2020年11月30日

日本一のバカボン一家

 親が親なら子も子という言葉がある。
 先にドナルドダックのような唇をした小室輕との結婚を望むバカ娘の話を書いた(バカ姉妹はicuとかいう大学病院(笑)でバカの集中治療を受けていたのではないのか?)。
 https://tokosabu.dosugoi.net/e1164364.html の追記
 そのとき親の顔が見てみたいと思った。
 その父親の会見を見て、この親にしてこの子ありと率直に思った。
 その日本一のバカボン一家のバカボン娘のパパは、日本国憲法第三章「国民の権利及び義務」の中の24条の1項冒頭の「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」を引用し、バカ娘と小室輕の結婚を認めるとの発言をした。
 皇族に日本国憲法第三章の「国民の権利及び義務」が認められるかについては、議論が分かれている。そもそも皇族には、戸籍がないからだ。
 上記の24条は、同章の14条1項の法の下の平等を前提とするものであるが、同条2項では、「華族その他の貴族の制度は、これを認めない」とある。皇族なんていうのは、華族のさらに上を行くものだ。
 日本一のバカボン一家のバカボンのパパは、これをどう考えているのか。
 さらに同章の30条は納税の義務が規定されているが、皇族は相続税を始め幾つかが免除されている。また同章の27条は、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」と、勤労の義務について規定しているが、バカボン一家、バカボンのパパの父に兄の一家が勤労の義務を果たしているとはとても思えない。バカボン娘のパパの義姉雅子は、勤労には程遠い公務?さえ長年サボっていた。奴らは三日やったらやめられない乞食に等しい。
 これだけ義務が免除されていれば、権利も当然制約される。
 このように考えれば、24条の1項冒頭の「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」を皇族に当てはめることはできないという結論が導かれるのが妥当だ。日本一のバカボン一家に24条1項は適用されないのだ。
 そもそも日本一のバカ娘の結婚を認める根拠がそもそも間違っているのだ。
 日本国憲法99条は、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」とある。日本一のバカボン一家のバカボンパパは将来天皇になる立場にある。
 皇族がこういった悪い見本を示すから、政府がろくでもない憲法や法律の解釈をするのだ。
 結婚を認めるなら、結婚前にバカボン娘を勘当して、皇籍離脱を促すべきだ。税金で食わせてもらって、教育も施され、これではやっぱりバカボンなのだ。自民党政権の税金の私的流用の見本も、皇族にあるといっていいだろう。安倍やスカの無責任体質の見本も同様だ。
 先にも書いたように、憲法1章を削除し、宮内庁を解体し、天皇は人間国宝にし、文化庁が管轄すればいい。
 私は皇族なんて言うものをすごいものなどと微塵も思っていない。『太平記』での高師直や土岐頼遠と同様の感覚だ。
 どこかで書いたと思うが、私の家は露天商の親方だった。
 祖父が、博徒と一即多になり、暴力団化するのを嫌って辞めたが、伝承は私も受け継いでいる。
 一般に露天商は、秦川勝を祖とするといわれるが、私の家の口伝では天香具山命の子孫だという。ゆえに香具師の字を当てる。
 天香具山命は、天火明命の子で、天火明命は、二ニギより先に天降ったとされる。
 私は神話を真実とは思わないが、天皇なんてしょせんその程度のものなのだ。
 また私の家の口伝では、かぐや姫も天香具山命と同族だという。
 二ニギの天孫降臨は、持統と孫の文武の姿が投影されているという。
 かぐや姫を主人公とする『竹取物語』は、その文武の時代を舞台とするものだ。
 『竹取物語』をそうした視点で読めば、かぐや姫は、天皇の寿命を短くする呪いをかけた磐長姫と重なる。
 ちなみに「君が代」は天皇の寿命を縮める呪いをかけた磐長姫を賛美した歌とも解釈できる。
 加えて、私の母方の家系はトミノナガスネヒコの末裔との伝承を持つ。
 香具山命の子孫で、かつナガスネヒコの子孫であるという伝承を伝え聞いている私の立場からすれば、新参者のどこの馬の骨かもわからない出自を持つ天皇(『神皇正統記』より)など取るに足らない存在なのだ。
 最後に今回の発言を巡って、テレビ等では妙に敬語を使っているが、この国はいつから北朝鮮になったのか。
 不気味だ。
 マスコミもこうした対応を取るから、鼻がもげた象をひしゃいたようなどやぐい顔の無脳な安倍や、同じく無脳で貧相な子泣き爺スカに付け込まれて、忖度をせざるを得なくなるのだ。すべての元凶は天皇制にありといっても過言ではない。
 バカボン娘はバカボン娘らしく、ほっぺたに渦巻き模様の化粧をすれば似合うだろう。
 そして一家で皇籍離脱してバカボン一家と名乗ればいい。バカボン娘の旦那はバカボン輕。  


Posted by 柴田晴廣 at 08:32Comments(0)雑談

2020年11月29日

革製品の蘊蓄―高級ブランドのボッタクリ商法

 以前書いたように、基本的に私は鞄を持たない。
 もちろん、ショルダー、トート、ボストン、アルミのアタッシュケースと旅行かばんは持っているし、トートの買い物袋も愛用している。
 ただ、小物等を入れる鞄は持たないということだ。
 ちょっと出かけるときは、家の鍵等を収納したキーケースのみ。

キーケース1

 内側の六連のナス環が付いた部分の革は二重になっている。

キーケース2

 ちょうどここに自動車の運転免許証が入る。札も沢山でなければ、免許と一緒にここに入れる。
 あと小銭はズボンのポケットに。

 小銭が多いときは、小銭入れ。これも小銭を入れてポケットに入れるから、鞄は不要だ。

小銭入れ1

 背面には、カードや保険証が入る大きさのポケットが付いている。

小銭入れ2

 いずれも素材はヌメ革のナチュラル。より詳しくいえば、皮をタンニンで鞣し、染料も顔料も使っていない素の革。
 合成樹脂にL・Vのモノグラムを配したルイ・ヴィトンのバッグ等で唯一使われている革の部分が、ヌメのナチュラルだ。
 元々のヌメのナチュラルは肌色。傷防止や経年による色むらの防止を考えれば、日光に当ててから使うべき。
 その結果、写真のような色になる。
 私はその後、防水性を高めるため、柿渋を塗っている。そして時々であるが、Bees Waxを塗布する。
 和紙と竹で作られた和傘の和紙が防水性が発揮されるのは、柿渋が塗られているからである。
 ルイ・ヴィトンの愛用者の多くは、こうした知識がないのだろう。
 大体、どう見ても安価な合成樹脂の素材にL・Vのモノグラムを配したルイ・ヴィトンのバッグ等は適正価格で販売されているとはとても思えない。簡単にいえばボッタクリだ。
 原価に対して売値が異常に高いから、コピー商品が出回るのだ。ルイ・ヴィトンに限らず。コピー商品が出回っているブランド品は、適正価格でなく、ボッタクリ価格で商品を販売しているといえる。見方を変えれば、この問題も私がしばしば指摘している独占による優越的地位の濫用の弊害に繋がる話だ。
 ちなみにわが国商標法では、指定商品又は指定役務が一つの場合の設定登録料は、28,200円(商標法40条1項/商標権の存続期間は10年)、10年経過したときの更新登録料は、指定商品又は指定役務が一つの場合は38,800円(商標法40条2項/更新による商標権の存続期間も10年)、対して故意に商標権又は専用使用権を侵害した者には、10年以下の懲役若しくは1,000万円以下の罰金に処し、又はこれが併科され(商標法78条)、いわゆる間接侵害(商標法37条及び67条に掲げる行為)をした者に対して、5年以下の懲役若しくは500万円以下の罰金に処し、又はこれが併科され(商標法78条の2)、さらに法人重課として、法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者が、その法人又は人の業務に関し、商標権の侵害行為をしたときは、行為者を罰するほか、その法人に対して3億円以下の罰金、間接侵害をした場合は1億円以下の罰金が課せられる(商標法82条1項)。
 加えて置けば、商標権の侵害罪は非親告罪である(商標法81条の2第2項反対解釈)。
 これだけのリスクを犯しても、ルイ・ヴィトンのコピー商品を始め、ボッタクリ商法のブランド品の製造販売はうまみがあるということだ。ルイ・ヴィトン社の商法これをボッタクリといわずに何をボッタクリといおうか。
 私も愛用しているタイメックスの時計は適正価格で販売されているから、コピー商品が出ているのを聞いたこともなければ見たこともない。
 そう考えれば、ルイ・ヴィトンの信奉者などは、成金趣味の極み、原価計算も出来なければ、審美眼もないということだ。
 安価な材料で作られた出来合いのルイ・ヴィトンのバッグや財布を持つなら、フランスのタンナ―(皮の鞣し業者)Du Puy社の革でビスポークする方がよっぽど賢いし、品もいい。

 話が脱線したが、札が多いときは、マネークリップを使う。これもズボンのポケットにコンパクトに収まる。

マネークリップ

 どうしても、それ以上の荷物があるときは、マネークリップと一緒に写っているスイスの軍用ポーチを仕方なく使う。
 縦約100ミリ、横約200ミリ、幅約30ミリ。厚めの長財布といったところか。
 これに携帯電話(かさばるスマホではない)、デジカメ、そして小銭入れとマネークリップを入れる。
 ちなみに軍用の革製品は、ボックスカーフ等ではなく、タンニン鞣しのナチュラルのもの。
 黄金狂時代でチャップリンが靴を茹でて食べたように、最終的には食料となることから、身体に害があるクロムで鞣したものは使わないのだ。
 ちなみに戦時中の物資不足の折、軍はするめを鞣して軍用の革製品を作ろうとしていたが、保管中に鼠に齧られ、ボツになったという。

追記(11.29 16:32)
 移動手段が公共交通機関で出かけるときは、クラフトテープのホルダーと革の携げ紐が付いた水筒を持参する。

ホルダー付きの水筒

 もちろん水筒の中身はアルコールだ。
 革の提げ紐付きのクラフトテープ製の水筒ホルダーは、現在は廃業してしまったが、近所の帽子屋さんの娘さん(私より確か七学年下)にビスポークした。
 もちろんクラフトテープ部分は、防水のため、柿渋が塗ってある。
 
   


Posted by 柴田晴廣 at 16:03Comments(0)雑談

2020年11月23日

貧相な子泣き爺スカとコロナ対策

 先に独占による優越的地位に基づく権利の濫用の弊害について記したが、これを是正するどころか助長したのが新自由主義だ。
 小泉不純一郎がブレーンとした竹中平蔵がわが国の新自由主義者の代表格だ。
 この竹中平蔵を貧相な子泣き爺スカがまたぞろブレーンとしたが、デービッド・アトキンソンも成長戦略会議の民間議員に起用した。
 このデービッド・アトキンソンは、文化財の修復等を手掛ける小西美術工藝の代表でもある。
 私が通った豊川市立南部中学校の修学旅行は、当時、箱根東京で、日光に行ったのは、このWwb-logの最初の方で、書いたと思うが、私が初めて日光に訪れたのは、2017年12月のことだ。
 平成の大修理が終わった直後のことで、東照宮の彩色も真新しいものであった。
 この修理に携わったのが、小西美術工藝だ。
 ただこの真新しい彩色が、私には妙にチープなものに見えた。タイガーバームガーデンのようなのだ。
 私は、地元の祭礼「若葉祭」で、上若組大山車で、長いこと笛を担当していた。
 ゆえに、自分で笛を作ったり(自分の家を建て替えるときに、壁に使われていた竹を使った。写真真ん中のものが、壁に使われていた竹を使った笛)、出来合いの笛に漆やカシュ―(cashew nutを原料とした人造漆塗料)を塗ったりして、硬度と見栄えをよくした。

篠笛

 この漆やカシュ―での塗に大事なのは、塗りより、乾いてからの研ぎだ。塗っては研ぎを繰り返すことにより、色彩に深みが出る。
 東照宮の建物に施された彫刻の彩色はこの深みがないのだ。
 それもそのはず、小西美術工藝の代表デービッド・アトキンソンは熟練の職人の賃金をカットしていたのである。
 おそらく、研ぎをおろそかにした結果、東照宮がタイガーバームガーデンのようなチープなものになったのだろう。
 こうした文化財の軽視は、貧相な子泣き爺スカと親和性の高い維新にもみられる。財団法人文楽協会への助成金を削減したお茶らケ橋下がいい例だ。
 基本的人権が衝突した場合、経済的自由より精神的自由が優先される。ところが、新自由主義の信奉者の言動を見ていると、経済的自由が優先するようだ。
 貧相な子泣き爺スカが推し進めるGotoもまさに経済優先だ。
 新型コロナの感染者で深刻の地域は、東京都、大阪府、貧相な子泣き爺スカの選挙地盤の神奈川県、そして北海道、愛知県だ。
 先に述べたように、維新は貧相な子泣き爺スカと親和性が高い。北海道知事も貧相な子泣き爺スカが推して知事になった。
 愛知の感染者の半数以上は名古屋市。市長の河村たかしは、減税日本を立ち上げてから、維新に接近した。
 東京都知事の狸婆は、貧相な子泣き爺とは、決して仲がいいわけではないが、Gotoの陰の旗振り役二階とは、仲がいい。
 こうしてみると、コロナの感染拡大は、貧相な子泣き爺の政策が原因だとわかる。
 Gotoを始め、貧相な子泣き爺スカの政策を直ちに中止することが、何よりのコロナ感染拡大防止策である。
 加えて置けば、伝統文化などの造詣がないのが自由民主党という集団であり、その中でも貧相な子泣き爺は、教養も知識もない者である。各地の伝統的な祭礼を中止に追い込み、Gotoを継続すること自体、伝統文化に造詣がない顕れだ。
 こんな奴が総理大臣では明るい未来はない。  


Posted by 柴田晴廣 at 14:08Comments(0)雑談

2020年11月22日

ニューこらく2

 亡父・勇夫と同学年の父の従兄弟・三郎さん(作家の奥田亜希子さんの母方の祖父)のところにお歳暮を持って行った。
 例によって昼は三郎さんと三郎さんの実家のニューこらく(店主は私の又従兄弟で私と同学年の柴田恭男君)で昼飯を食べた。
 注文したのは、とんかつ刺身定食(900円)。

ニューこらく

 美味しくいただきました。満腹です。
 恭男君、弟の行英君(漢字が間違っていたらすみません)ありがとう。  


Posted by 柴田晴廣 at 13:31Comments(0)雑談

2020年11月21日

コロナとトヨタ

 先に豊川市の初の新型コロナ感染者が、コロナを製造販売していたトヨタの社員であった旨を投稿した。
 さすがにトヨタも新型コロナ自動車を製造販売する予定はないようだ(笑)
 そのトヨタ自動車。1~2年ぐらい前の新聞あかはたの報道で、往生際の悪いトランプと同様、国内でほとんど税金を納めていないことが発覚した。
 トヨタ自動車及びトヨタ自動車株式会社代表取締役執行役員社長兼CEO兼CBOの豊田章男には、企業経営理念において社会性という概念が欠如しているのだろう。
 自動織機開発において社会性を意識していた豊田佐吉(1867~1930)は、企業経営理念において社会性の概念がない豊田章男のことを草葉の陰で嘆いているだろう。経営理念において社会性の欠如という一点から捉えれば、トヨタ自動車は、暴力団と同じく反社会的勢力といえる。
 そのトヨタ自動車の本社の所在地豊田市(トヨタ自動車誘致前の市名は挙母市)の市議会議員の4名が新型コロナに感染したという。
 トヨタ自動車は、豊田市の市政にも影響を及ぼしているから、トヨタ自動車の社会性のない社風が姿勢にも影響したということだろう。
 そうした豊田市の政治にも影響を及ぼしているトヨタ自動車の社員で構成されるトヨタ労連が、自公が推薦する議員候補者にも協力するとの表明があった。
 このWeb-logでも何回か取り上げたが、格差の問題は突き詰めれば、独占による優位性による弊害である。
 トヨタ自動車の社員なんていうのは、労働者といえども、独占により下請けから搾取した利益を配分された高給取りだ。
 高卒の若造の中間管理職が、大卒で年上の下請け経営者に上から目線でコストダウンの恫喝をしている場面を私も経験している。この恫喝ぶりはまさに反社会的勢力のそれと同じだ。加えて置けば、これも独占による優越的地位の濫用だ。
 そんな社員により構成されるトヨタ労連の意見に耳を傾けても格差が是正されるはずもない。
 野党もトヨタ労連などとはさっさと縁を切り、コンビニ経営者などで構成される労働組合や中小零細企業の経営者の意見に耳を傾けるべきだ。
 もっとも、共産党を含め、野党の指導者にそうした発想がないから格差は是正されず、政権交替も出来ないのだ。

追記
 豊田市議会議員は、22日にまた一人感染者が確認され、22日時点では豊田市議会議員の感染者は5名。
追記2
 25日時点で、豊田市議会議員のコロナ感染者は7名。  


Posted by 柴田晴廣 at 16:18Comments(0)雑談

2020年11月20日

ちゃんこ鍋と……その薀蓄(笑)

ちゃんこ鍋1

 今日はちゃんこ鍋で一盃。
 具はしゃぶしゃぶ用の豚ロース、豚ひき肉の肉団子、油揚げの半切り、もやし、そしてニラ。
 汁はナカモの「出汁入り合わせ」と「出汁入り赤だし」を半々に、鶏がらスープの素。
 大鍋の写真だけでは、具がわかりずらいだろうから、小皿に取り分けた写真もアップして置く。

ちゃんこ鍋2

 多少の知識がある者は、なんでちゃんこ鍋に、豚肉と思う者もいるだろう。
 私に言わせれば、それはちゃんこの歴史を知らない者の戯言。

 このweb-logの「はじめに」の投稿で書いたと思うが、以前、gooのブログで私は「インターネットの普及で本当に便利になったか」とのタイトルでブログを運営していた。
 このweb-logも「東三河の民俗と歴史」とタイトルであるが、雑談のカテゴリーで、本投稿のように若干逸脱した投稿もある。当時も「インターネットの普及で本当に便利になったか」のタイトルながらも、逸脱した話も投稿していた。
 その逸脱した話の中にあったのが相撲の話である。
 その相撲の話の投稿をもとに、これも以前書いたと思うが、母の小学校、中学校の同級で、筑波大学の教授等を歴任したスポーツ史学会会長だった故・稲垣正浩博士とのメールのやり取り等を取り入れて書き上げtのが、現在推敲中の『牛窪考増補改訂版』の附録1「相撲雜話」だ。
 『牛窪考増補改訂版』に収録してあることから、東三河という視点から相撲をとらえたものであるが、以前投稿したように、私は郷土史をまとめようとしているのでは毛頭ない。
 ゆえに元新潮敏腕編集長・前田速夫さんの著書『白の民俗学へ』の増補新版で、私の研究の成果である『牛窪考』を紹介していただいているわけであるし、前田さんが今年中に完工予定している『海人族の歴史』(仮題)で、私の著作『穂国幻史考』から引用する旨も伝えられている。

 前置きが長くなったが、ちゃんこ鍋の歴史を上記『牛窪考増補改訂版』附録1「相撲雜話」の記載を引用しつつ、薀蓄(笑)を述べて行く。
 さて、わが国や日本語と構文等が一致し、同一の語族とされる韓国・朝鮮語を母語とする玄界灘を隔てた韓半島での食事の基本は、膳であった。一人一膳で食事が振舞われた。
 わが国も韓半島も近代化により衣食住が変容したが、わが国でも旅館の食事や法要などでの宴席での食事は一人一膳が基本だ。韓半島でも「膳の脚が折れるほど」といった表現を使うし、伝統料理は膳で出される。
 当然鍋料理も、旅館での食事で出される鍋料理のように、一人前ずつ出された。誤解のないように記して置けば、わが国で膳で出されていた当時も大鍋がなかったわけではない。
 葬送などで大人数の食事を作るときには、大鍋でみそ汁等を作ったが、大鍋から各自が箸でつついたわけではなく、大鍋から椀に取り分けて膳で出された。

 では、ちゃんこ鍋をはじめとする「かにすき」、「水炊き」等の大鍋から大人数で、つつく鍋のスタイルは、いつ生まれたか。
 このちゃんこ鍋という大鍋をみんなでつつくというスタイルは、現在の出羽一門の創設者・第十九代横綱・常陸山谷右エ門(1874~1922)の人気で、出羽ノ海部屋に入門者が殺到したことによる。
 それまで相撲部屋でも、わが国の伝統的な食事と同様に、一人一膳での食事であった。ところが、上記のように、出羽ノ海部屋では入門者が殺到したことにより、一人一膳では賄いきれなくなり、大鍋に具を入れ、煮て出す。ちゃんこが誕生した。
 この大鍋で出し、各自がつついて食べるのがちゃんこであり、豚や牛は前足(手)を地面につくから、相撲では負けに繋がるから豚や牛はちゃんこに入れないなどは後付けの話である。
 さて、この常陸山であるが、その土俵入りの映像が残っているが、そのせり上がりは、現在の雲竜型の土俵入りでも、不知火型の横綱土俵入りでもない。また常陸山の一代前の横綱・分け綱こと十八代横綱・大砲万右エ門(1869~1918)の土俵入りも、雲竜でもd不知火でもない。
 常陸山と同時に横綱に昇進した第二十代横綱二代目梅ヶ谷藤太郎(1878~1927)の横綱土俵入りは現在の雲竜型に属するものだ。
 では雲竜型、不知火型はいつ始まったか。一般には、雲竜型は第十代横綱雲龍久吉(1823~1890)が始めたといわれるが、雲竜型の横綱土俵入りが確認できる二代梅ケ谷以前の土俵入りが雲竜型でも不知火型でもないことから雲竜が雲竜型の土俵入りの創始者というのも一概には信じられない。第十一代横綱・不知火光右衛門(1825~1879)が始めたというがこれも怪しい。
 川柳で「太刀山は、四十五日で今日も勝ち」(四十五日は「一突き半」の意)と詠まれた第二十二代横綱太刀山峯右エ門(1877~1941)の土俵入りは、太刀山が横綱昇進時に、当時の立行司「ちゃん髷庄之助」こと十六代木村庄之助(1849~1912)が指導したことによる。この「ちょん髷庄之助」、現在の豊橋の船町の煮賣屋永樂屋の主人柘正平の長男新助である。
 横綱土俵入りについて種々書いてきたが、二代梅ケ谷も太刀山も大関朝の山と同様、富山県の出身である。
 富山県の優勝は太刀山以来と相撲中継で紹介されているのを覚えている方もいると思う。
 また現在横綱は雲竜不知火のどちらかの土俵入りを行うが、本場所ではないが、両方の土俵入りを行った横綱がいる。
 蒲郡出身の玉の海と同時に横綱昇進を果たし、公私ともに親交があった北の富士は、巡業中ではあるが、自身の綱が巡業先に届かなかったことから、急逝した盟友玉の海の綱(雲竜と不知火では綱の締め方が異なり、長さが違うため、玉の海の不知火型の綱)を締め、自身の雲竜型の土俵入りではなく、玉の海の不知火型の土俵入りを披露している。玉の海追悼の意味もあったのだろう。
 公私とも仲が良かったという玉の海と北の富士の逸話だ。

 話は変わるが、その太刀山に土俵入りを指導したちょん髷庄之助、明治になってもちょん髷のままで、江戸時代さながらの裃装束で取り組みを裁いていた。
 現在のような烏帽子直埀に代わったのは、ちょん髷庄之助が亡くなった当時の京都出身の十一代式守伊之助(1860~1914)が始めである。
 木村、式守といえば、現在では行事の名跡であるが、親方の名跡である木瀬、式秀は、正式には、木村瀬平、式守秀五郎だ。
 行司が年寄名跡が持てた当時の木瀬部屋、式秀部屋の部屋餅親方は行司であった。
 当然、部屋には土俵があるわけでもなく、他の部屋で稽古をした。行司が親方名跡を持てなくなったのも明治以降のことだ。
 八角理事長は、さも大相撲が伝統行事のようにいうが、大相撲の現在の様式が確立されたのは高々百年程度のことだ。
 加えて置けば、懸賞金制度も明治42(1909)年に兩國々技館が完成して以降のことであり、懸賞金を受け取る際に手刀を切るのが制度化されたのは戦後のことだ。
 現在の大相撲の歴史なんていうのは、そんなに古いものではない。

 現在の土俵に手をついて立つ、立ち合いについて東三河の関連で加えて置けば、紀州藩お抱えの鏡山沖右衞門(?~1739/沖之右衞門ともいわれる)だ。
 その鏡山は、關口流柔術を参考にしたといわれる。
 その關口流柔術の祖・關口氏心(1598?~1670)はd紀州藩お抱えであった。
 この關口氏心、寶飯郡長澤村、現在の豊川市長沢町の出身である。

 本日の酒の肴のちゃんこ鍋から相撲と東三河の関連で絡めた投稿になったが、あえて今回の投稿では、タグ入れなかった。
 料理の写真と簡単な文章の投稿より、今回の投稿を読んでいただきたいというのが私の本心だ。

追記(2020・11・21 9:56)
 昨日は、日本酒を呑みながら(最終的には五合呑んだ)この投稿を書いたため、誤字脱字等があり、該当箇所を書き直した。 

  


Posted by 柴田晴廣 at 21:44Comments(0)穂国幻史考牛窪考(増補版)雑談

2020年11月19日

ナポリタン

ナポリタン

 先に書いたように、私は米の飯より、麺類が好きだ。
 というより、麺類(パスタを含む)があれば、米の飯などいらない。
 ということで、今日の昼はナポリタン。
 ちょっと遅くなったが、アップした。
  
タグ :ナポリタン


Posted by 柴田晴廣 at 14:22Comments(0)雑談

2020年11月16日

味噌煮込みきしめん

味噌煮込みきしめん

 今日は味噌煮込みきしめんを作った。
 麺は岐阜県山県市に本社を置く衣笠製麺の生きしめん二食入り。
 具は戻した干しシイタケ、油揚げ、長ネギ、わかめ、生卵。
 汁は、ナカモの「だし入り赤だし」、同じく「だし入り合わせ」、本味醂、干しシイタケの戻し汁、粉末のかつおだし、昆布茶、水
 自分で作って自画自賛になるが旨かった(苦笑)

追記
 前回、小室軽について言及したが(https://tokosabu.dosugoi.net/e1163931.html
)、なぜ小室軽は、アメリカ留学でアメリカで弁護士資格の取得をもくろんでいるか?
 合衆国であるアメリカでは、弁護士資格も州ごとに実施され、日本の司法試験と比べはるかにやさしい。
 不合格になったら、不服申し立てをすれば、不服申し立てができるなら、法律を知っとるということで、不合格を取り消し、合格にするという州もあるという。アメリカの弁護士資格試験は、日本でいえば、行政書士と同程度のレベルといえよう。
 もちろん、アメリカの弁護士資格であるから、アメリカの弁護士資格を持っていても、日本で弁護士活動ができるわけではない。
 私は小室軽は、ペテン師の素質はあっても、法曹の世界で活躍できるとはとても思えない。
 こうしたペテン師の素質を持った小室軽に引っかかる女。ペテン師ならともかく、ペテン師の素質を持った程度の人物に引っかかる女を皆さんはどう思うだろう。
 意見があれば、コメントしてほしい。  


Posted by 柴田晴廣 at 12:52Comments(0)雑談

2020年11月14日

ロールキャベツ

ロールキャベツ

 今晩のコンソメ味のロールキャベツは母が作った。
 久しぶりの据え膳だ。
 コンソメ味だから、ほとんどのアルコールに合う。
 据え膳で呑むのもわるくない。
 お母さんありがとう。

追記
 貧相な子泣き爺スカによればGo toキャンペーンの見直しの必要がないそうだ。
 こいつは馬鹿か。
 見直しどころか、こんなろくでもないキャンペーンは即座に中止すべきだ。貧相な子泣き爺は税金の使い方もわかっていない。
 貧相な子泣き爺は、見直しの必要のない理由を専門家の意見というが、こいつのいう専門家は一般の専門家の概念とは明らかに違う。
 一般にいう専門家は科学的根拠によりものを申すが、貧相な子泣き爺のいう専門家は、科学的根拠などどうでもよく、貧相な子泣き爺の考えに同調するイエスマンをいう。貧相な子泣き爺は、自分の思い通りにならなければ、駄々をこねるトランプと、その根は変わるものではない。
 貧相な子泣き爺スカも馬鹿だが、貧相な子泣き爺スカのいう専門家も知性の欠片もない。
 こんな貧相な子泣き爺が総理大臣ではコロナなど収束するはずもない。
 貧相な子泣き爺は政治屋を早々に辞めて、ゲゲゲの鬼太郎に出演するだけでいい。
 もっとも、貧相な子泣き爺では、鬼太郎の役には立たず、ねずみ男の手下にもなれないだろうが。

 もう一点。
 またぞろ小室軽の話が出だしたが、そんなに結婚したいのなら、皇籍離脱すればいいだけの話だ。
 もっとも、支度金の一億円も放棄することになるから、小室はさっさと去っていくだろう。
 それも世間知らずの娘にはいい経験だろう。
 小室軽からすれば、皇族だから、価値を見つけているだけで、皇籍離脱すれば、なんの価値もない女と思っているだろう。

 皇室について加えて置けば、主権在民の体制では無用の長物と私は考えている。
 日本国憲法の1章及び7章の88条の削除並びに10章の99条から「天皇又は摂政」の文言を削除すべきと考えている。私は2章をいじる必要はないと考えているが、憲法改正には前向きである。
 そして天皇を文化財保護法71条2項に基づく文部科学大臣が指定した重要無形文化財の保持者として指定すべきと考える。もっとも皇室行事といわれるもののほとんどは、明治以降に明治政府により創られた幻想にすぎないが。
 それはさておき、当然、天皇は文化庁の管轄となり、宮内庁は無用になる。そして天皇陵をはじめとする宮内庁が管轄する陵墓も宮内庁がなくなれば、文化庁の管轄になり、学術調査の対象とすべきと思っている。
 あるいは皇族を京都御所に移し、バチカン化するという手もあると考えている。
 そうなれば、皇族に寄付することも可能になる。皇室崇敬者にとっても、これは願ってもないことだろう。当然この場合も、宮内庁はなくなるから、天皇陵をはじめとする宮内庁管轄の陵墓は、バチカン化された天皇を元首とする別の国の日本国の文化庁の管轄となり、学術調査をすべきと思う。
 野党第一党の立民はもちろんのこと、日本共産党も、これだけのビジョンは描いていないだろう。
 加えて天皇バチカン化を保守を自称する自由民主党が描いていないとすれば、自民党及びその支持者、そしていわゆるネトウヨは、天皇の政治的利用しか考えていないということになろう。

 本論より追記が長くなったが筆を置く。  


Posted by 柴田晴廣 at 16:49Comments(0)雑談

2020年11月13日

トンテキ

トンテキ

 今日はトンテキで一盃。
 もちろん今日は日本酒ではない。
 Canadian Clubが用意してあれば、CC soda(Canadian ClubのHighball/禁酒法時代のspeakeasyでよく呑まれた。力道山(1924~1963)が好んで呑んだ)と行きたいところだが、あいにくCanadian Clubは用意していない。
 さぁ何を呑もうか。

追記
 本日届いた日曜版あかはた(11月15日付)の学術会議任命拒否の問題点の憲法に照らした説明は非常にわかりやすいものだった。
 是非読むことを薦める。
 安部と麻生は、無脳の特別記念物に指定した方がいいと、以前書いたが、スカも一緒に指定すべきだろう。
 差し詰め三バカトリオといったところか。
 こんな連中を総裁指名する自民党なんていう集団自体が無脳集団なんだろう。
 そうでなければ、自由民主党総裁なんていう役はよっぽど軽い役なんだろう。
 自由民主党が与党の座に居座り続ける以上、自由民主党総裁が総理大臣になるのだ。
 自由民主党総裁が誰になろうが構わないが、自由民主党総裁が総理大臣になることは悪夢に他ならない。

  


Posted by 柴田晴廣 at 17:03Comments(0)雑談