2022年11月05日

葬頭姫2

 朔日、「葬頭姫」のタイトルで投稿した。
https://tokosabu.dosugoi.net/e1249219.html
 朔日の投稿で記したように、瀬織津姫については、推敲中の『穂国幻史考』増補新版続編でも言及している。
 下記の『穂国幻史考』増補新版続編の目次やその概要を見れば、察しの良い人なら、どこで言及してあるか想像がつくだろう。
https://tokosabu.dosugoi.net/e1241709.html
https://tokosabu.dosugoi.net/e1239637.html
https://tokosabu.dosugoi.net/e1243205.html
 『穂国幻史考』増補新版続編の「皇大神宮の創建と持統三河行幸」の「持統三河行幸を萬葉集から考察する」では、持統三河行幸の目的は、皇祖神アマテラスの創造の障碍を取り除くための武力制壓であるが、その詳細は「六國史」には記されておらず、『萬葉集』の歌から概要がわかる旨を記した。
 東三河には、持統三河行幸が行われた大寶年間創建の寺社があるが、その一つ砥鹿神社の縁起『砥鹿大菩薩縁起』では、里宮の創建逸話で、公宣卿が衣の袖を流し、その流れ着いた場所を里宮にした旨を記す。
 衣の袖を流した場所は、本宮山中の漲る瀧川。本宮山中の瀧といえば、陽向の瀧しかない。
 この瀧の名から、想起されるのが、天照の荒魂=撞賢木嚴之御魂天疎向津媛。度會神道では、天照の荒魂を瀬織津姫とする。
 瀬織津姫が葬頭姫であり、奪衣婆と習合したことを考慮すれば、穗別の祖・朝廷別王の姉・日葉須媛の葬儀に際し、殉死を中止し、埴輪を作ることを提言した野見宿禰を祖とし、葬送に携わっていた土師氏との関係を考える必要があろう。
 また『穂国幻史考』増補新版続編の「專願寺の大施餓鬼」では、「葬頭姫を祭神とする三ツ相の水神社」、「夏越祓と專願寺の大施餓鬼」の項が竝ぶ。当然ここでも瀬織津姫について言及してある。
 舊暦時代は、專願寺の大施餓鬼が六月末に行われていたと思われること、三ツ相の水神社の祭神が瀬織津姫であること、專願寺が豊川河口にあることを考えれば、專願寺の大施餓鬼に行けば、個人と似た人に会えるといった話も、どういった共同幻想を前提とするかわかるだろう。



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Posted by 柴田晴廣 at 10:15│Comments(0)穂国幻史考
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