2023年06月13日

神事藝能と古典藝能

 私は過去形ではあるが、若干吃音があった。
 二代及び三代の三遊亭圓歌は吃音を克服したという例を知っていたから(三代は、吃音者を主人公とする新作を持ちネタとしていたが)、若干の橘尾音なら、寄席に行って落語を聞けば、直せるだろうと思い、大学入学で上京した折に、演技場に通った。
 幸い、何度も通わずに克服できた。
 落語の演目には芝居を基にしたものもあり、また落語を元ネタとする芝居もある。
 寄席に通ってそれを知ったわけだが、それをきっかけに芝居も見るようになった。
 芝居を見るようになったとはいえ、金銭的余裕はないことから、もっぱら「大向こう」で感激した。
 若かったことから、見巧者のかたから、いろいろと芝居について教えていただいた。
 話は変わるが、私は、中学のとき、若葉祭の上若組で隠れ太鼓を踊り、若い衆を抜けてからは20年近く上若組n大山車で笛を吹いていた。
 下記動画の向かって左が、上若組の大山車。
https://www.youtube.com/watch?v=iMtRHaTEq0s
 芝居についての知識があれば、この隠れ太鼓は、人形振りの影響を受けたものだとわかるだろう。
 拙著『穂国幻史実(増補新版)』第三話「牛窪考」首位一補遺三で隠れ太鼓を取り上げているが、芝居の知識を駆使して考察したものである。



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この記事へのコメント
柴田晴廣 様

 小生、歌舞伎、落語、能などの芸能について興味を持ちながらも、未だに舞台に観に行ったことがございません。相撲もそうです。柴田さんの著書には、これらの事柄が沢山出て参ります。少しは知識があればよくわかるのでしょうが、こういった伝統芸能等の造詣を深めたいと思っております。

安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年06月13日 09:20
安達恭史さま

 「人形振り」の起源は、一般に、享保17(1732)年に上演された『壇浦兜軍記』です。
 一般に、いわゆる三人遣いの人形浄瑠璃を、人形ではなく、役者が演じた歌舞伎狂言が「人形振り」になります。
 三人遣いが成立するのが享保19(1734)年。ただし「人形振り」では、三人で役者を操るわけではなく、衣装も裃によることが多いです。
 異なるのは、隠れ太鼓は人形浄瑠璃と異なり、三人遣いが完成する前の突っ込みというスタイルで、稚児を操っている点です。

 隠れ太鼓についての先行研究は何もありませんが、、小説の世界で、荒俣宏が若葉祭の隠れ太鼓について取り上げています。
 『帝都物語外伝』が、それで、副題の『機関童子』は、若葉祭の隠れ太鼓の稚児のことで、荒俣の造語です。
 同署の七章「八幡宮の童子」で、作中人物の青山学院講師の慶間泰子が犬山祭の「離れからくり」に関心を持った旨を記しており、荒俣もその離れからくりの流れで、若葉祭の隠れ太鼓を捉えております。
 同書九章「カラクリの裏面」で、慶間泰子は、「そう、ああした人形の動きは、死者の動きなのよ」と語らせ、若葉祭の隠れ太鼓の稚児を死者と関連付け、一五章「大江匡房に訊く」では、芸にひいでた著名な傀儡は、どれも数字に縁がある名であると、「小三とか千歳とか日百とか」と、小三の名を擧げ、唐突に、「小三といえば、落語に柳家小さんという名人がいたね。コサンが、まさか傀儡の芸名に由来しているとは、知らなかったな!」と結んでいます。
 ここでの柳家小さんは、三代目の小さん(1855~1930)を指すと推測されます。その理由は、三代目小さんは、上方落語の四代目桂文吾(1865~1915)が今日の筋立てに完成させた『駱駝の葬禮』を、桂文吾から口傳で讓り受け、江戸落語へ移植した人物だからです。この噺といえば、死人にかんかんのうを躍らせるという趣向の話だからです。
 そして、このかんかんのうを上若組は、大山車曳で歌っていました。

 こういったことを材料に、若葉祭の隠れ太鼓の論考を仕上げました。

 確かに相撲についても本場所だけでなく巡業にも足を運んでおります。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2023年06月13日 15:58
柴田晴廣 様

 隠れ太鼓は、お囃子の稚児をしていたとき、不思議な芸能だと思って観ておりました。中学生になって、西若の隠れ太鼓をやってもらえないかと、青年に何度か依頼されましたが、結局、断ってしまいました。

 笹踊もそうですが、変わった衣装を纏い、変わった所作で、見入ってしまうのですが、どうしてそのようなものになったのか不思議でした。

 笹踊のことが知りたくて柴田さんの著書と出会ったわけですが、隠れ太鼓については観光案内くらいしか見つかりませんでしたから、柴田さんの論考は、実にオリジナリティーがありますね。先行研究がほとんどなかった、というのも驚かされました。

 最近では、笹踊りは小学生に受け継がれていて、朝鮮通信使の影響を受けたというのが有力な説として定着しつつありますし、それが真相でしょう。これからも若葉祭を観ていきます。

安達恭史




 
Posted by 安達恭史 at 2023年06月14日 11:32
柴田晴廣 様

 隠れ太鼓の考察には、伝統芸能の知識が大いに役立ったということですね。しかし、小生は先にも書きましたように、歌舞伎、能、落語などの伝統芸能に疎いため、これから観て行こうと思います。

安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年06月14日 11:52
安達恭史さま

 笹踊は、その装束から、鮮通信使の影響で始められたことは察しがつきます。
 牛窓の唐子踊、津の唐人踊など、各地に朝鮮通信使の影響を受けた祭禮風流があるからです。
 また、笹踊は豊川流域に19所(岡崎市石原町の石座神社の笹踊を除く)とサンプルも多いですから、考察はしやすいものです。
 ただ、なぜに笹踊いという名称なのか?この点が謎だっただけです。
 幸い、韓国語を母国語とする者と、若葉祭を一緒に見学する機会もあり、彼と話している中で、笹踊の名称は、韓国・朝鮮語で、三人戯を意味するセ・サラム・ノリが訛ったものと気が付きました。
 新城市の教育長を務めた中西光夫先生も、そうだったのか、なぜ気が付かなかったのかと悔しがっていました。
 中西先生は、お父さんが、新義州で、教員をされていたことから、韓国語を理解出来、沙也加(友鹿洞金氏)の研究をされておりました。
 また、新城祭で笹踊を担当する橋向で住んでおりました。
 朝鮮通信使や韓国・朝鮮語を理解しておれば、笹踊朝鮮通信使影響説は導けるものです。
 ところが、隠れ太鼓は、笹踊のように一筋縄にはいかない。
 まず、サンプルが少ない。
 豊川、小坂井、牛久保で奉納されているだけで、あとは明治まで城内天王の祇園祭で行われていただけです。
 しかも、他は牛久保のように、人形振りではない。
 もっとも、豊川や小坂井も山車空売り意を意識しているものであることは確かですが。
 加えて、隠れ太鼓の資料もない。
 これは難儀しました。
 先に記しましたよように、若葉祭の人形振りの隠れ太鼓のスタイルは、かんかんのうが流行した文政期と推定できますが、隠れ太鼓事態となると、その起源ははっきりしません。
 ただ、城内天王の祇園祭の記録から、中世の車楽などで行われていた鞨鼓稚児舞の場案層を担当していた大太鼓の叩き手が、笹踊に準い、唐子衣装を着たことが起源であろうことは推測できますが、それ以上の推測が難しい。
 それなりにまとめましたが、自分でも、これだけの資料でよくまとめたと思っております。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2023年06月14日 17:29
柴田晴廣 様

 豊川、小坂井の隠れ太鼓も観ましたが、確かに、人形振りを意識した芸能ですね。数年前、初めて豊川の隠れ太鼓を観たとき、牛久保の隠れ太鼓の影響か、と思いました。小坂井の隠れ太鼓は、激しい動きはありませんが、大変興味を持ちました。独特で特殊ですね。

安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年06月16日 07:39
安達恭史さま

 一度整理します。
 隠れ太鼓が演ぜられる大山車は、中世の車樂にぞくするものです。
 この中世の車樂に属する津島天王祭の車樂舟には、生き稚児の流れをくむ鞨鼓稚児が乗っておりました。
 京都の祇園祭の生き稚児も、腹に鞨鼓を付けており、国指定重要無形民俗文化財の森の舞楽の中の山名神社の八初兒に近い舞が行われていたと考えられます。
 この八初兒の伴奏の大太鼓の叩き手が、隠れ太鼓の演じ手に変っていったと考えられます。
 さて、車樂は、標山に車輪を付けて移動可能にしたものです。
 一方、屋台は、屋根に台輪(指物の床に設置する部分)からなる構造物で、そこの太鼓が載れば、太鼓屋台、囃子方も乗れば、囃子屋台になります。
 こうした太鼓屋台や囃子屋台は、聴覚で楽しませる山車芸能といえます。
 一方、人形山も標山の流れで生まれたものであり、この人形山の人形がからくりになったのが、山車からくり。
 車樂の流れを汲む大山車で演ぜられる隠れ太鼓も、山車からくりと同様に、視覚に訴える山車芸能で、からくり山車を意識しえてゃ締めたものといえると思います。
 さて、ここで、人形振りについてですが、一般に「人形振り」は、役者が文樂人形の動きを眞似て演ずる芸能ですが、豊川や小坂井の隠れ太鼓は文楽人形の動きをまねて役者が演ずるといったものではありません。
 つまり、豊川や小坂井の隠れ太鼓は、人形振りによるものではないということです。ここを抑えておく必要があります。
 ただ、唐子衣装は、名古屋が正のからくり山車の前人形や植山人形の唐子を意識したものではあます。
 からくり山車の唐子人形を意識したものではあっても、若葉祭のように稚児出しが稚児を操る人形振りによるものではないことを抑えて置く日いつ用があります。
 名古屋方の山車からくりでは、前人形や上山人形に唐子人形が使われますが、前人形は采振り人形といわれるように、簡単な動きをするもので、豊川や小坂井の隠れ太鼓も簡単な動きではなく飢えや万行の唐子人形を意識したものといえます。
 そして、からくり人形は、文卓人形と違って直接双方によるものではなく、絲操りなどの案説双方によるものであること。若葉祭の隠れ太鼓の稚児は、欄干に腰を掛け逆さになるなどの動きをしますが、これは、絲操りなどの間接双方というより五、離れからくりの範疇に属する技術で、それを直接双方の文卓の人形ぶちで行っているわけです。
 若葉祭の隠れ太鼓も人形振りとは言っても単純に歌舞伎の人形振りからだけでの考察では、完成した言説を導くことは出来ないのです。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2023年06月16日 10:43
安達恭史さま

 人形振りの動画
https://www.youtube.com/watch?v=bMrSeP7Eq_o
 変わったところでは、操り三番叟
https://www.youtube.com/watch?v=oDBvyOhiv44
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2023年06月16日 13:19
安達恭史さま

 若葉祭の隠れ太鼓は、山車からくりのからくり人形のお動きを子供に演じさせ、稚児出しが子供を操ることにより、山車からくりの人形振りという形で確立したといえますが、豊川や小坂井の隠れ太鼓は、山車からくりのからくり人形の代わりに唐子衣装を着た人間が太鼓をたたいては欄干に隠れるといった動きはするものの、そこに人形振りの影響は見られないということです。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2023年06月16日 17:09
柴田晴廣 様

 人形振りと山車からくりの違い、よくわかりました。小生、誤解をしていたようですね。牛久保の隠れ太鼓は、人形振りと山車からくりの要素が加わっている祭禮芸能のようですね。豊川と菟足の隠れ太鼓は、人形振りの如く稚児だしはいませんし、山車からくりのようなアクロバットな所作もありませんね。歌舞伎の人形振り、山車からくりの知識のない小生でも理解しやすいご説明、ありがとうございました。

安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年06月17日 02:02
安達恭史さま

 ここで、尾張型山車からくりの終わりから繰り出しのからくり人形についても整理しときましょう。
 尾張型山車からくりの濫觴は名古屋東照宮の祭禮で曳かれた名古屋方といわれるもので、外観二層、内部は一層部分が二層に分かれており、山荘になっております。
 二層部部分の前方の屋根に覆われていないは、前棚といわれ、低くなっております。
 この前棚には、采振り人形が置かれます。采振りですから、アクロバットは行われません。
 そして、屋根に覆われた前方部分に置かれるのが、上山人形。この上山人形が合うロバっとを行います。
 そして、上山人形の後方に控えているのが大将人形。
 采振り人形、上山人形、大将人形とも、絲操りなどの間接双方により操られます。
 犬山型は、外観山荘、内部も早々に分かれています。二層部分には、采振り人形が載り、上山が三層部分に上昇し、三層部分でからくりの妙技を魅せるというスタイルになります。
 三層部分には、綾渡や乱杭渡りなどの離れからくりがのり、この操作に指金などを使うため、高さが必要なため三層になったと考えられます。
 欄干から逆さに倒れるという動作は、絲操りではなく、離れからくりの動きを思わせるものです。
 話は変わりますが、二川八幡宮の祭禮で曳かれる三輛の山車は、小型の名古屋方と言われますが、内部は一層部分が上下に分かれているわけではなく、内部も二層。人形宇の配置を見ても、上山人形を欠きます。
 つまり二川八幡宮で曳かれる山車は、名古屋方とは非なるもの。こうした指摘も、私がするまで全くありませんでした。
 尾張型山車からくりの中には、知立祭の山車文楽や知多などでも文楽が演ぜられることがありますが、隠れ太鼓は、直接双方の山車文楽を人形振りに置き換えたものではありません。
 からくり山車のからくり人形のすべてがアクロバティックな動きをするわけではないことを注意的に捕捉しました。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2023年06月17日 07:07
柴田晴廣 様

 隠れ太鼓に関する先行研究がほとんどないなかで、柴田さんの観察眼と、歌舞伎や文楽などの知識があってはじめて構築できる論考ですね。先のようなご説明があると「なるほど」とわかってきますね。
 牛久保の隠れ太鼓が再興されたときに、今日、我々が目にする隠れ太鼓になったのでしょうけど、招いた師匠さんの技量に感心するばかりです。

安達恭史
 
Posted by 安達恭史 at 2023年06月19日 07:34
安達恭史さま

 歌舞伎の人形振りや人形浄瑠璃の知識だけでは、あそこまで思い至りませんsでした。
 帝都物語外伝の「死人の動き」、唐突に一登場する柳家小さんのなから、駱駝の葬禮、かんかんのうに思い至ったことが大きかったです。
 名古屋の御園座の地下二階にあった演劇図書館の閲覧可能な書籍も大きかったです。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2023年06月19日 08:52
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