2022年11月08日

体調

 本日、豊川市民病院で受診して来た。
 血液検査の結果は、腫瘍マーカーが上限5.0のところ、若干高めの7.2。
 多発性肝腫瘍の名の通り、一か所ではなく、数か所に転移している。
 化学療法で、転移の箇所を減らし、ラジオ波や放射線で退治するとの方針のようだ。
 とりあえず、ロンサーフを服用、12月1日からアバスチンの投与。

]追記(2022.11.09 17:49)
 ロンサーフは、手術前に服用しているから、ある程度効果があるのはわかっている。
 アバスチンも、転移と最初の再発時に投与している。これも効果が期待できる。
 ラジオ波治療まで持ち込めば、肝臓にはラジオ波は効果が期待できることから何とかなるだろう。  


Posted by 柴田晴廣 at 17:28Comments(0)雑談

2022年11月05日

葬頭姫2

 朔日、「葬頭姫」のタイトルで投稿した。
https://tokosabu.dosugoi.net/e1249219.html
 朔日の投稿で記したように、瀬織津姫については、推敲中の『穂国幻史考』増補新版続編でも言及している。
 下記の『穂国幻史考』増補新版続編の目次やその概要を見れば、察しの良い人なら、どこで言及してあるか想像がつくだろう。
https://tokosabu.dosugoi.net/e1241709.html
https://tokosabu.dosugoi.net/e1239637.html
https://tokosabu.dosugoi.net/e1243205.html
 『穂国幻史考』増補新版続編の「皇大神宮の創建と持統三河行幸」の「持統三河行幸を萬葉集から考察する」では、持統三河行幸の目的は、皇祖神アマテラスの創造の障碍を取り除くための武力制壓であるが、その詳細は「六國史」には記されておらず、『萬葉集』の歌から概要がわかる旨を記した。
 東三河には、持統三河行幸が行われた大寶年間創建の寺社があるが、その一つ砥鹿神社の縁起『砥鹿大菩薩縁起』では、里宮の創建逸話で、公宣卿が衣の袖を流し、その流れ着いた場所を里宮にした旨を記す。
 衣の袖を流した場所は、本宮山中の漲る瀧川。本宮山中の瀧といえば、陽向の瀧しかない。
 この瀧の名から、想起されるのが、天照の荒魂=撞賢木嚴之御魂天疎向津媛。度會神道では、天照の荒魂を瀬織津姫とする。
 瀬織津姫が葬頭姫であり、奪衣婆と習合したことを考慮すれば、穗別の祖・朝廷別王の姉・日葉須媛の葬儀に際し、殉死を中止し、埴輪を作ることを提言した野見宿禰を祖とし、葬送に携わっていた土師氏との関係を考える必要があろう。
 また『穂国幻史考』増補新版続編の「專願寺の大施餓鬼」では、「葬頭姫を祭神とする三ツ相の水神社」、「夏越祓と專願寺の大施餓鬼」の項が竝ぶ。当然ここでも瀬織津姫について言及してある。
 舊暦時代は、專願寺の大施餓鬼が六月末に行われていたと思われること、三ツ相の水神社の祭神が瀬織津姫であること、專願寺が豊川河口にあることを考えれば、專願寺の大施餓鬼に行けば、個人と似た人に会えるといった話も、どういった共同幻想を前提とするかわかるだろう。
  


Posted by 柴田晴廣 at 10:15Comments(0)穂国幻史考

2022年11月04日

葬頭姫

 この投稿を含めて、このweb-logに、306の投稿をした(2017年10月に、拙著『穂国幻史考』及び『牛窪考増補改訂版』の概要紹介に関する投稿を、このウェブログからすべて削除したから、実際の投稿数は、306以上だが)。
 このweb-logの管理画面には、「アクセス解析」の欄があり、さらにその中に、「人気記事上位100」の欄がある。
 私のweb-logの「人気記事上位100」の欄を見ると、1位が、このweb-logを開設したときに投稿した「はじめに」、2位が2022.6.3に投稿した「報告」、そして3位が、2020.2.22に投稿した「『エミシの国の女神』」だ。
 「『エミシの国の女神』」の投稿で記したように、『穂国幻史考』を刊行しようと思った動機の一つは、『エミシの国の女神』の内容が、余りにもお粗末だったからだ。
https://tokosabu.dosugoi.net/e1126748.html
 私はこの『エミシの国の女神』の構想段階から関わっており、同書の「あとがき」に私の名も載る。
 著者の菊池展明は、この本の発行者「風琳堂」の社主・福住展人氏の筆名。
 福住氏は、私より八学年上であるが、私の弓術の弟弟子の国府高校での同級生。
 『エミシの国の女神』の発刊により、瀬織津姫の名が廣く世に知られるようになる。
 だが、先に記したように、その内容はお粗末なものであった。
 どうお粗末だったかを記せば、瀬織津姫が辯才天等と習合する旨を記すも、それを本地埀迹説を用いた説明がないことだ。
 ゆえに、瀬織津姫の名は廣く知られるようになったものの、僞書『秀眞傳』での瀬織津姫の言説や、スピリチャルといったおよそ学術的でない世界で語られている。
 当然、私はその責任を感じている。
 『エミシの国の女神』では、瀬織津姫は、消された女神と位置付け、記紀には登場しないとする。
 私は瀬織津姫の表記で登場しないだけで、『日本書紀』で、この神は登場すると考えている。抓津姫がそれだ。
 現在、瀬織津姫は、「せおりつひめ」と呼ばれているが、私は「せおつひめ」であり、「そうつひめ」と發音されていたと考えている。
 その「そうつひめ」が、抓津姫なのだ。
 そして抓津姫は『續日本紀』では、都麻都比賣とされ、「つまつひめ」と讀まれるようになる。
 記紀に登場しないのではなく、『日本書紀』には、登場し、『續日本紀』で讀みを變えられたのだ。
 瀬織津姫が、葬頭河の奪衣婆と習合するのも、この神が「そうつひめ」と呼ばれ、「葬頭姫」の漢字が想像されたからだ。
 朔日の投稿「お知らせ」で、『穂国幻史考』増補新版続編は、推敲を重ねている旨を記した。
https://tokosabu.dosugoi.net/e1249142.html
 『穂国幻史考』増補新版続編では、瀬織津姫の本地埀迹説による簡潔な解説もしてある。というより、既に刊行した『穂国幻史考』増補新版で、丹念に説明してある。
https://tokosabu.dosugoi.net/e1232562.html
 瀬織津姫が学術的な論考の俎上に載り、スピリチャルで語られる瀬織津姫に関する言説が払拭されることを願う。  


Posted by 柴田晴廣 at 10:41Comments(0)穂国幻史考

2022年11月03日

お知らせ

 8月27日に、「『穂国幻史考』増補新版続編」のタイトルの投稿をした。
https://tokosabu.dosugoi.net/e1241709.html
 投稿から二月以上経っている。
 当然のことだが、穂国幻史考』増補新版続編の推敲を重ねている。
 ゆえに、8月27日に投稿した時点から紙面も増えている。
 実をいえば、紙面が増え、頁数、字数、目次の頁数が、変わるたびに、更新している。
 現時点では、頁数=302P、字数=163,711字(追記:11月15日時点では頁数=298P、字数=164,399字、11月19日時点で、166,118字)。
 投稿時より、頁数は、十頁ほど増えている。

 『穂国幻史考』増補新版続編の内容については、下記URL参照。
https://tokosabu.dosugoi.net/e1243160.html
https://tokosabu.dosugoi.net/e1243205.html  


Posted by 柴田晴廣 at 11:25Comments(0)穂国幻史考