2020年12月31日

雪の舞う大晦日

 昼はそばを茹で、盛そばにして手繰った。母は、あったかいのがいいということで、特大の海老天を載せた温かい天ぷらそばにした。

鯛のあらい

茹で海老

 夜用に、鯛のあらいと海老を茹でた。
 鯛のあらいは、溜や醤油ではなく。白だしで食すのが好きだ。鯛の旨みをこわさず、よりおいしく食せるからだ。
 貧乏性の私は(笑)、鯛のあらいに使った氷水に昆布茶を加え、春雨を入れて吸い物にする。これがなかなかいける。試してみればわかるが上品な仕上がりになる。

 朝、サンヨネ豊川店に買い物に行った。9時開店の10分前に着いたが、すでに駐車場はほぼいっぱいで、車を降りて開店を待つ客の行列は、駐車場の入り口近くまで延びていた。
 大晦日の賑わいであろうが、なんか年の瀬のあわただしさが実感できない。これもトランプウィルスのせいか。
 雪の舞う大晦日は、遠州宮口の花の舞で一盃

 サンヨネについて加えて置けば、このブログの投稿で何度か登場している、亡き父の従兄弟・柴田三郎さんの母親が、サンヨネの創業者の妹の娘だ。
 何度か書いているように、私の家は桶屋の傍ら、露天商の親方をやっていた。創業当初のサンヨネの塩蔵の桶はうちで作っていたようだ。
 また私の母のすぐ下の妹の長男(私より二学年下)が、蒲郡店や高師店で店長をやっていた。  


Posted by 柴田晴廣 at 16:29Comments(0)雑談

2020年12月29日

DENTSの手袋

デンツ

デンツロゴ」

 手袋といえば、やはりDENTSだろう。
 DENTSの手袋といえば、ペッカリー(Peccary)が思い浮かぶが、これは、ヘアシープレザーの防寒用。
 防寒はもとより、指は動かしやすく、手に吸い付くような感触は、やはり手袋の最高峰DENTSだ。
 私の余所行きの手袋だ。

イミテーションレザーの手袋

 これとは別に普段使いのものに、イミテーションレザーのチェコの軍用手袋、イミテーションレザーのスェードのベージュのものを持っている。
 軍用といっても、日本の軍手とはえらい違いだ。指が容易に動く、防寒、防傷といった機能性のみならず、デザインも優れている。
 粋な海軍、野暮な陸軍といわれただけある。
 私は明治政府が嫌いだ。どこかで書いたと思うが、私の家は現在の愛大の敷地内にあった。
 十五師團の移轉とともに、強制撤去された。しかも保証なしでだ。
 私の家は、露天商の親方と桶屋をやっていたから、土地には執着はなく、地租改正の折に登記がしてなかったのだろうが、こうした経緯から私は大日本帝國陸軍が大嫌いだ。
 当然、その後継の陸上自衛隊も大嫌いだ。豊川市の中央部に位置する豊川駐屯地をとっとと山の中に移すべきだと思っている。それが豊川の都市計画に不可欠だと思う。
 もっとも、大日本帝國陸軍の中にもまれではあるが、今村均(1886~1968)のような人格者もいたが……
 さて、イミテーションレザーのスェードのものを普段使いと書いたが、正月などの寒い時期に和服を着用するときには、このスェードのものを着用する。
 着物は、以前投稿した羽裏を誂えたものだ(https://tokosabu.dosugoi.net/e1157143.html)。
 もちろん印傳の袋(https://tokosabu.dosugoi.net/e1157254.html)を提げ、ホンブルグ(https://tokosabu.dosugoi.net/e1128320.html)などの帽子をかぶる。
 そして寒い時期だから防寒対策として、羽織からはみ出ないように仕立てた桟留縞(https://tokosabu.dosugoi.net/e989330.html)の綿入れを着込む。
 DENTSの手袋から脱線したが、筆をおく。

追記
 甲の部分が鹿の子のウールニットで、手のひらの部分が革の手袋を高校のころ愛用していた。
 これもなかなか捨てがたい。いいものを見つけたら購入しようか。
  
タグ :デンツ


Posted by 柴田晴廣 at 12:42Comments(0)雑談

2020年12月28日

嘘つきは泥棒の始まり―このクニの税金泥棒たち

 鼻がもげた象をひしゃいだような無残な顔の無脳のバカ象が嘘つきなことは、周知になったが、貧相な子泣き爺ゲースーもバカ象に負けず劣らず、嘘つきだ。
 年末年始会食はしないといった舌の根も乾かないうちに、宮城県の村井嘉浩知事、広島県の湯崎英彦知事、浜松市の鈴木康友市長からの「Go To トラベル」の早期再開要請に応じて会食している。
 こいつもバカ象も、税金を私物化する税金泥棒であること、これも周知の事実だ。
 バカ象、ゲースーのほかにも、このクニの国会議員の中には、嘘つきは税金泥棒の始まりが、うようよいる。特に自由民主党というろくでもない集団の中に。  


Posted by 柴田晴廣 at 15:38Comments(0)雑談

2020年12月26日

鳥取名物・豆腐竹輪

豆腐竹輪

 大学の同級生で、鳥取在住の田村晴夫氏から、次郎柿の返礼で鳥取名物の豆腐竹輪が送られてきた。
 さぁどれを食べようか。
 当然、どれも酒には合うだろう。
 田村氏とは学部は違ったが、一緒によく呑んだ。
 拙著のタイトルや私のホームページ「穂国幻史考」(http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/)のタイトルを揮毫してくれたのが田村氏だ(田村氏の雅號は凡鳥)。
 書だけでなく、躰道部主将として、確か学生選手権個人で優勝しているはずだ。
 書と躰道ということになれば、当時躰道部の監督だった小椋長嗣さんも、書も優れていたが、全日本選手権の優勝者だ。
 小椋の苗字からわかるように、小椋さんのお爺さんは、木地師だったという。
 小椋氏も酒豪といっていい部類の人だ。  
タグ :豆腐竹輪


Posted by 柴田晴廣 at 16:31Comments(0)雑談

2020年12月24日

クリスマス

 今日はクリスマスイブ。
 クリスマスは、真偽はともかく、キリストの生誕に基づくものだ。
 はっきりいって、唯一神教は私の信条には合わない。
 私の信条は八百萬の神祭りに基づく多様性にあるからだ。
 ゆえに、記紀と両輪をなす中臣神道は私の信条に合わず、漢字で書かれた記紀から宣長のいう漢心を除けば何も残らない。
 さらに唯一神教の概念を導入した篤胤が唱えた平田學派の影響を受けた国家神道やその後継である神社本庁による神道も私の信条とは乖離したものだ。
 簡単にいえば、神佛習合こそが私の信条に近いものだ。
 とはいえ、行事としてクリスマスを楽しむつもりはある。要はクリスマスにかこつけて、一盃呑もうという魂胆だ。
 今晩は、ローストポークでも買って、安いワインで一盃と考えている。唐揚げの好きな母には揚げたての唐揚げを。一応、YouTubeでクリスマスソングをチョイスし、ノートパソコンで流しながら。

 さて、西暦はキリスト教の立場でいえば、キリストの生誕を紀元としたものだ。
 だから、イスラム社会では、預言者ムハンマドがマッカからマディーナへ聖遷(ヒジュラ)したユリウス暦622年を「ヒジュラの年」と定めヒジュラ暦元年とする暦法が用いられる。
 上記のように、唯一神教は私の信条には合わないため、西暦もイスラム歴も使いたくはない。
 もちろん、時間は王が支配するとの中国の思想に基づいた元号も主権在民のクニにはふさわしいものではない。ちなみに中華人民共和国では、この発想から北京時間のみが使用されている。西のチベット自治区等の未明の事件でも、夜が明らかに明けた現地時間(北京時間)で報道される、中華民國も、臺北時間でなく、國民黨政府が置かれた南京時間を使用している。
 私は主権在民を謳う現行憲法施行の年を日本国元年とする紀年が望ましいと考えている。
 ゆえに、『穂国幻史考』以来、拙著のあとがきの末尾は「日本国〇〇年〇月吉日  穗國宮島鄕常左府にて」と記している(常左府(とこさぶ)は牛久保の古名)。
 上述のように、キリスト教社会で使われている西暦はキリストの生誕を紀年にしている。
 ふがいないのは、わが国宗教界だ。
 なぜ佛教界は、佛陀の生誕あるいは宗祖の生誕、寺の創建を以て紀年としないのだろう。せめて御朱印ぐらい上記の紀年を以て書いてほしいものだ。その程度の気概は最低見せて欲しいものだが。
 また國津神を祭神とする神社の御朱印で元号を使うのは、祭神の冒涜であろう。
 特に國譲りで、國を譲り、幽界に去った大國主を祭神とする杵築大社が元号を使うなどもってのほかだ。
 もっとも社家の千家家は、關が原の戰で宇喜多秀家が西軍を裏切ったように、國譲りで裏切り行為を行ったのであろう。ゆえに皇族と平気で結婚するのだ。
 杵築大社が長く大國主を祭神としていなかったのも、千家家の裏切りと関係があるのだろう。大國主を祭神とする杵築大社の社家としてはおおよそふさわしい家とは言えないと私は思う。
 國津神を祭神とする社は、祭神への冒涜になる元号の使用をやめ、神社本庁から離脱すべきだ。これが本来の祭祀の姿だ。
 少なくとも、御朱印には干支で年を表してほしい。そうすれば、丑年の天滿宮の御朱印(天滿天神の使いは牛)、申年の山王權現の御朱印(山王神の使いは猿)を授けてもらうという楽しみも増えよう。
 以上の内容の詳述は『牛窪考(増補改訂版)』に記してある。  


Posted by 柴田晴廣 at 12:34Comments(0)牛窪考(増補版)

2020年12月23日

石狩鍋

石狩鍋


 今晩は石狩鍋風の鍋にした。
 風としたのは、鮭の頭など鮭のあらが入手できなかったからだ(骨付きの切り身は入れてある)。
 この石狩鍋には思い出がある。大学三年の時のことである。
 当時私は東京の大学に行っていたが、大学二年の冬に父がプラスティック射出成型工場を起業した。
 父の起業から三年に進学するまで、その工場を手伝った。
 ちょうど三年進学の折の履修届提出で、当時大東文化大学躰道部コーチで学生課所属の御津町広石出身の鈴木茂嗣さんが、それなら通いで来て、私の家に泊まればいいと提案してくれた。
 鈴木氏のところには、大学の職員の方が多く訪れ、私はその料理番をやらせていただいた。
 石狩鍋とは話が離れたが、ここから石狩鍋の思い出。
 上述のような事情から、私はゼミを履修せず、その代わりに一年で終了する外書購読を履修した。
 ですから、私は卒論を書いていない。
 その外書購読の先生が北海道出身の松田先生だった。
 外書購読の授業は私のほか、ゼミに入れなかった堅そうな二人がいた。
 その外書購読の授業は5限目(確か4:40から)で、最初の授業の折の5時までは、非常に硬い話であったが、5時過ぎると、最初の授業だから、一盃やろうかと大学近く(高島平)の料理屋へ。
 四人で店に入ったが、板わさを四人前頼むと、いきなり四人だから、とりあえずビール四本と。
 それから延々と呑みはじめ、気が付けば、ほかの二人はいなくなっていた。
 その後、その二人は授業に出て来ることはなかった。
 松田先生は、独身で給料のほとんどを、経済学の資料となる書籍等と、呑み代に使っていたという。
 2・3度は教室での授業であったが、何せ学生は私一人ということで、松田先生の研究室で授業を受けることになった。
 こちらから通いであったことから、蓬莱泉の一級を一升瓶で持参した。
 研究室で、呑みながら、前回指定された部分まで、私が訳したものを読み上げ、5時近くになると、研究室を出て、先生のおごりで呑み屋に向かった。
 松田先生は、北海道出身で、北海道料理の店によく連れて行ってくれた。そこで食べたのが石狩鍋だったわけだ。
 石狩鍋をつつきながら、経済だけでなく、いろいろな話を松田先生とした。
 松田先生には感謝している。
 松田先生は若くして亡くなったと聞いている。
 ご冥福を祈る。合掌。   


Posted by 柴田晴廣 at 17:39Comments(0)雑談

2020年12月20日

茶碗蒸し

茶碗蒸し

 今晩は、母が「あんたの作る茶碗蒸しは、そこらの店で食べるより旨いで」とおだてられ、茶碗蒸しを作った。
 具は贅沢してカニ、椎茸、筍に、三つ葉と柚子の皮を添えた。
 汁は、具に使った干しシイタケの戻し汁、昆布茶、イチビキの白だし。
 写真は私の分。
 茶碗蒸しの好きな母には、ご飯茶碗を使った、本物(?)の茶碗蒸し(笑)
 食べ終わった母曰く「丼蒸しでもよかった」  


Posted by 柴田晴廣 at 17:46Comments(0)雑談

2020年12月18日

花の舞と湯豆腐で

花の舞純米酒

 今晩は、父の従兄弟の柴田三郎さんから頂いた「花の舞」純米酒で一盃。
 花の舞酒造の酒藏には何度か行ったことがある。
 気さくな社長で、試飲を勧めてくる。仕込みの水も飲んだことがあるが、これがまたおいしい。
 この水にこの酒ありというところか。

 さて、このWeb-logの読者の中には、遠州の方もいる。
 そこで、花の舞酒造の所在地・浜松市北区宮口について、私の見解を少し述べて置こう。
 この宮口という地名。屯倉が訛ったものといわれる。
 ただ私はこの言説に素直に同意できない。
 この宮口は、『和名類聚抄』二〇卷本の一二部「國郡部」の遠江國の項の麁玉郡の三宅(美也介)鄕に比定されるが、その東隣は、赤狭鄕であったと推定される。
 井伊盛直の二男・俊直は、この赤狭鄕に因み赤佐を名乘る。
 さて、その井伊氏であるが、始祖・共保(1010~1093)の母は、三宅を本姓とする井端谷篤茂の娘とする説がある。私は三宅の地名は、この井伊氏ゆかりの三宅に因むと私は考える。
 ここで井伊氏について付け加えて置けば、菩提寺の萬松山龍潭寺(浜松市北区引佐町井伊谷/臨済宗妙心寺派)の本尊の虚空藏菩薩、渭伊神社(浜松市北区引佐町井伊谷)の字名及び裏山の名等から、本姓は三島神を奉戴した伊豫橘氏と考える。
 なお、『佐渡御勘氣抄』で、「日本國東夷東條安房の國の海邊の施陀羅が子なり」と自らの出自を語る日蓮(1222~1282)は、幕府から牛の屠殺と牛肉の精肉を唯一認められていた彦根藩主の井伊家の庶流である。
 以上については、推敲中の『牛窪考(増補改訂版)』の拾遺五「検証 東三河の徐福伝説」の補遺「非農耕民はなぜ秦氏の裔を称するのか」の二つ目の見出し「ひょうすべと秦氏――農本主義と非定住者」の二つ目の小見出し「ひょうすべと三島神――三島神が降臨した攝津三島江と上宮天満宮」で詳述してある。

湯豆腐

 肴の湯豆腐についても、コーヒーのような苦い思い出を書いておこうか(笑)。
 消防団に在団していた当時だから、30年以上も前のことになるが、コーヒー味の湯豆腐を食べたことがある。
 別段、私はコーヒーが好きなわけではない。喫茶店に入るなら、断然Barだ。
 そんなコーヒーが好きでもない私がコーヒー味の湯豆腐を食べたいきさつについて語らせてもらう。
 食べた店は、確か開店初日だったと記憶しておる。
 牛久保分団全員が同じものを食べ、ビールを呑んだが、そのうちの半数が、忙しさと開店当日ということもあり、湯豆腐のたれでなく、誤ってアイスコーヒーが注がれていたのである。
 全員が全員、アイスコーヒーであれば、全員でおかしいということになるが、半数はちゃんとした湯豆腐のたれであること、そしてアルコールも入っていることもあり、話がややこしくなった。
 半数は、別におかしな味ではないというのだ。私は運悪くアイスコーヒー組であったが、まさかアイスコーヒーを温めたものだとは思わず、甘苦い変わった味の湯豆腐だと思っておった。
 そんな中で、アイスコーヒー組で、私より五学年上で、現在市会議員を務めておる某氏(苗字は私と同じ)は、本場の京都の湯豆腐は、こういうものだと。
 追加のビールを持ってきてもらったときだと記憶するが、店員に味がおかしいと何人かが問い合わせたところ、手違いでアイスコーヒーだと判明し、新たにちゃんとした湯豆腐を持ってきてくれた。
 もちろん、京都の湯豆腐はこういうものだといった現在市会議員の先生(笑)は、いった手前、やせ我慢してコーヒー味の湯豆腐を完食した(笑)
 言動不一致の貧相な子泣き爺ガースー改め、下司の極み「ゲースー」(笑)とは、比べものにならないぐらい、ブレがない先生だ(笑)
 当然のことだが、今晩の湯豆腐のたれは、コーヒー味ではなく(笑)、味醂、砂糖、醤油に出汁、薬味に葱と柚子の皮を加えたものだ。
 市会議員の先生とは、昨年の「若葉祭」の折も、私の家で、度々コメントを投稿してくれる安達恭史君と三人で一緒に呑んだ。
 今度呑むときは、先生(笑)には、コーヒー味の冷奴でも作ってあげようか(笑)
 三十数年ぶりで食べるコーヒー味の豆腐料理にT君先生がどんな反応をするか楽しみだ(笑)
  


Posted by 柴田晴廣 at 16:59Comments(0)牛窪考(増補版)雑談

2020年12月10日

ちゃんぽん

ちゃんぽん

 今日の昼は油そば(焼きそば用の麺)と豚骨スープを買ってきて、ちゃんぽんを作った。
 具はイカ、ニンジン、キャベツ、もやし。すりごまをと紅しょうがを載せた。

追記(13:43)
 豊川市民病院で19人のクラスターが発生している。
 豊川市民病院でがんの転移を見落とされ、挙句の果てに、特許庁の電子図書館でがん治療薬の発明を検索して、公報を眺めるだけで、嘘だと見破られるような誤魔化しの説明を受けた私からすれば、さもありなんというところか。
 このほか、入院、通院した経験から、医師個人、看護師個人というより、医療機関として出鱈目なのが豊川市民病院だということにも気が付いた。さらに市の職員が派遣されている事務方はお粗末なものだった。
 その豊川市民病院。副市長時代の竹本が設立に尽力した。豊川市長の竹本は医療行政のイロハもわかってない者ということになる。
 竹本が市長では、これから、豊川市民病院のクラスターは益々増えるだろう。
 その最大の原因は、やはり副市長時代に豊川市民病院という組織を作り上げた竹本にあるといえよう。  


Posted by 柴田晴廣 at 13:03Comments(0)雑談

2020年12月05日

本日も

しぼってそのまま

 本日も、親しい方から頂いた日本酒で一盃。
 肴は昨日の鍋の残り。
 ぼちぼち呑み始めるか。
  


Posted by 柴田晴廣 at 16:53Comments(0)雑談