2020年03月28日

ほんとの雑談(笑)

 この世に生を受けた以上、森羅万象すべて死を迎える。
 それが早いか遅いかだけの違い。
 最近終活という言葉をよく目にするが、死はいつ訪れるか知る由もない事柄。
 ときたま私などは、余命宣告という貴重な経験をしたが、終活なんていうのは、いつから始めるなんて言うもんじゃなく、この世に生を受け、すぐにでも始めていいものだと私は思う。
 名前(俗名)なんていうのは、親族のこうなってほしいとの希望が込められているが、改名でもしない限り、本人の意向が反映されているものではない。
 対して、本人の意向がもろに反映できるのが、戒名や法名。
 こんなもんを坊主の金儲けに委ねる必要は全くないと私は思う。
 実をいえば、私は私自身の意向を反映した戒名をすでに考えてある。
 理證晴連居士がそれだ。
 信条の変化により、将来変わることがあるかもしれないが、現時点では私の生きざまないし生きざまの理想を表したのが、理證晴連の四字だと思っている。
 ちなみに晴連は、青蓮の通音から。
 私は酒が好きだ。青蓮居士を名乗った酒仙の生きざまに一歩でも近づけたらとの思いから、通音の晴連を選んだ。
   


Posted by 柴田晴廣 at 21:20Comments(0)雑談

2020年03月27日

日本一のド田舎・東京

 都知事の小池が「首都東京を護ることはクニを護ること」との発言をした。
 以前にも書いたが、主権在民での政治家の仕事はクニを護ることではなく、民を護ること。
 都知事小池は、主権在民の意味が解っていない政治屋ということになる。
 首都東京の都知事が、こうした発言をすること自体、都民の民意が知れる。  


Posted by 柴田晴廣 at 08:08Comments(0)雑談

2020年03月23日

豊川市在住者が感染

 コロナを作っていたトヨタの社員が感染とはしゃれにもならん。
  


Posted by 柴田晴廣 at 07:11Comments(0)雑談

2020年03月18日

冬物シャツを畳む

冬物シャツ
 すっかり春めいてきました。
 アイロンを掛けておいた冬物のシャツをしまおうと畳みました。
 もう少し薄手のものは、もう少し畳まずに置こうと思います。  


Posted by 柴田晴廣 at 17:56Comments(0)雑談

2020年03月15日

還暦

明山荘1
明山荘2
明山荘3
明山荘4
明山荘5
明山荘6

 予定通り、明山荘で、母と還暦祝いをしてきました。
 父が健在なら、父の米寿の祝いを兼ねてやりたかったのですが、昨年六月、父が急逝してそれが叶わなかったことが残念です。
 昨日は、雨でしたが、今日は晴れました。
 晴廣の名前倒れにならなくてほっとしております(笑)

 では、予告通り、私の還暦についての考えや位置付けについて簡単に記したいと思います。
 「冠婚葬祭」という言葉があります。儒教文化圏にみられる生前及び没後の儀式です。
 儒教文化圏ということで、「冠婚葬祭」は、従属者の德目の一つ「孝」に基づいて行われるものです。
 「冠婚」は、生前の、「葬祭」は没後に行われるものです。
 信長が好んだ幸若舞『敦盛」の一節に「人間五十年下天の内を比ぶれば」とあります。
 人生五十年の時代、還暦は想定されていなかったわけです。
 冠は、總角を改め、冠(烏帽子を初めてつけること。乳幼児の致死率が高かった時代、元服を迎えることは目出たいことだったわけです。
 親に先立つ子は不孝とされ、わが国でも賽の河原での石積みの譚が伝わります。
 次に婚。子孫を残す=家を残すということで、儒教の価値観でいえば、家はもっとも大事なものです。
 葬。「あなたの最後の親孝行」といった葬儀社のCМがあるように、これも「孝」に基づくものです。ただこのCМ。儒教の価値観からいえば間違っています。祭もまた子孫が行う「孝」に基づく行事だからです。
 上記のように、人生五十年の時代には、想定されていなかっただけで、還暦も通過儀礼として現代的な意味での「冠婚葬祭」になるのではないかというのが私の考えであり、還暦の位置付けです。
 杜甫の七言律詩「曲江」二首の二の頷聯二句目の「人生七十古來稀」を出典とする数え七十歳を祝う古希どころか、喜寿、傘寿、米寿、卒寿、白寿を祝う人も珍しくありません。
 このまま平均寿命が延びれば、二度目の還暦祝いなんていうのも出て来るでしょう。

 有意義な時間を過ごせました。
 料理も担当の方の対応も頗るよかったです。
 それにしても、陽のあるうちから呑む酒は旨い。
明山荘7
  


Posted by 柴田晴廣 at 17:00Comments(0)雑談

2020年03月14日

記念写真



 本日の午前中に、大分以前(1980年代半ば)に買ったGLENOVER(http://www.savilerowclub.com/clipboard/archives/2407)のネイビーのブレザーにグレーのスラックス、首元はボウタイを結び、赤のオッドベストといったスタイルで写真館に出掛け、記念写真を撮影してきました。
 明日は予約してある三谷の明山荘で、下記のコースで、昼から一盃やります。
https://www.meizanso.com/food/otohime.htm
 明山荘の日帰り入浴は、私のがん治療の柱の一つでした。
 明山荘には、記念写真と同じ格好で、ホンブルグを冠って出掛けるつもりです。
 記念写真と明日出掛ける際の服装の赤のオッドベストからわかるように、明日私は還暦を迎えます。
 また還暦についての私の考えや位置付けについて書いてみようと思っております。  


Posted by 柴田晴廣 at 16:33Comments(0)雑談

2020年03月12日

厚生行政に私が思うこと

 ここで何度も記しているが、私は2016年5月に大腸がんの手術を受け、2017年7月、豊川市民病院の藪医者・加藤瑛(現在豊田市の中野胃腸病院(http://nakanohp.com/hospital/doctors/)に転勤)が、肺への転移を見落としており、末期がん(笑)で、余命半年と宣告された。
 藪医者加藤は誤魔化そうと出鱈目な説明をしたため、私は特許庁㏋の電子図書館からがん治療薬等の特許公報をあたり、がんの発生、転移、再発のメカニズムを把握し、幾つかの学術論文も読み、治療計画を立てた。
 そこでわかったのが、現行のがん治療の標準ガイドラインが出鱈目だということだった。その出鱈目さ加減を挙げたらきりがない。検査の手順から、治療の手順まで、全てが合理性を欠くものなのだ。
 そんな欠陥マニュアルに疑問を持つこともなく、ましてやまともなマニュアルを作成する能力がないのが、医学会なのだ。
 つまりファストフードの店員などと同様に、マニュアルがなければ動けないのが、多くの現在の医者なのだ。
 しかもファーストフード店のマニュアルのようにまともなものではなく、欠陥マニュアルなのだ。
 そうした創造力もない、このクニの医師が、新型コロナに対応できるはずもないと、私はテレビを見ながら、考えている。
 医師に限らず創造力が豊かな者は、このクニでは生きづらいから、医学の知識があるような者は、さっさと海外に移住しているだろう。
 医師についていろいろ書いてきたが、がん治療の標準ガイドラインのような疑似科学マニュアルをほかっておいたのは、ほかならぬ厚生行政機関だ。
 厚生行政機関が新型コロナに対応できるわけがない。
 私の感想を書けば、感冒やインフルエンザの流行時には、自分の周りにも多くの感染者を見るが、コロナ感染者に幸か不幸か出くわしたことはない。
 興味もないからちゃんとした数字はつかんでないが、出歩いちゃいかんと言ってる割には、交通事故に遭遇するより、コロナの感染の方がはるかに低いのではないだろうか。致死率もしかりだ。
 もっともみんなもっと出歩こうなどと薦めるつもりはないが、交通事故の遭遇率を考えれば、テレビなどの報道は、大げさすぎると私には映る。
 踊らされやすい国民性ということだろう。  


Posted by 柴田晴廣 at 13:11Comments(0)雑談

2020年03月11日

優越的地位の濫用

 成熟した資本主義社会の弊害と、その成熟した資本主義社会での共産主義・社会主義の機能という点、だいぶ整理出来ました。
 特定の者の独占、優越的地位の濫用、独占による支配・搾取といったものが、寄生地主と小作、産業資本家と賃金労働者のみならず、元請と下請、フランチャイジーとフランチャイザーに共通する問題ということになるかと思います。
 私は学問、芸術、宗教には、経世済民ないし衆生救済(衆生済度)という視点が核心になければならないと考えています。
 上記の特定の者の独占、優越的地位の濫用、独占による支配・搾取といった問題を経世済民ないし衆生救済(衆生済度)という視点からのアプローチでどう解決していくか、一応の見解を『牛窪考(増補改訂版)』に落とし込んでみました。
 十ページ余り紙面が増えました。
 2月の投稿で、書いたと思いますが、『牛窪考』は、郷土史を語ったものではありません。
 繰り返しになりますが、私は学問、芸術、宗教には、経世済民ないし衆生救済(衆生済度)という視点が核心になければならないと考えています。当然歴史を語り、検証するにも、この視点が核心になければなりません。
 これも2月の投稿で絵描いたと思いますが、以上の観点から、その分析、検証等に、自己幻想、対幻想、共同幻想という吉本隆明が国家論を語った『共同幻想論』で使った用語を駆使し、本地垂迹説等から、幻想に隠された史実を炙り出し、国史に照射するという手法を採っているのです。
 そしてその論考集が『牛窪考(増補改訂版)』なわけです。
 十ページ余り紙面が増えただけですが、今回の整理により、経世済民ないし衆生救済(衆生済度)という視点は、より核心に迫ったと自負しています。
 私は文系理系といった分類は無意味だとの考えですが、今回、使用者、従業者という分類も時代に即していないことを痛感しました。
  


Posted by 柴田晴廣 at 22:48Comments(0)雑談

2020年03月06日

ちょっと?休憩

至極の時間

 早い時間から呑む酒は旨い。
 陽が長くなったこともあり、陽があるうちから呑めた。
 前にも書いたが、私の至極の時間だ。
 死期が近付いた(笑)わけでもないが、走馬灯のように、いろいろなことが頭を過る。
 余命宣告(爆)を受けて以来、五感が鋭くなったことは確かだ。
 先週の土曜日投稿の「新型コロナ、それに私は何を見るか」で、3月1日付「しんぶん赤旗日曜版」の憲法学者の小林節さんのインタビュー記事を紹介するとともに、その中の資本主義が成熟した日本では、共産主義・社会主義が正常に機能するとの見解は、卓見である旨を述べた。
 そして3月3日付投稿の「このクニの専門家という人種 付けたり「ホンブルグ」のことなど」で、その関連で、コンビニ加盟店ユニオンについて若干の検証をしてみた。
 至極の時間で頭を過るキーワードが、クロスワードパズルを解くようにリンクしてくる。
 そんなわけで、タイトルでは、「ちょっと」と書いたけど、ウェブログは無期限休憩。
 考えが整理でき、信条に変化が生じ、信条に合わなくなった投稿は、予告なく、削除する。
 あしからず。
 それにしても、陽のあるうちから呑む酒は旨い。

※前に書いたと思いますが。私はウェブログを、メモないし備忘録との認識の下、利用しております。
 誤ってメモや備忘録がアップロードされたときは、ご容赦願いいます。  


Posted by 柴田晴廣 at 19:32Comments(0)お知らせ

2020年03月06日

無駄なく使う。そして、スパイス、漢方、リキュール

菜飯

 前回の投稿では、母の要望で、天津飯を作った旨を記し、そこから母の小学校・中学校の同級生の稲垣正浩さんの話に展開した。
 その母の小学校・中学校の女性の同級生の方が、いろいろと野菜を持ってきてくれる。
 大根や人参は、葉付のままでだ。
 そんな大根の葉っぱで菜飯を作った。
 葉っぱと書いたが正確には、葉っぱだけでなく、もったいないから茎も使っている。
 とはいえ、まず葉っぱと茎を分けてから調理する。
 その方が、細かく刻めるからだ。特にこれで茎が細かく刻める。
 大根から葉と茎を切り分け、葉と茎を取り分ける。
 分けた葉と茎をそれぞれできるだけ細かく刻み、それぞれ容器に入れ、塩を振り、それぞれ見合った時間で電子レンジで加熱する。
 加熱が終わったら、一つの器にして混ぜる。
 この刻んで塩を振り加熱した葉と茎を混ぜたものを焚きあがったご飯にかけ、混ぜたものが、掲載の写真だ。
 上記のように、電子レンジを使えば、手間も省ける。省ける手間はどんどん省くべきだ。
 私の祖父は、高い材料を使って、手間をかけて、旨く作れない方がおかしいといっていた。安い材料で手間を省いて、かつ旨いものを安く提供するのが、プロだとも。私もそう思う。
 テレビなどで、コシヒカリかまど炊きなどとの紹介を見ると、私は首を傾げる。土鍋炊きも同様だ。
 国内で一般に市販されている米は、電子炊飯器で炊飯しておいしく食べれるように、品種改良がなされている。
 逆もまたしかりで、電子炊飯器も国内で一般に市販されている汎用米に合わせて技術開発がなされている。
 かまど時代の米を、自家栽培ないし委託農家に栽培してもらい、その米を使っているならともかく、そうでなければかまどや土鍋で焚いて旨いわけがない。  
 もっとも蓼食う虫も好き好きとの諺もある。ただ万人受けするものではないだろう。テレビで紹介されれば、思考停止に陥り、裸の王樣になるということだ。テレビの紹介を鵜呑みにして、かまどや土鍋で炊いた汎用米がおいしいなどと口走る者は、早く特別記念物に指定した方がいいアベ晋三を笑えない。
 かくいう私も蓼食うほどではないが、コシヒカリとササニシキなら、断然ササニシキだ。というよりコシヒカリはねちゃねちゃしていて私の口には合わない。
 話が脱線したが、祖父は安い材料で手間を省いて、かつ旨いものを安く提供するのが、プロだといっていた。
 祖父は、東京で料理の修業をしたが、関東大震災を機に帰ってきて、開いた店はカフェだった。
 カフェといっても、今日のカフェとは違う。モボ・モガを対象に、カクテルなどの酒類を提供していた。女給さんを置いてはいるものの、わが国のスタンドバーのルーツの一つだ。
 そのカクテル、禁酒法時代のアメリカで大いに発展する。密造酒をおいしく提供するために技術が向上したのだ。
 禁酒法時代には、酒の密輸も行われた。主に五大湖を介してだ。アル・カポネがシカゴに本拠を置いたのもこれによる。
 かなり前になるが、洋もくのラークのテレビCМで、ドアに設けられた小窓を開け、「スピーク・ラーク」というと、ドアを開けるというものがあった。
 これは禁酒法時代の潜り酒場「スピーク・イージー」のパロディーだ。このCМが放映されていた時期は、喫煙者に風当たりが強くなり始めたころだったと記憶する。いま思えば、このCМ制作者は、潜り酒場ならぬ潜り喫煙所を想定していたのだろうか?
 父の従弟(祖母の末の妹の長男/ただし祖母の母と祖父は従姉弟であったから祖父とも血縁がある)が、正業とは別に、以前店舗を借りてバーをやっていた。バーテンダーとしての腕は高く、店においてあるスピリッツやリキュール類は安価なものだけであったが、シェークやステアされて出されるカクテルはとても安価なスピリッツやリキュールで作ったものとは思えない味だった。
 そのカクテルで使われるリキュールは、薬草などをアルコールに浸し、薬効成分を抽出したもので、教会や修道院で作られていた。
 ブランデーをベースにするリキュールのブランド・ベネディクティンは、ベネディクティクト派の修道院で作られていたものを起源とする。
 またカクテルに使われるスピリッツの代表格のジンは利尿剤であった。
 私はおつむが弱いのか(笑)、風邪を引くことがまずないが、引き始めなら、アイリッシュ・ウィスキーをベースにハーブや蜂蜜を加えたリキュールのアイリッシュ・ミストを飲めば治るし、漢方の半夏厚朴湯もよく効く。
 実をいえば、漢方もリキュールも、そのルーツはインドのアーユル・ベーダに行き着く。
 漢方薬に使われる鬱金と、カレーに使われるスパイスのターメリックは基本的に同じものであることはよく知られている。
 鬱金とターメリックだけでなく、カレーに使われるスパイスと、漢方に使われる生薬には共通したものも多い。
 私事になるが、私は川芎を煎じた液を水代わりに作るカレーが好きだ。芹系の植物が好きな私は、川芎を煎じた汁に生姜とニンニク、野菜は玉葱とセロリだけを入れたカレーが一番だ。
 辛いものが苦手な人でも、川芎の煎じ液でカレーを作れば、体がポカポカしてくる。
 医食同源なんていうのも、こういったところにある。
 いろいろと話が膨らんできたが、話を戻そう。
 最初に書いたように、うちでは母の同級生から人参も葉付のものをよく貰う。
 私は人参の葉も無駄なく使う。芹が好きな私は、人参も身より葉が好きだ。
 その人参の葉、最近では店で出すところが、まずないが、古典的な洋食・ハムライスに使う。
 極々微塵に刻んだ玉葱とハムを多めのバターで炒め、胡椒と粉末のコンソメで味を調え、冷ごはんに載せ、レンジで加熱し、大きめに切ったハムをフライパンで炒め、加熱された先ほどのご飯をフライパンに入れ、みじん切りにした人参の葉を入れれば、出来上がりだ。
 微塵に刻んだハムと大きめに刻んだハムがポイントといったところだろうか。

※それにしても、食べ物の写真を一緒にアップするだけで、閲覧が急激に増えることにびっくりしている。
 中には、写真を見て、閲覧しようと読み始めたものの、期待していた内容でなかったという者もかなりの数に上ると思うが(笑)
 今日の菜飯は、江戸時代からの吉田宿の名物だから、一応、東三河の民俗の歴史の範疇に入るだろう。  


Posted by 柴田晴廣 at 08:21Comments(0)雑談