2020年10月10日
蜂龍盃とねぎま汁で一盃

本日は、昨日宣言したように、元祿年間に創業したと傳えられる森山酒造(東栄町大字本郷字森山)の蜂龍盃とねぎま汁で一盃。
酒造元が東栄町ということもあって、花祭でよく振舞われる。
今年は花祭も中止のようだから、花祭会場で、蜂龍盃をごちそうになれないのは残念だ。
本Web-logのタイトルは、「東三河の平野部の民俗と歴史」だ。
花祭は平野部ではなく山間部の奥三河の民俗藝能だが、当然平野部の民俗藝能を考察する上で、比較の対象となる。
花祭ではないが、花祭と同じく湯立神事を起源とし、田樂の要素が加わった參候祭(設楽町三都橋の牛頭天王社と塔の木觀音堂の祭禮)は、西寶といわれた舊寶飯郡西部の「七福神踊」を考察する上でも欠かせない。
參候祭は、禰宜と七福神の問答の初めに「參候」と答えることから、參候祭と呼ばれるようになったという。
一方の「七福神踊」、「七福神踊」といっても、七福神が全部揃うのではなく、辯才天の道化役の白狐が加わる(ただし竹島辯才天の祭禮では、大正時代に辯才天が加わったものの白狐はそのまま)。
また御馬(豊川市御津町御馬)の天王社の祭禮では、元壽老人を欠き、三谷祭及び三谷から傳わったといわれる蒲郡市の祭禮では、毘沙門天を欠く。
つまり「七福神踊」といっても、五福神プラス白狐の踊りなのだ。
この五福神プラス白狐という構成、特に三谷祭と三谷から傳わったといわれる毘沙門天を欠く理由を考えるには、參候祭で七福神に登場する天照不動明王からの本地埀迹の考察と、毘沙門天と禰宜の問答を抜きには、語れない。
また道化役の白狐と參候祭の大黒天が所持する「ぬめくら棒」も関連してくる。
また參候祭が行われる三都橋の隣の田峯の田峯觀音の由来は、「大天女宮」の棟札を有する柑子(豊川市柑子町)鎭座の出雲神社及び柑子の隣の行明に傳わる羽衣傳説とも関連するものになる。
このように東三河山間部の奥三河の民俗や歴史と豊川下流域の東三河平野部の民俗や歴史は、密接に繋がっているものなのだ。
私が花祭を始め、奥三河に足を運び、蜂龍盃を愛するのも、以上のような理由からだ。

次に肴のねぎま汁。見た通り写真映えするものではない。昨日書いたように、アクセス数の増加を狙ったものではなく、あくまでも参考としたアップしたものだ。
確認のために記して置けば、ねぎまは焼き鳥屋で提供される葱の間に肉を挟んだねぎまのことではない。
ねぎは葱のことだが、「ま」はマグロの「ま」。
特に冷蔵技術が発展していないときは、猫も跨いで通ったという猫マタギのマグロのトロ。
江戸の食通が、好んで食した、「女房子供を質に出してでも食え」といわれた初鰹。
初鰹は、脂が乗っていない。脂が乗っているのは、戻り鰹だ。
江戸の食通は、戻り鰹には目もくれない。
江戸の食通は、脂の乗っている魚を好まなかったのだ。ゆえに猫さえ跨いだのがマグロのトロだった。猫が跨いで通るトロはほとんど廃棄されていた。
そのトロを使ったのがねぎま汁。当然高級料理ではない。とはいっても、この時代の鍋料理は、旅館で出される鍋のように、一人前ずつ作られた。
赤身の部分は、漬けにすることにより保存が効き、幕末には寿司ネタにもなった。
ところがトロを寿司ネタにしたのは、吉野鮨本店(東京都中央区日本橋3-8-11 政吉ビル1F)。
味もろくにわからない葱を背負った成金鴨客を吉野鮨本店が鴨にしたのが、トロが高級品になるきっかけとなったのだろう。
葱を背負った成金鴨客が要因になったことを考慮すれば、ネギトロなんていうネタも、絶妙なネーミングだ。
私のねぎま汁は、ねぎま汁の起源から、現在高級なマグロのトロを使ったものではない。
本日は、ちょうどメカジキのトロが百グラム、二百二十円程度で売っていたことから、それを購入した。
葱も本来、白ネギを使うのがベストだが(後述)、時期が早いことから、長ネギを使った。
以上のような由来を知らないのか、初鰹とともにトロをありがたがる者がいかに多いことか。
こういった一貫性のなさが、このクニの国民性といえようか。
世論調査などでもそれがいえる。一貫性のなさが民意の低さにもつながっているのだ。
嘘つきで、無能の特別天然記念物の安倍が退陣を表明したとたん支持率が上がるのも一貫性のなさからくる民意の低さが顕われたものといえよう。
加えて置けば、こうした民意の低い者を啓蒙しようと思う心はわずかながら残っているが、迎合するような投稿をしようとは毛頭思っていない。
ここで私の立ち位置について述べて置けば、「民を護れないクニはとっとと潰す。そして民を護れる新しいクニを創るのが政治家の仕事」と考えている。これとは逆に民にクニを護らせたのが、明治から戦前までのこのクニだ。結果、多くの尊い命が失われた。戦前回帰を目指す自民党という名の無能集団に「民を護るクニ」という当然の概念が芽生えるはずもない。
上述のように、現在の自由民主党なんていう集団が民を護るなどという観念がないことは一目瞭然だ。かといって野党も民を護れないクニを潰すとの意識を持った議員はいくらかはいるものの、どうやって民を護れる新たなクニをどう創るかというビジョンまで持っている議員はほとんどいないだろう。
民を護れないクニが自民党の党是のごとくなったきっかけは、小泉不純一郎が淵源だろう。今に続く論点のすり替えも不純一郎が淵源といえよう。
総理大臣就任当時、私の住む牛久保とも縁の深い牧野氏が領主だった越後長岡藩の米百俵について所信表明で引用した。
この話は長岡藩士が我慢したものであり、長岡藩の領民に我慢を強いたものではない。ところが不純一郎は、民に我慢を強いることに話をすり替えた。
「自民党をぶっ壊す」のスローガンで、総裁選に当選したものの、結局ぶっ壊したのは、自民党ではなく、民を護るクニという概念であった。
その辞書に「民を護るクニ」という言葉が乗っていない新自由主義を掲げる竹中平蔵ブレーンにしたことが大きいだろう。その竹中平蔵をまたぞろブレーンにしているのが貧相な子泣き爺スカだ。
地主と小作、資本家と労働者、昨今ではコンビニ等のフランチャイジーとフランチャイザーの関係、タレントの事務所遺跡の問題。これらは独占による優越的地位の濫用という弊害にある。GAFAの問題やマイナンバーカード、トピカルな話では学術会議の会員の任命問題も独占による優越的地位の濫用にある。本来芸人は、県りょっくを風刺し、批判する役割を担っていたが、優越的地位を濫用する政権に迎合するする芸人のなんと多いことか。芸人の風上にも置けない。そんな中で数少ない権力に迎合しない芸人を批判する者も多くいる。芸というものが何かもわかっていない、無能なネトウヨ連中だ。
新自由主義は、この弊害を是正するどころか、野放しにし、助長している。
民を護る新たなクニのビジョンは、この弊害をどうするかにある。
れいわ新撰組の消費税廃止は、このビジョンの一部にしか過ぎない。全体のビジョンを描ける議員と政党の出現を切に望む。
さて肝心の「ねぎまの殿様」であるが、基本的には「目黒のサンマ」と同じモチーフだ。
本鄕に上屋敷を有するある大名が、雪の朝に三太夫(落語で三太夫という場合、家老のことをいう)を伴い馬で湯島の切通から池之端仲町、下谷広小路まで駆けると、小料理屋が竝んでおり、下々の者が入り浸る煮賣屋に入り、町人が食べていたねぎま汁とダリ(灘の生一本のこと)を注文する。
注文を取りに来た小僧は早口で、殿様にはねぎま汁が「にゃー」としか聞こえなかった。
出されたねぎま汁の葱を食した殿様が口に入れて噛むと、ぴゅーと熱い芯が鉄砲のように飛び出て喉を直撃。殿様は「この葱は鉄砲仕掛けと」、先に白ネギが最適としたのは、葱が鉄砲仕掛けになるからだ。
このねぎま汁の味が忘れない殿様は、屋敷に歸って「にゃー」が食したいと注文。
ところが、出されたねぎま汁は、「目黒のサンマ」のサンマと同様に期待したものではなく、マグロの血合いは捨て、葱も白いところだけを使った鼠色の代物。
殿様は、これは、葱の緑と白、マグロの血合いの赤の「三毛のにゃー」ではなく、鼠の「ちゅー」だと。
料理番は、同行した三太夫に詳細を聞き、「三毛のニャー」を出す。そこで満足した殿様は、下谷広小路で食べた時と同じように醤油樽に腰掛けダリを呑むというシチュエーションだ。
ここで、私のねぎま汁の作り方を記して置けば、さすがに「ねぎまの殿様」のようにアラや骨まで入れないが、メカジキのトロの切り身をぶつ切りにし、刻み生姜と醤油(私は例のごとくイチビキのつゆの素と椎茸昆布醤油)に一時間ほどつけて置く。
また土鍋に出汁昆布を水で浸して置く。
出汁昆布を入れた土鍋を熱し、沸騰したら、焼豆腐、ぶつ切りにし、表面を炙って焦がした葱、そしてぶつ切りのメカジキトロの切り身を醤油ごと鍋に入れ、火を止める。
メカジキには味が染みているし、土鍋だから余熱で火も入る。メカジキも軟らかく、刻み生姜と一緒に漬けてあるから臭みもなく美味しくいただける。
余ったときは、砂糖か本味醂を汁に加え(魚の身が硬くなったときは砂糖、軟らかいままのときは本味醂)、卵でとじ、親子丼風にして食す。
ねぎま汁は決して高価な料理ではない。「ねぎまの殿様」の世界のものとは異なるが、アレンジしてシンプルで安価に仕上げた。