某の研究については、アイデアに毛が生えた程度(アイデアのみでは特許は取得できない)のものですが、他者が、より優れた発明として完成させる可能性のきっかけになったように思えます。

 当然のことですが、通常実施権の許諾により競合他社が参入すれば、小野薬品の業界での優位性は低下しますから、当然、株価は下がります。
 株屋は、何年だから景気がいいの悪いのと風が吹けば桶屋が儲かる程度のがん治療の標準ガイドラインのごとく根拠のないものに基づいて株価の話しかできないわけですから、こうした思考は出来ないと思いますが  


Posted by 柴田晴廣 at 07:28Comments(0)雑談

2018年10月02日

画期的ながん治療薬?

 昨日、本庶何某がノーベル賞を受賞した。
 テレビなどでは、がんの画期的な治療薬と騒いでいるが、年間治療費が3000万もかかる治療薬のどこが画期的か?
 あきれたのは、研究費が膨大になるのをおそれるなと若い研究者にいっているとのこと。
 こんな考えだから、3000万もする治療薬しかできないのだ。
 研究費が膨大になるようなら、膨大にならないように工夫する。これが発明の本文。研究者という浮世離れした者の戯言あろうが、発明者としては下の下の発言だ。
 さらに国に研究費を要求しているのだからあきれる。
 本庶何某の研究より、 むしろ小林久隆さんの近赤外光線免疫療法
https://www.mugendai-web.jp/archives/6080
 や下記の児玉龍彦さんの研究の方がよっぽど画期的な治療だ。
https://www.mugendai-web.jp/archives/3183
 小林さんの近赤外光線免疫療法は、すでに頭頚がんの臨床試験が始まっており、保険適用になれば5万円程度の費用で済むそうだ。
 3000万もかかって2割だか3割だかしか効果が出ないオプジーボとは大違いだ。
 また児玉さんの研究も、抗がん剤が現在と比べれば、ごくごく少量で済むのであるから、治療費も少額に抑えられるし、ピンポイントでがん細胞を攻撃できるのであるから、効率もいいし、他の細胞等にわるさをしないから副作用もない。
 本庶何某の研究よりよっぽど現実的で広く人類のためになる研究だ。
 小林さんや児玉さんの県空に基づく治療が、早い、安い、うまいとするなら、本庶何某のそれは、遅い、高いに加えて、まずい治療薬だ。
 本庶何某も研究費を国に要求するより、再発の説明もできず、再発と転移の区別もしていない疑似科学といっていい、現行のがんの標準治療ガイドラインに苦言を呈すべきであろう。
 こんな標準ガイドラインを金科玉条のごとく後生大事にしていては、どれだけ画期的な治療薬が開発されても、まともな治療は出来ない。
 いうならば、天動説を信じている学者にいくら精密な天体望遠鏡を与えても、正確な天体の運行がわからないのと同じことなのだ。
 こういうことをいうのも、かくいう私も、疑似科学といえる標準ガイドラインでいう末期がん(笑)患者。
 豊川市民病院で、2016年5月2日に手術をし、そこから4人医師が代わり、四人目の消化器外科の加藤瑛に昨年7月19日に余命半年と宣告された。
 幸いだったのは、加藤が見落としていたのを誤魔化そうとして、支離滅裂な説明になったため、腑に落ちず、自分で特許庁の電子図書館を始め、がんの再発メカニズム等を調べ、上記のように標準ガイドラインが疑似科学だと分かった次第。
 そして、加藤から消化器外科の部長の寺西太に担当を変えてもらうも、これまた寺西も標準治療ガイドラインを金科玉条のごとく後生大事にしているため、話にならず。
 こちらが外科で薬のことがわかるかと寺西に念押ししたにもかかわらず、わかるといっていたにもかかわらず、薬については無知。
 現在病院を代え、別段3000万もかかるような治療はしていないにもかかわらず、転移したがん細胞は消滅。
 がん治療に携わっている医者の中で当たるも八卦当たらあぬも八卦の標準ガイドラインに頼らず、まともに治療ができるのは1割程度しかいないこともわかった。
 虚血性心不全で危うく命を落とすところを助けてくれて、がんを発見してくれた豊川市民病院消化器内科部長の宮木知克医師、同消化器外科に当時在籍しており、執刀医の原田真之資医師、同じく西土徹医師、消化器外科副医長の青山佳永医師に感謝。
  


Posted by 柴田晴廣 at 18:22Comments(0)雑談