2020年02月16日

地方自治体設置の説明板(善光庵前の豊川市教育委員会の説明板)

 当時の小坂井町教育委員会が設置した説明板とは、離れますが、史跡などに地方自治体が説明板を設置することはよくあります。
 たとえば、豊川市南大通二丁目の善光庵前に豊川市教育委員会が設置した説明板には、

 善光庵は、永禄年中天台寺院として智山法師が創立しました。その後廃寺となっていたのを元禄二年(一六八九)潮音道海が黄檗宗お寺院として復興しました。
 厨子には、藤原様式の本尊「聖観世音菩薩立像」が、また右手には、正徳三年(一七一三)智戒和尚勧進の「青銅弥勒仏頭」が安置され、共に市の文化財に指定されています。
 なお左右の祭壇には、金色の輝きを残す六十三体の観音群像が祀られています。
                     豊川市教育委員会

と記されています。
 潮音道海は、臨済宗黄檗派の僧侶ですし、善光庵を黄檗派の寺院として再建した僧侶として、相応しい人物だと思います。
 それはさておき、潮音道海。この説明がないのもおかしなものですし、そもそも潮音道海と聞いて、「えぇ」と思う人はまずいないのではないかと思います。
 この潮音道海、知っている人は知っている。その道ではメジャーな人物です。
 どうメジャーか。
 大成經弾圧事件で、大成經の偽作者と目された人物が、この潮音道海です。
 偽作者と目されたにもかかわらず、綱吉側近の牧野成貞(1635~1712)との関係から罪一等が減ぜられております。
 その牧野家の故地に再建された善光庵の再建者が潮音道海なのです。
 またその大成經弾圧事件で罪に問われた長野采女が亡くなった地が吉田なのです。
 そう考えると、さらっとかいてある善光庵に設置された説明板。なかなか意味深いものになってきます。
 その善光庵の再建に関わった潮音道海と大成經について検証したのが、拾遺四「善光庵の創建と再建」です。
 その目次は以下の通りです。

 (拾遺四) 善光庵の創建と再建 2056
   善光庵の創建と善光寺如来 2056
    古記に見える善光寺如来の由来(2057) 善光寺如来が上善寺に安置された経緯(2063) 善光寺池と善光寺川(2067)
   善光庵の再建者・潮音道海と「大成經弾圧事件」 2069
    『大成經』とは(2071) 潮音道海と『大成經』(2075) 長野采女と京極内藏之助(2092) 「伊雜宮事件」(2098) 忌部澹齋と『大成經』(2109) 長野采女と廣田丹斎(忌部澹齋)(2119) 高野本と山鹿素行(2123) 高野本と鷦鷯本の関係(2141) その後の潮音道海(2146)
 



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Posted by 柴田晴廣 at 01:23│Comments(0)牛窪考(増補版)
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