2020年02月22日

『エミシの国の女神』

 昨日の「『穂国幻史考』をなぜ刊行しようと思ったのか」で記したように、『穂国幻史考』を刊行しようと思った動機の一つは、『エミシの国の女神』の内容が、余りにもお粗末だったからだ。
 最初に草稿が送られて来たときは、刊行されたときは岩田書院が発行するような書籍なることを想像していた。
 ところが、刊行された際、故福住氏も強調していたが、内容以上に装丁等の体裁に力を入れていたようだ。装丁や体裁には興味のない私はがっかりした。
 また、その起承転結の起というより冒頭で、『遠野物語』の第二話を紹介し、その第二話に登場する遠野市上町来内鎮座の伊豆権現の祭神を、その由緒書のみを根拠に、東北の女神としての瀬織津姫の話を始める。
 伊豆権現といえば、その本山は、伊豆山権現とその神宮寺の走湯山般若寺(眞言宗伊豆派)で、三所権現の形式をとっている。ところが、『エミシの国の女神』が引用する来内の伊豆権現の由緒書では、唯一の祭神を瀬織津姫とし、三所権現の形式を踏襲していない。
 なぜこうした齟齬が生じたのか?これは伊豆山権現を考えるに重要なことであるが、本山が三所権現の形をとっているにお関わらず、来内の地で、瀬織津姫一柱になったのかの説明はない。説明がなければ、来内の伊豆権現の由緒は、来内という極めて隘狭な地での幻想に過ぎないことになる。
 しかも伊豆山権現の三所権現は、法躰は千手観音の垂迹、俗躰は阿弥陀如来の垂迹、女躰は如意輪観音の垂迹とされるが、如意輪観音の垂迹神を瀬織津姫とする仏典や神道書を私は知らない(如意輪観音と瀬織津姫を繋げるには、如意輪観音の垂迹神である清瀧権現と同一視される善如龍王から、クロスワードパズルを解くような煩雑な作業を延々と繰り返し、初めて瀬織津姫の名に行き当るのだ。これを省いての辯才天=瀬織津姫は学術的に見れば、致命的な瑕疵だ)。
 ちなみに善女龍王は、歳徳神と同神とされ、安倍晴明は歳徳神を頗梨采女(本地十一面観音)とする。頗梨采女といえば、牛頭天王の后であり、牛頭天王を祀る祇園社や天王社は、祇園社、天王社の社號を禁じられ、祭神もスサノオへと変更された。
 消されたといえば、この方がよほど消された神といえるだろう。
 さらに明治の合祀で、跡地に天王等の字名が残っていたものの、住所変更等により、地名さえも消え、そこに牛頭天王の社があった痕跡さえも消されているところも少なくない。
 先の「『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』」(https://tokosabu.dosugoi.net/e1126599.html)で記したように、牛頭天王を廣峯に勧請したのは、虚構の「万世一系」を揺るがすエピソードに彩られた吉備眞備だ。歪な明治政府が『大祓詞』に登場する祓戸四神の一柱・瀬織津姫と、万世一系を揺るがせない逸話に満ちた吉備眞備が勧請した牛頭天王のどちらを嫌うかを考えてみればいい。「大祓詞」は、「中臣祓」といわれるように、天皇制を支える両輪を成した中臣神道の中核をなすものである。瀬織津姫が消されたのではなく、各地の女神はその名を消され、瀬織津姫の名のもとに統合されたのだ。
 その中で統合されなかった女神の一つが白山姫なのである。
 話を戻そう。「『穂国幻史考』をなぜ刊行しようと思ったのか」で記したように、『エミシの国の女神』では、瀬織津姫と辯才天の習合を挙げているが、なぜ習合するか本地垂迹説を基にした説明は全くない。
 辯才天といえば、三大辯才天=江の島、竹生嶋、厳島であるが、この三大辯才天には触れず、『エミシの国の女神』は、なぜか天河辨財天にこだわっている。 
 この天河辨財天社。神仏分離以前の正式名称は、琵琶山白飯寺で真言宗醍醐派の寺院であった。
 その縁起の内容、成立時期、上記の醍醐派の寺院であったことを考慮すれば、この縁起に两部神道、さらには、两部神道の影響を受けた度會神道、もっといえば、大成經の影響を受けたことは明らかである。
 『エミシの国の女神』は、「大成經弾圧事件」のプロローグ「伊雜宮事件」については、触れてはいるものの、『大成經』の成立経緯等についての正面からの言及はない。
 私が、『穂国幻史考』の刊行の約1年後のオンデマンド版『牛窪考』で、拾遺四「善光庵の創建と再建」を書き加えたのも、『大成經』成立の正確な経緯を発信する必要があると思ってのことからだった。
 昨日の投稿「『穂国幻史考』をなぜ刊行しようと思ったのか」でも記したように、オンデマンド版の『牛窪考』は、たったの220頁だ。
 『大成經』の成立経緯も拙いものだった。
 推敲中の増補改訂版でも、拾遺四「善光庵の創建と再建」は、100頁に満たない。しかも『大成經』について採り上げた二つ目の見出し「善光庵の再建者・潮音道海と「大成經弾圧事件」」についていえば、80頁程度しかない。
 この程度で、『大成經』の成立経緯が説明できるのかとの疑問を呈する声があっても当然だと思う。
 これまでの投稿で繰り返しいっているが、『牛窪考』は、論考集というより、全体で一つの論考なのだ。
 補遺一「「うなごうじ祭」名称」の一つ目の見出し「平田派国学者・羽田野敬雄の牛久保観」の二つ目の小見出し「国学の核心は中華思想にあり」及び「わが国本来の神祭りとは乖離した国学思想」は、拾遺四「善光庵の創建と再建」の二つ目の見出し「善光庵の再建者・潮音道海と「大成經弾圧事件」」の伏線になっているのだ。
 この二つの小見出しで、80頁近くの紙面が割いてある。すべてが、『大成經』成立の経緯の伏線ではないが、半分以上は、その伏線になっているし、その首謀者と目される儒学者でもあり、軍学者で赤穂浪人の吉良邸討ち入りを美化した戯作「忠臣蔵」において大星由良助が叩く陣太鼓に関わる人物については、かなりの紙面を割いている。江戸時代の儒者といっても、まともなのは、佐藤直方ぐらいのものだ。『中朝事実』などは、著作者や著作年代が偽りでないだけで、その内容は、吾郷清彦が「古史古伝」と命名した『大成經』を基とする偽書とかわるものではない。
 現在推敲中の『牛窪考(増補改訂版)』の補遺一「「うなごうじ祭」名称考」の一つ目の見出し「平田派国学者・羽田野敬雄の牛久保観」の二つ目の小見出し「国学の核心は中華思想にあり」及び三つ目の小見出し「わが国本来の神祭りとは乖離した国学思想」並びに拾遺四「善光庵の創建と再建」の二つ目の見出し「善光庵の再建者・潮音道海と「大成經弾圧事件」」を読めば、「大成經」の成立経緯は大まかにはわかるだろう(おおまかにと書いたのは、くどいようだが、『牛窪考』全体が一つの論考であり、すべて読まなければ、完全な理解は出来ないからだ)。
 それを踏まえて、『エミシの国の女神』の天河辨財天に関する記述を読めば理解も深まるだろうし、スピリチャルと称するものがいかにいい加減かも整理出来るだろう。
 『エミシの国の女神』の女神の続編ともいうべき、『円空と瀬織津姫』では、竹生嶋辯才天を採り上げているものの、ここでも福住氏は本地垂迹による解釈はない。ここだけでなく『円空と瀬織津姫』全体でもない。
 『エミシの国の女神』の構想段階からかかわっていた私としては、刊行された『エミシの国の女神』の著者名が「菊池展明」だったことに驚きを隠せなかった。
 なぜなら、それ以前の福住氏の著作は、全て本名の「福住展人」だったからだ。
 いま思えば、学術的に耐え得る著作を書きたい願望もあるも、それが出来ない後ろめたさから本名でなく、筆名を使ったのではないかと私は想像する。
 それは、続編の『円空と瀬織津姫』でも変わらなかったのだろう。
 遺稿となった『八幡比咩神とは何か』は、福住氏の著作というより、風琳堂の業務を受け継いだ国東半島の住人の意思が反映された著作といえるだろう。
 『エミシの国の女神』等について批判を加えて来たが、菊池展明でなく、福住展人として書きたかった瀬織津姫についての論証は、『穂国幻史考』及び『牛窪考(増補改訂版)』の中にあると私は自負している。
 福住展人の冥福を祈る 合掌 



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Posted by 柴田晴廣 at 09:29│Comments(0)牛窪考(増補版)
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