2023年04月26日

親鸞、日蓮、空海と明星のスタンス

 前回の投稿のコメントで、安達君が、宗旨は眞宗高田派と記していた。
 https://tokosabu.dosugoi.net/e1270787.html
 眞宗高田派の本山は現在三重県津市の高田山專修寺であるが、この專修寺は元々下野國芳賀郡高田村(栃木県真岡市高田)にあった本寺高田山專修寺をいった。
 下野の專修寺(本寺專修寺)は、嘉祿元(1225)年に、明星天子のお告げにより、親鸞(1173~1263)が建立した如來堂を起源とし、弟子の眞佛(一二〇九~一二五八)が管理していたが、眞佛の跡を繼いだ顯智(一二二六~一三一〇)は三河で布教をし、和田山勝鬘寺(岡崎市針崎町朱印地/眞宗大谷派)、昭高山願照寺(岡崎市舳越町本郷/眞宗本願寺派)、塚本山明法寺(安城市安城町拝木/眞宗大谷派)を據點とした和田門徒が形成される。
 三河の高田派の進出もこれによる。
 さて、本寺專修寺は、明星天子のお告げにより建立されるが、陰陽道で明星を神格化したのものが、八將神の一柱の大將軍であり、その本地の他化自在天は、第六天魔王波旬ともいわれ、佛道の修行を妨げる魔王である。
 親鸞は、佛道修行の妨げとなる、妻帶、蓄髮していたし、僧侶の妻帶、蓄髮を認めていた。その親鸞は、皍身成佛を手段として衆生の救濟の途を開いた。
 日蓮(1222~1282))は、千光山清澄寺で出家得度し、清澄寺で立教開宗した。清澄寺の本尊は虚空藏菩薩、日蓮は、その虚空藏菩薩に、「日本第一の智者となし給え」と、願を掛けたという。
 虚空藏菩薩が明けの明星の化身といわれる。
 日蓮は、第六天魔王波旬について、佛道修行者を『法華經』から遠ざけようとして現れる魔であると説くも、純粹な『法華經』の信者には、力を貸す天魔と、説いている。また日蓮が現した『法華經』の曼荼羅にも、第六天魔王波旬が描かれている。
 『佐渡御勘氣抄』で、「海邊の旃陀羅か子なり」と稱した日蓮は、惡人正機(『歎異抄』三章)に目が向いたはずだ。
 第六天魔王波旬を純粹な『法華經』の信者には、力を貸す天魔と解釋したのは、『法華經』卷八收録の二五品「觀世音菩薩普門品」(通稱『觀音經』)の一節「應以大自在天身 得度者 皍現大自在天身 而爲説法」もヒントになっただろう。他化自在天と大自在天は異なる天尊であるが、道元(1200~1253)は『正法眼藏』の「諸惡莫作」で、「いはゆる諸佛 あるいは自在天のことし 自在天に同不調なりといへとも 一切の自在天は諸佛にあらす」と説いている。日蓮は、「觀世音菩薩普門品」の一節「應以大自在天身 得度者 皍現大自在天身 而爲説法」の一節の大自在天を他化自在天に置き換え、第六天魔王波旬を純粹な『法華經』の信者には、力を貸すとの言説を思い付いたのだろう。
 このように、親鸞や日蓮は、明星と關わる逸話とともに、第六天魔王波旬の位置付けを説いている。
 ところが、空海(774~835)は、延暦11(792)年、大學寮に入寮後、遣唐使に選ばれる延暦22(803)年の間の山岳修行中に、一沙門から「虚空藏求聞持法」を授かり、それを修め、室戸岬の御厨人窟(高知県室戸市室戸岬町)で瞑想をしているとき、口に明星が飛び込んで來たと、自著の『三教指歸』の序文で、自己幻想を綴っているも第六天魔王波旬については觸れてもいない。
 『三教指歸』は、空海晩年の著作だが、延暦14(797)年に書き上げた『聾瞽指歸』を改題、改定したものであり、儒教、道教、佛教の比較思想論との評価が一般的だ。
 一般的な評価はさておき、空海に道教の知識があったとはとてもじゃないが、思えない。



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