2020年10月30日

関東煮

関東煮2

 今月の初旬(10月3日)、祖母の十七回忌の折に、関東煮を作り、祖母をしのんで一盃やった。
https://tokosabu.dosugoi.net/e1158194.html
 今日もまた関東煮を作った。
 前回アップした具とは異なるものを盛ってアップした。
 大根は、米のとぎ汁で下茹でした後に、ほかの具と煮込んだ。
 前回書いたように、沸騰する寸前の火加減で汁は澄んだものになる。
 だいぶ日が短くなったが、日が落ちる前に呑む酒は旨い。
 夏は、酒がぬるくなることから、升で呑むが、少し涼しくなってきたことから、今日は立杭焼のぐい呑みで。
 加えて置けば、私は酒を呑む器にはこだわりがある。
 盃の厚さなどで酒の味は異なる。
 味は、唇に当たる食感によっても変わるからだ。
 ゆえに、呑む酒によって器を選ぶ。
 洋酒にしても同じだ。
 私が好きなスコッチ、フェイマス・グラウス。極々薄いクリスタルのストレートグラスで呑めば、まぎれもなく美味しいスコッチだ。
 ところが、厚めのロックグラスで、オンザロックで出せば、バーボンだといえば、旨いバーボンだといって呑む者も多いだろう。
 酒を呑む器は、酒呑みにとって重要なアイテムだ。
 別にこれは酒に限ったことではない。
 お茶漬け、かけ蕎麦、みそ汁等、器に唇が当たるものは、器の厚みや質感が重要だ。
 和食は器などと至り顔で語る者がいるが、要は、洋食や中華のように、和食は直接口に付けて食するものが多いことからだ。
 ゆえに、器を口に付けない食器は、別段こだわる必要はないと私は思っている。
 上記のように、洋食や中華は直接器に口を付けないが、スプーンや蓮華は口を付ける。これにはこだわる必要があると思っている。  


Posted by 柴田晴廣 at 18:22Comments(0)雑談

2020年10月29日

佃煮

 先日、母の在所の法事で、東京の叔母が、家にも寄った。
 叔母は、義理の叔父(東栄町古戸出身、豊川市立南部中学、愛知県立国府高校、日大芸術学部写真科卒)が東京の電通に就職したため(グリコのプッチンプリンのCM等を手掛ける)、早くに東京に出ていったことから、舘山寺に行ったことがないという。
 そこで、母が「ほいじゃあ行かまいか」ということで、私の運転で浜名湖を一周した。
 そのついでに、やまの松本佃煮店(湖西市入出)に寄って、あさりの佃煮を買った。
 酒に良し、ご飯のお供に良し、お茶漬けに良しと重宝している。
あさりの佃煮

 やまの松本佃煮店がある入出は、三十数年前まで、東海道線の駅のある新居からは三つ目、鷲津からは二つ目の浜名湖汽船の停船場であり、やまの松本佃煮店は停船場から歩いてもわずかな距離であった。
 現代、生活の足であった浜名湖汽船は就航しておらず、入出といってもピンとこない方も多いと思う。
 そんな入出に佃煮屋があるのを知ったのは、このブログの最初の投稿で、コメントをしていただいたい志やさんが入出在住で、入出のお祭りに行ったことだ。
  


Posted by 柴田晴廣 at 06:25Comments(0)雑談

2020年10月25日

小鯛の押し鮨

小鯛の押し鮨
 今日は、小鯛を酢で〆て押し鮨にした。  


Posted by 柴田晴廣 at 16:59Comments(0)雑談

2020年10月22日

母の誕生日

タンメン
 今日10月22日は母の誕生日だ。
 誕生日ということで、昼は母の好きなタンメンを作った。
 母と中華料理屋に行くと、注文は必ずタンメンだ。
 母は丸っと83歳になるが、まぁまぁ普通に生活している。
 若干筋肉の衰えが見えてきたことから、毎週木曜日の午前中、筋トレ中心のリハビリに通っている。
 今日の午前中も、その筋トレ中心のリハビリに出かけた。
 誕生日ということで、職員や利用者の方々で祝ってくれたそうだ。
 母の顔写真の周りに、誕生日らしい絵柄をあしらい、誕生日を祝うメッセージがちりばめられた色紙を持ち帰ってきた。
カニのちらし鮨

 晩は、亡き父の従兄弟で、作家の奥田亜希子さんの母方の祖父に当たる柴田三郎さんから頂いたカニ缶を使ってちらし鮨を作った。
 それと、母の好きなカスタードシュークリームを買ってきた。
 お母さん誕生日おめでとう。私を産んでくれてありがとう。元気で長生きしてください。  


Posted by 柴田晴廣 at 17:27Comments(0)雑談

2020年10月17日

夏の帽子をしまう

 だいぶ涼しくなってきた。帽子も春夏物から秋冬物に替える時期になった。
 そんなことから、春夏物の帽子をしまうことにした。
Fuji Hat パナマ
 まずはFuji Hatのパナマ。網代だが、リボンの上がメッシュになっている。多湿な日本の夏には、やはりメッシュ使いがいい。
Edo Hat 石目 華鬘草
 次に、Edo Hatの石目の華鬘草。華鬘草はケシ科の多年草で、淡紅色の花の形が佛具の華鬘に似ていることから、その名が付いた。その花が鈴なりになる様から鯛釣草とも呼ばれる。石目も多湿な日本の夏には最適だ。
 次に、
 次は前にも投稿した石田製帽の石目のラフィア。
Fuji Hat カンカン帽
 最後はFuji Hatの麦稈眞田のカンカン帽。 英語ではBoaterといい、イタリアの運河の船頭が被っていたものが原型という。
 船頭が被っていたことから、水しぶき等で型崩れしないように、ニスで固めてある。
 そのニスで固めてある帽子をたたくとカンカンと音がすることから、日本ではカンカン帽と呼ばれる。
 明日からは、秋冬物の帽子に切り替えだ。

追記
 9月21日、「鼻緒の挿げ替え」のタイトルで投稿した。
 鼻緒そのものも細いものの方が粋だ。ただ履き辛く、足当たりも悪い。
 夜を徹して踊る郡上踊りの下駄の鼻緒が太いのは、徹夜で踊るため、足当たりと、履き心地をよくするためだ。

  


Posted by 柴田晴廣 at 17:30Comments(0)雑談

2020年10月14日

下手な鉄砲―メタボフォン

 アマゾン、楽天等を騙る迷惑メールが良く来る。
 どれも支払方法の情報を更新してくれというものだ。
 ネット通販のサイトを使ったことはあるが、私は借金が嫌いなことから、代引き等の現金決済だ。
 現金決済で、支払方法の情報を更新というのもおかしなものだ。
 送信先を見れば、アマゾンでも楽天等でもない海外のドメインになっている。
 「下手な鉄砲數打ちゃ中る」との言葉があるが、まさにこの支払方法の情報を更新してくれとの迷惑メールはこの言葉にぴったりだ。
 加えて置けば、借金が嫌いだから、月賦から名を替えたローンなんていうのも利用しない。車などの高額な商品も現金決済だ。
 一応クレジットカードは、金融機関にせがまれて契約はしているが、送られて来たクレジットカードは、即座に鋏で切り刻み廃棄している。
 クレジットカードなど借金の冴えたるものだからだ。

 支払方法の情報の更新以外にも迷惑メールは来る。SNSのアカウントがどうのこうのといったメールだ。先の投稿に記したように私はSNSに興味があるわけではなく、そもそもSNSに登録しているわけではないから、そのアカウントがどうのこうのいったメールが来ること自体がおかしい。これも數打ちゃ中る式の迷惑メールだ。

 先にどれかの投稿で書いたが、私は基本かばんを持たない。
 SNSやインスタグラムなど興味のない私には、ポケットに入らないスマートフォンは持つ気にもならない。
 値段もノートパソコンなどと比べ割高だし、不要な機能が多すぎる。加えてフォンといいながら電話の概念とは大きく離れている。フォンと付けるなら、電話の機能を基本に置くべきだ。
 繰り返しになるが、スマートといいながら、その大きさはスマートどころかメタボフォンだ。
 こんなメタボフォンより、私の信条や生活習慣からは通常のケータイ電話で充分だ。
 メタボフォンをありがたがっている多くの者の気が知れん。  


Posted by 柴田晴廣 at 07:40Comments(0)雑談

2020年10月13日

鯖の押し鮨

鯖の押し鮨
 今晩は、鯖の押し鮨にした。
 私は〆鯖は好きだが、煮た鯖は嫌いだ。
 食べれないものはないが、料理によって嫌いなものがある。
 茄子も和蘭煮や田楽、天麩羅は好きだが、みそ汁の身の茄子は嫌いだ。
 刺身も酒の肴なら白身。ご飯のおかずなら赤身。
 白身の中で一番好きな刺身は沙魚だ。ポン酢に紅葉卸で食せば、酒も進む。
 あと寿司ネタだと、新子が最高だ。時期があるから小肌で我慢するが。
 サヨリも寿司ネタでは好きだ。
 寿司は光物が好きだということになる。
 嫌いなのは、子供受けを狙ったわけのわからん寿司。
 子供受けを狙ったわけのわからん寿司もどきは食べたこともないが……。
 もう一つ食べる気にもならん寿司が、豊川市が観光で推しているゲテモノいなり。  


Posted by 柴田晴廣 at 17:29Comments(0)雑談

2020年10月10日

蜂龍盃とねぎま汁で一盃

蜂龍盃
 本日は、昨日宣言したように、元祿年間に創業したと傳えられる森山酒造(東栄町大字本郷字森山)の蜂龍盃とねぎま汁で一盃。
 酒造元が東栄町ということもあって、花祭でよく振舞われる。
 今年は花祭も中止のようだから、花祭会場で、蜂龍盃をごちそうになれないのは残念だ。
 本Web-logのタイトルは、「東三河の平野部の民俗と歴史」だ。
 花祭は平野部ではなく山間部の奥三河の民俗藝能だが、当然平野部の民俗藝能を考察する上で、比較の対象となる。
 花祭ではないが、花祭と同じく湯立神事を起源とし、田樂の要素が加わった參候祭(設楽町三都橋の牛頭天王社と塔の木觀音堂の祭禮)は、西寶といわれた舊寶飯郡西部の「七福神踊」を考察する上でも欠かせない。
 參候祭は、禰宜と七福神の問答の初めに「參候」と答えることから、參候祭と呼ばれるようになったという。
 一方の「七福神踊」、「七福神踊」といっても、七福神が全部揃うのではなく、辯才天の道化役の白狐が加わる(ただし竹島辯才天の祭禮では、大正時代に辯才天が加わったものの白狐はそのまま)。
 また御馬(豊川市御津町御馬)の天王社の祭禮では、元壽老人を欠き、三谷祭及び三谷から傳わったといわれる蒲郡市の祭禮では、毘沙門天を欠く。
 つまり「七福神踊」といっても、五福神プラス白狐の踊りなのだ。
 この五福神プラス白狐という構成、特に三谷祭と三谷から傳わったといわれる毘沙門天を欠く理由を考えるには、參候祭で七福神に登場する天照不動明王からの本地埀迹の考察と、毘沙門天と禰宜の問答を抜きには、語れない。
 また道化役の白狐と參候祭の大黒天が所持する「ぬめくら棒」も関連してくる。
 また參候祭が行われる三都橋の隣の田峯の田峯觀音の由来は、「大天女宮」の棟札を有する柑子(豊川市柑子町)鎭座の出雲神社及び柑子の隣の行明に傳わる羽衣傳説とも関連するものになる。
 このように東三河山間部の奥三河の民俗や歴史と豊川下流域の東三河平野部の民俗や歴史は、密接に繋がっているものなのだ。
 私が花祭を始め、奥三河に足を運び、蜂龍盃を愛するのも、以上のような理由からだ。

ねぎま汁

 次に肴のねぎま汁。見た通り写真映えするものではない。昨日書いたように、アクセス数の増加を狙ったものではなく、あくまでも参考としたアップしたものだ。
 確認のために記して置けば、ねぎまは焼き鳥屋で提供される葱の間に肉を挟んだねぎまのことではない。
 ねぎは葱のことだが、「ま」はマグロの「ま」。
 特に冷蔵技術が発展していないときは、猫も跨いで通ったという猫マタギのマグロのトロ。
 江戸の食通が、好んで食した、「女房子供を質に出してでも食え」といわれた初鰹。
 初鰹は、脂が乗っていない。脂が乗っているのは、戻り鰹だ。
 江戸の食通は、戻り鰹には目もくれない。
 江戸の食通は、脂の乗っている魚を好まなかったのだ。ゆえに猫さえ跨いだのがマグロのトロだった。猫が跨いで通るトロはほとんど廃棄されていた。
 そのトロを使ったのがねぎま汁。当然高級料理ではない。とはいっても、この時代の鍋料理は、旅館で出される鍋のように、一人前ずつ作られた。
 赤身の部分は、漬けにすることにより保存が効き、幕末には寿司ネタにもなった。
 ところがトロを寿司ネタにしたのは、吉野鮨本店(東京都中央区日本橋3-8-11 政吉ビル1F)。
 味もろくにわからない葱を背負った成金鴨客を吉野鮨本店が鴨にしたのが、トロが高級品になるきっかけとなったのだろう。
 葱を背負った成金鴨客が要因になったことを考慮すれば、ネギトロなんていうネタも、絶妙なネーミングだ。
 私のねぎま汁は、ねぎま汁の起源から、現在高級なマグロのトロを使ったものではない。
 本日は、ちょうどメカジキのトロが百グラム、二百二十円程度で売っていたことから、それを購入した。
 葱も本来、白ネギを使うのがベストだが(後述)、時期が早いことから、長ネギを使った。
 以上のような由来を知らないのか、初鰹とともにトロをありがたがる者がいかに多いことか。
 こういった一貫性のなさが、このクニの国民性といえようか。
 世論調査などでもそれがいえる。一貫性のなさが民意の低さにもつながっているのだ。
 嘘つきで、無能の特別天然記念物の安倍が退陣を表明したとたん支持率が上がるのも一貫性のなさからくる民意の低さが顕われたものといえよう。
 加えて置けば、こうした民意の低い者を啓蒙しようと思う心はわずかながら残っているが、迎合するような投稿をしようとは毛頭思っていない。

 ここで私の立ち位置について述べて置けば、「民を護れないクニはとっとと潰す。そして民を護れる新しいクニを創るのが政治家の仕事」と考えている。これとは逆に民にクニを護らせたのが、明治から戦前までのこのクニだ。結果、多くの尊い命が失われた。戦前回帰を目指す自民党という名の無能集団に「民を護るクニ」という当然の概念が芽生えるはずもない。
 上述のように、現在の自由民主党なんていう集団が民を護るなどという観念がないことは一目瞭然だ。かといって野党も民を護れないクニを潰すとの意識を持った議員はいくらかはいるものの、どうやって民を護れる新たなクニをどう創るかというビジョンまで持っている議員はほとんどいないだろう。
 民を護れないクニが自民党の党是のごとくなったきっかけは、小泉不純一郎が淵源だろう。今に続く論点のすり替えも不純一郎が淵源といえよう。
 総理大臣就任当時、私の住む牛久保とも縁の深い牧野氏が領主だった越後長岡藩の米百俵について所信表明で引用した。
 この話は長岡藩士が我慢したものであり、長岡藩の領民に我慢を強いたものではない。ところが不純一郎は、民に我慢を強いることに話をすり替えた。
 「自民党をぶっ壊す」のスローガンで、総裁選に当選したものの、結局ぶっ壊したのは、自民党ではなく、民を護るクニという概念であった。
 その辞書に「民を護るクニ」という言葉が乗っていない新自由主義を掲げる竹中平蔵ブレーンにしたことが大きいだろう。その竹中平蔵をまたぞろブレーンにしているのが貧相な子泣き爺スカだ。
 地主と小作、資本家と労働者、昨今ではコンビニ等のフランチャイジーとフランチャイザーの関係、タレントの事務所遺跡の問題。これらは独占による優越的地位の濫用という弊害にある。GAFAの問題やマイナンバーカード、トピカルな話では学術会議の会員の任命問題も独占による優越的地位の濫用にある。本来芸人は、県りょっくを風刺し、批判する役割を担っていたが、優越的地位を濫用する政権に迎合するする芸人のなんと多いことか。芸人の風上にも置けない。そんな中で数少ない権力に迎合しない芸人を批判する者も多くいる。芸というものが何かもわかっていない、無能なネトウヨ連中だ。
 新自由主義は、この弊害を是正するどころか、野放しにし、助長している。
 民を護る新たなクニのビジョンは、この弊害をどうするかにある。
 れいわ新撰組の消費税廃止は、このビジョンの一部にしか過ぎない。全体のビジョンを描ける議員と政党の出現を切に望む。

 さて肝心の「ねぎまの殿様」であるが、基本的には「目黒のサンマ」と同じモチーフだ。
 本鄕に上屋敷を有するある大名が、雪の朝に三太夫(落語で三太夫という場合、家老のことをいう)を伴い馬で湯島の切通から池之端仲町、下谷広小路まで駆けると、小料理屋が竝んでおり、下々の者が入り浸る煮賣屋に入り、町人が食べていたねぎま汁とダリ(灘の生一本のこと)を注文する。
 注文を取りに来た小僧は早口で、殿様にはねぎま汁が「にゃー」としか聞こえなかった。
 出されたねぎま汁の葱を食した殿様が口に入れて噛むと、ぴゅーと熱い芯が鉄砲のように飛び出て喉を直撃。殿様は「この葱は鉄砲仕掛けと」、先に白ネギが最適としたのは、葱が鉄砲仕掛けになるからだ。
 このねぎま汁の味が忘れない殿様は、屋敷に歸って「にゃー」が食したいと注文。
 ところが、出されたねぎま汁は、「目黒のサンマ」のサンマと同様に期待したものではなく、マグロの血合いは捨て、葱も白いところだけを使った鼠色の代物。
 殿様は、これは、葱の緑と白、マグロの血合いの赤の「三毛のにゃー」ではなく、鼠の「ちゅー」だと。
 料理番は、同行した三太夫に詳細を聞き、「三毛のニャー」を出す。そこで満足した殿様は、下谷広小路で食べた時と同じように醤油樽に腰掛けダリを呑むというシチュエーションだ。

 ここで、私のねぎま汁の作り方を記して置けば、さすがに「ねぎまの殿様」のようにアラや骨まで入れないが、メカジキのトロの切り身をぶつ切りにし、刻み生姜と醤油(私は例のごとくイチビキのつゆの素と椎茸昆布醤油)に一時間ほどつけて置く。
 また土鍋に出汁昆布を水で浸して置く。
 出汁昆布を入れた土鍋を熱し、沸騰したら、焼豆腐、ぶつ切りにし、表面を炙って焦がした葱、そしてぶつ切りのメカジキトロの切り身を醤油ごと鍋に入れ、火を止める。
 メカジキには味が染みているし、土鍋だから余熱で火も入る。メカジキも軟らかく、刻み生姜と一緒に漬けてあるから臭みもなく美味しくいただける。
 余ったときは、砂糖か本味醂を汁に加え(魚の身が硬くなったときは砂糖、軟らかいままのときは本味醂)、卵でとじ、親子丼風にして食す。
 ねぎま汁は決して高価な料理ではない。「ねぎまの殿様」の世界のものとは異なるが、アレンジしてシンプルで安価に仕上げた。   


Posted by 柴田晴廣 at 18:09Comments(0)穂国幻史考牛窪考(増補版)雑談

2020年10月10日

香露たぬきそば

香露たぬきそば
 昼は、香露のたぬきそばにした。
 母は、温とい方がいいということで、温といたぬきそばにした。
 温といのと冷たいのでは、当然つゆのレシピは異なる。
 好みもあるし、別々に作ったことから、温といつゆは、母の口に合わせて作った。
 晩は予定通り、蜂龍盃にねぎま汁で一盃。
  
タグ :香露そば


Posted by 柴田晴廣 at 12:23Comments(0)雑談

2020年10月09日

豆腐と里芋の田楽

豆腐と里芋の田楽
 本日は先日頂いた茄子と獅子唐の田楽を作ったときの味噌が余っていたことから、その余った味噌で豆腐と里芋の田楽を作って、一盃やっている。
 このブログのプロフィールに書いてあるように、料理なんていうのは、私にとっては、息を吸うようなもの。ゆえに料理の投稿は雑談のカテゴリーにしてある。
 その雑談の中でも、私からすれば、一番の雑談だ。推敲するでもなく、息を吸うように投稿したもの。
 このブログのタイトルは、「東三河平野部の民俗と歴史」、私が書きたくて、読んでいただきたいのは、その「東三河平野部の民俗と歴史」についての投稿だ。
 ただ、こうした私が拡散したい投稿が、インターネットという媒体で情報発信したところで、たいして拡散できないことは、私自身一番認識している。
 わかっているからこそ、管理画面でランキング対象外にこのブログは設定してある(設定してあれば、豊川市のランクの圏内にゆうに入るが……。加えてランキング設定してあれば、そのランキングに掲載されていることから、アクセスする者もあり、さらにランキングはアップするだろうが……。そもそもランキングを意識していれば、もっと異なるテーマでブログの表題を設定しただろう。料理の記事を投稿しているのは、バーチャルの世界ではなく、現実の世界での知り合いの方たちから、ご飯作りの参考にしたいからといわれたことによる。つまり、金をとって他人に食べさせることを前提したものではないのだ。バーチャルの世界を意識して書いたものでないから、詳細は省いてある。詳細が省いてある投稿に閲覧者が集まるのに正直驚愕している(笑)。そんな感覚の私ですからSNSだのインスタグラムなどには全く興味はなく、スマホの必要性も感じていないし、持ってもいない)。
 ただ、料理の投稿以外、つまり私が本当に情報を発信したい投稿についても、なぜか管理画面の「足あと」の項目を見ると、どすごいブログのランキングのかなりの上位にランクされている方数名(ランク五位までに入っている方が二人、そのほかの方も各地域のランキングで五位以内)が読んで頂いているようだ。
 それはそれでまことにありがたいことである。
 明日は落語の演目にもなっている「ねぎま汁」に酒は蜂龍盃で一盃と思っている。
 当然、落語の演目「ねぎまの殿様」にも言及した投稿を考えている。
 料理の写真と、数行の投稿より、明日予定している投稿のようなものを読んでいただくことが、私からいえば、本望だ。
 たぶん閲覧者に忖度した投稿にはならないと思うが(苦笑)……。  


Posted by 柴田晴廣 at 19:29Comments(0)雑談