2023年05月17日
持統
昨夜10時からのEテレの番組「知恵泉」では、持統(645~703)を取り上げていた。
タイトルは、「持統天皇 “日本”誕生!三代でつなぐ国づくり」。
持統が天智・天武が目指した国づくりを引き継ぎ、“日本”を作り上げたのか、といった内容であった。
カビが生えたような内容であったが、一応、視聴。
とはいうものの、睡魔が襲い、ところどおころしか記憶にない。
その中で、記憶にあるのが、『日本書紀』の編纂は天武の時代に始められたというバカげた話だ。
『日本書紀』の編纂は、持統の時代に始められている。
『日本書紀』は、推古朝(実際には、蘇我大王時代)に編纂された天皇記等や天武の時代に、記録校訂が行われた帝紀と上古の諸事を焚書し、新たに捜索した物語を史実のごとく騙るものである。
この程度の内容で、受診料を徴収していると思うと腹が立つ。
タイトルは、「持統天皇 “日本”誕生!三代でつなぐ国づくり」。
持統が天智・天武が目指した国づくりを引き継ぎ、“日本”を作り上げたのか、といった内容であった。
カビが生えたような内容であったが、一応、視聴。
とはいうものの、睡魔が襲い、ところどおころしか記憶にない。
その中で、記憶にあるのが、『日本書紀』の編纂は天武の時代に始められたというバカげた話だ。
『日本書紀』の編纂は、持統の時代に始められている。
『日本書紀』は、推古朝(実際には、蘇我大王時代)に編纂された天皇記等や天武の時代に、記録校訂が行われた帝紀と上古の諸事を焚書し、新たに捜索した物語を史実のごとく騙るものである。
この程度の内容で、受診料を徴収していると思うと腹が立つ。
この記事へのコメント
柴田晴廣 様
この番組も小生は視ていません。再放送があれば視てみようと思います。柴田さんの著書を読む前であったら、Eテレの番組に興味を抱いたかもしれません。しかし、柴田さんの著書を読んでいますので、恐らく、番組の途中で視るのを止めてしまうだろうと思います。
安達恭史
この番組も小生は視ていません。再放送があれば視てみようと思います。柴田さんの著書を読む前であったら、Eテレの番組に興味を抱いたかもしれません。しかし、柴田さんの著書を読んでいますので、恐らく、番組の途中で視るのを止めてしまうだろうと思います。
安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月18日 07:42
安達恭史さま
この投稿に付けたタグからわかるように、暦の研究家の小川清彦さんの日本書紀に使われている暦日、その研究を踏まえての森博達さんの日本書紀の具体的著述者の研究から、日本書紀の編纂は持統の時代に始められたことは明らかです。
番組では、持統を主人公とした漫画の作者・里中満智子が出演しておりましたが、里中の著作は、40年も前に描き始められたもので、しかも漫画。
森さんの言説を踏まえてコメントが出せるコメンテーターも出演させるべきだったと思います。
学者同士だと問題がありますが、漫画家の里中の著作を、学者がやんわり叩くなら、それほど角が立つこともありませんから。
この投稿に付けたタグからわかるように、暦の研究家の小川清彦さんの日本書紀に使われている暦日、その研究を踏まえての森博達さんの日本書紀の具体的著述者の研究から、日本書紀の編纂は持統の時代に始められたことは明らかです。
番組では、持統を主人公とした漫画の作者・里中満智子が出演しておりましたが、里中の著作は、40年も前に描き始められたもので、しかも漫画。
森さんの言説を踏まえてコメントが出せるコメンテーターも出演させるべきだったと思います。
学者同士だと問題がありますが、漫画家の里中の著作を、学者がやんわり叩くなら、それほど角が立つこともありませんから。
Posted by 柴田晴廣
at 2023年05月18日 09:31

柴田晴廣 様
小生も、NHKプラスで同番組を視聴してみました。「持統」とくれば、漫画家の里中満智子がゲストで呼ばれるであろうことは予想できますね。
番組の内容は、学校の歴史で習う内容と同じで、日本書紀の記述をそのまま受け入れたものでしょう。柴田さんの著書を読んでいる身としては、Eテレの番組は退屈な内容でした。
安達恭史
小生も、NHKプラスで同番組を視聴してみました。「持統」とくれば、漫画家の里中満智子がゲストで呼ばれるであろうことは予想できますね。
番組の内容は、学校の歴史で習う内容と同じで、日本書紀の記述をそのまま受け入れたものでしょう。柴田さんの著書を読んでいる身としては、Eテレの番組は退屈な内容でした。
安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月20日 10:12
柴田晴廣 様
件の番組とは関係ありませんが、奈良、西ノ京にある薬師寺。国宝の薬師三像は、みていて飽きないです。オンコロコロ センダリ マトウギ ソワカ。
そういえば、5年ほど前、地下鉄千代田線北千住駅構内で、薬師寺現管主の加藤朝胤さんをお見かけしました。知り合いではございませんが。。。
安達恭史
件の番組とは関係ありませんが、奈良、西ノ京にある薬師寺。国宝の薬師三像は、みていて飽きないです。オンコロコロ センダリ マトウギ ソワカ。
そういえば、5年ほど前、地下鉄千代田線北千住駅構内で、薬師寺現管主の加藤朝胤さんをお見かけしました。知り合いではございませんが。。。
安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月20日 10:42
安達恭史さま
『日本書紀』の編纂開始時期については、せめて「諸説あり」の字幕ぐらいは入れるべきだったでしょう。
こんなことだから、テレビ離れが進むのでしょう。
早送りで番組を視聴するという若者の気持ちが少しは理解出来ました。
若者の気持ちが少しは理解できたことだけでも、よしとしましょう。
私も早送りではありませんでしたが、半分以上寝ておりましたから(笑)
『日本書紀』の編纂開始時期については、せめて「諸説あり」の字幕ぐらいは入れるべきだったでしょう。
こんなことだから、テレビ離れが進むのでしょう。
早送りで番組を視聴するという若者の気持ちが少しは理解出来ました。
若者の気持ちが少しは理解できたことだけでも、よしとしましょう。
私も早送りではありませんでしたが、半分以上寝ておりましたから(笑)
Posted by 柴田晴廣
at 2023年05月20日 11:16

安達恭史さま
天上の虹という漫画。三河行幸で、持統は三河に着いた夜に襲撃され、足を負傷したことになっているようですね。
何を根拠に、里中が持統が襲撃されたと思いついたのかわかりませんが、少しはまともな漫画の陽ですね。
天上の虹という漫画。三河行幸で、持統は三河に着いた夜に襲撃され、足を負傷したことになっているようですね。
何を根拠に、里中が持統が襲撃されたと思いついたのかわかりませんが、少しはまともな漫画の陽ですね。
Posted by 柴田晴廣
at 2023年05月20日 23:03

柴田晴廣 様
里中満智子の『天上の虹』を読んだことはありますが、全て読んではおりません。持統晩年について、里中満智子がどのように描いたか興味を持ちました。三河行幸に触れているのであれば、是非、読んでみようと思います。
そういえば、御馬の祭禮を見に行った時に、ついでに音羽川沿いにある持統の行宮跡の碑を見に行きましたね。本当にその場所だったのか判りませんが、その辺りに来たのでしょう。
安達恭史
里中満智子の『天上の虹』を読んだことはありますが、全て読んではおりません。持統晩年について、里中満智子がどのように描いたか興味を持ちました。三河行幸に触れているのであれば、是非、読んでみようと思います。
そういえば、御馬の祭禮を見に行った時に、ついでに音羽川沿いにある持統の行宮跡の碑を見に行きましたね。本当にその場所だったのか判りませんが、その辺りに来たのでしょう。
安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月21日 00:25
安達恭史さま
ただ、持統の死因は、僥倖から帰った後に、寝台から落ちたことによるという設定のようです。
万葉集に収録された持統行幸の折の歌の引馬野を御馬、安禮の崎を音羽川河口としたのは、御馬の医師・今泉忠男(御津磯夫)。
これを石で歌人の斎藤茂吉が支持。
それ以前は、濱松の賀茂真淵が唱えた遠州説でした。
金曜の深夜、腰が抜けるように痛く、昨夜は39.4の発熱。
今も38度以上と、かなり苦しい。
ただ、持統の死因は、僥倖から帰った後に、寝台から落ちたことによるという設定のようです。
万葉集に収録された持統行幸の折の歌の引馬野を御馬、安禮の崎を音羽川河口としたのは、御馬の医師・今泉忠男(御津磯夫)。
これを石で歌人の斎藤茂吉が支持。
それ以前は、濱松の賀茂真淵が唱えた遠州説でした。
金曜の深夜、腰が抜けるように痛く、昨夜は39.4の発熱。
今も38度以上と、かなり苦しい。
Posted by 柴田晴廣
at 2023年05月21日 11:57

安達恭史さま
ご心配かけましたが、訪問看護の指示に従い、熱は下がりました。
ご心配かけましたが、訪問看護の指示に従い、熱は下がりました。
Posted by 柴田晴廣
at 2023年05月21日 12:46

柴田晴廣 様
先刻は、ご連絡、ありがとうございました。また、コメントも頂きまして重ねて御礼申し上げます。
遠州説もあることを存じ上げておりますが、持統軍は遠州までたどり着けなかっただろうと想像しております。
ウォーキングがてらに吉原大門辺りで一之宮の神輿を見物してきました。凄い人出でした。様々な睦が入り乱れて神輿を担ぐものですから、ルールがどうなっているのか、部外者にはよく理解できませんでした。
先導は、猿田彦。荒川の天王祭も、先導は猿田彦です。
安達恭史
先刻は、ご連絡、ありがとうございました。また、コメントも頂きまして重ねて御礼申し上げます。
遠州説もあることを存じ上げておりますが、持統軍は遠州までたどり着けなかっただろうと想像しております。
ウォーキングがてらに吉原大門辺りで一之宮の神輿を見物してきました。凄い人出でした。様々な睦が入り乱れて神輿を担ぐものですから、ルールがどうなっているのか、部外者にはよく理解できませんでした。
先導は、猿田彦。荒川の天王祭も、先導は猿田彦です。
安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月21日 17:20
柴田晴廣 様
熱が下がって良かったです。とにかく、無理をなさらずに、ご自愛くださいませ。
安達恭史
熱が下がって良かったです。とにかく、無理をなさらずに、ご自愛くださいませ。
安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月21日 17:22
柴田晴廣 様
神田祭、鳥越祭も先導は、猿田彦ですね。荒川の天王祭の神幸をみて猿田彦が先導していたのを知ってはいましたが、改めて見比べてみると猿田彦ばかり。 見物客の目は神輿ばかりに集中し、船頭の猿田彦はほとんど意識して見ていません。
安達恭史
神田祭、鳥越祭も先導は、猿田彦ですね。荒川の天王祭の神幸をみて猿田彦が先導していたのを知ってはいましたが、改めて見比べてみると猿田彦ばかり。 見物客の目は神輿ばかりに集中し、船頭の猿田彦はほとんど意識して見ていません。
安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月21日 18:00
安達恭史さま
今はどうか知りませんが、石座神社では、南蛮と言っておりました。
赤い顔と、花高が南蛮人に見えたからでしょう。
これも祭礼風流ですね。
今はどうか知りませんが、石座神社では、南蛮と言っておりました。
赤い顔と、花高が南蛮人に見えたからでしょう。
これも祭礼風流ですね。
Posted by 柴田晴廣
at 2023年05月21日 19:06

安達恭史さま
浅草といえば、祖父に連れて行ってもらった神谷バーで、ビーフシチューに電気ブラン、チェーサーは生ビール。
地下街の福ちゃんで、焼きそばにビールが定番でした。
浅草といえば、祖父に連れて行ってもらった神谷バーで、ビーフシチューに電気ブラン、チェーサーは生ビール。
地下街の福ちゃんで、焼きそばにビールが定番でした。
Posted by 柴田晴廣
at 2023年05月21日 19:48

安達恭史さま
「神輿深川 山車神田 だだっ廣いはさん脳様」と言われたように、神田祭は元は山車祭でした。
大向こうからの「待ってました」の掛け声に、腹掛けに、首抜きの着物、裁付袴の装束の鳶の頭が、「待っていたとはありがてえ」と応え、踊りが再開する『再茲歌舞伎花轢』(またここにかぶきのはなだし)は、神田祭と並ぶ天下祭の山王祭を舞台にしたもの。
https://www.youtube.com/watch?v=t5B6-DUyWyw
この鳶の頭は装束からもわかるように手古舞(梃子前)で、外題からもわかるように、天下祭は、神田、山王両方とも、山車祭でした。
『再茲歌舞伎花轢』が「申酉」と呼ばれるのも、天下祭では、先頭が大傳馬町の「諌鼓鶏の吹貫の山車」、二番目が南傳馬町の「幣猿の吹貫の山車」だったからです。
それが明治23年施行の電信電話條例、軌道條例により、牛に曳かせていた二輪の山車が曳けなくなり、御輿祭になりました。
「神輿深川 山車神田 だだっ廣いはさん脳様」と言われたように、神田祭は元は山車祭でした。
大向こうからの「待ってました」の掛け声に、腹掛けに、首抜きの着物、裁付袴の装束の鳶の頭が、「待っていたとはありがてえ」と応え、踊りが再開する『再茲歌舞伎花轢』(またここにかぶきのはなだし)は、神田祭と並ぶ天下祭の山王祭を舞台にしたもの。
https://www.youtube.com/watch?v=t5B6-DUyWyw
この鳶の頭は装束からもわかるように手古舞(梃子前)で、外題からもわかるように、天下祭は、神田、山王両方とも、山車祭でした。
『再茲歌舞伎花轢』が「申酉」と呼ばれるのも、天下祭では、先頭が大傳馬町の「諌鼓鶏の吹貫の山車」、二番目が南傳馬町の「幣猿の吹貫の山車」だったからです。
それが明治23年施行の電信電話條例、軌道條例により、牛に曳かせていた二輪の山車が曳けなくなり、御輿祭になりました。
Posted by 柴田晴廣
at 2023年05月22日 04:29

安達恭史さま
淺草というのは、江戸の中でも特殊なところだと思います。
粹で鯔背な男の代名詞・三男の筆頭は、与力、続いて力士、そして最後に火消の頭ですが、淺草の火消の頭は、粹と鯔背とは眞逆の新門辰五郎。
宵越しの金を持たぬのが粹ですが、辰五郎は、貯めた金で押し入れの底が抜けたというエピソードがあります。
新門は、淺草寺に作られた新たな門の門番のこと、辰五郎は、粹で鯔背な三男ではなく、「にげ尻てかいばくわせる寺おとこ」なのです。
淺草というのは、江戸の中でも特殊なところだと思います。
粹で鯔背な男の代名詞・三男の筆頭は、与力、続いて力士、そして最後に火消の頭ですが、淺草の火消の頭は、粹と鯔背とは眞逆の新門辰五郎。
宵越しの金を持たぬのが粹ですが、辰五郎は、貯めた金で押し入れの底が抜けたというエピソードがあります。
新門は、淺草寺に作られた新たな門の門番のこと、辰五郎は、粹で鯔背な三男ではなく、「にげ尻てかいばくわせる寺おとこ」なのです。
Posted by 柴田晴廣
at 2023年05月22日 05:16

柴田晴廣 様
色々と教えていただきまして、ありがとうございました。山車が神輿に変わって、御幸行列も変化している様ですね。
今日、目にする東京の主な神輿祭の先導は、猿田彦が多い気がしますが、歴史書の神代に記載されている天孫ニニギの先導をしたとの逸話から、祭禮風流として取り入れられたのでしょう。
先にもコメントいたしましたが、見物人の多くは神輿に目が奪われて、猿田彦に目を向ける人はほとんどいませんでした。
安達恭史
色々と教えていただきまして、ありがとうございました。山車が神輿に変わって、御幸行列も変化している様ですね。
今日、目にする東京の主な神輿祭の先導は、猿田彦が多い気がしますが、歴史書の神代に記載されている天孫ニニギの先導をしたとの逸話から、祭禮風流として取り入れられたのでしょう。
先にもコメントいたしましたが、見物人の多くは神輿に目が奪われて、猿田彦に目を向ける人はほとんどいませんでした。
安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月22日 07:30
柴田晴廣 様
小生、神田祭、山王祭を見たことがありません。今年は、山王祭の御幸祭はなく、来年となります。山王祭の先導は、神職が務めるようで、猿田彦ではありません。歌舞伎で『申酉』といわれるのだから、祭禮風流として猿田彦の出番はないでしょう。
「だだっ広いは山王様」とは、御幸行列の規模が大きかった、という意味なのでしょうか?
安達恭史
小生、神田祭、山王祭を見たことがありません。今年は、山王祭の御幸祭はなく、来年となります。山王祭の先導は、神職が務めるようで、猿田彦ではありません。歌舞伎で『申酉』といわれるのだから、祭禮風流として猿田彦の出番はないでしょう。
「だだっ広いは山王様」とは、御幸行列の規模が大きかった、という意味なのでしょうか?
安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月22日 07:51
安達恭史さま
「だだっ廣いは山王さま」の「だだっ廣い」は、山王社の氏子域のことで、日本橋、京橋、銀座、八丁堀、茅場町、九段、番町、麴町、平河が氏子域でした。
「だだっ廣いは山王さま」の「だだっ廣い」は、山王社の氏子域のことで、日本橋、京橋、銀座、八丁堀、茅場町、九段、番町、麴町、平河が氏子域でした。
Posted by 柴田晴廣
at 2023年05月22日 08:21

柴田晴廣 様
色々教えていただきまして、ありがとうございます。荒川の天王祭の氏子は、六十一か町あります。そこそこ氏子域は大きいと思います。「蘇民将来子孫也」の意味が解らない人達が多いです。
京都の祇園祭と同じ趣旨の祭禮だよ、と教えても、ピンときません。
安達恭史
色々教えていただきまして、ありがとうございます。荒川の天王祭の氏子は、六十一か町あります。そこそこ氏子域は大きいと思います。「蘇民将来子孫也」の意味が解らない人達が多いです。
京都の祇園祭と同じ趣旨の祭禮だよ、と教えても、ピンときません。
安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月23日 00:45
安達恭史さま
ちょっと、それは違います。
豊川市になる前の寶飯郡牛久保町大字牛久保は、すべて牛久保八幡社の氏子域ですから、豊川市役所や文化会館も氏子域になります。
豊橋の羽田八幡宮の氏子域は現代では広大ですが、江戸時代は広大なだけで集落があったわけではありません。
山王社の氏子域は、そういった例とは異なります。
ちょっと、それは違います。
豊川市になる前の寶飯郡牛久保町大字牛久保は、すべて牛久保八幡社の氏子域ですから、豊川市役所や文化会館も氏子域になります。
豊橋の羽田八幡宮の氏子域は現代では広大ですが、江戸時代は広大なだけで集落があったわけではありません。
山王社の氏子域は、そういった例とは異なります。
Posted by 柴田晴廣
at 2023年05月23日 01:42

安達恭史さま
「蘇民将来子孫也」と感心院の祇園会と直接結びつけるのは無理があります。
感心院の祇園会の茅巻やそれから発展したと考えられる吉田の祇園の饅頭配りの饅頭は、「蘇民将来子孫也」関連でしょう。
感心院の祇園会は貞観の地震の鎮魂のため、当時の国の数の66本の鋒を出したことが始まりで、天王祭といっても、津島天王社の天王祭は感心院の祇園会とはルーツが異なります。
「蘇民将来子孫也」と感心院の祇園会と直接結びつけるのは無理があります。
感心院の祇園会の茅巻やそれから発展したと考えられる吉田の祇園の饅頭配りの饅頭は、「蘇民将来子孫也」関連でしょう。
感心院の祇園会は貞観の地震の鎮魂のため、当時の国の数の66本の鋒を出したことが始まりで、天王祭といっても、津島天王社の天王祭は感心院の祇園会とはルーツが異なります。
Posted by 柴田晴廣
at 2023年05月23日 02:09

安達恭史さま
馬琴が天下一と称賛した吉田の花火は、城内天王の祭りですが、煙火や花火は盆の送り火をルーツに、火薬を使って変化したものと考えられます。
八百万の神祭りは、多種多様です。
馬琴が天下一と称賛した吉田の花火は、城内天王の祭りですが、煙火や花火は盆の送り火をルーツに、火薬を使って変化したものと考えられます。
八百万の神祭りは、多種多様です。
Posted by 柴田晴廣
at 2023年05月23日 02:22

柴田晴廣 様
色々と教えていただきましてありがとうございます。荒川の天王祭が京都の祇園会と主旨は同じと、迂闊に考えないほうがよい、多種多様ということですね。
氏子域の件、わかりました。山王祭の氏子域は広いだけでなく人も大勢いた、ということですね。
安達恭史
色々と教えていただきましてありがとうございます。荒川の天王祭が京都の祇園会と主旨は同じと、迂闊に考えないほうがよい、多種多様ということですね。
氏子域の件、わかりました。山王祭の氏子域は広いだけでなく人も大勢いた、ということですね。
安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月23日 10:33
安達恭史さま
能で有名な新城富永神社は、神明鳥居が立っていますが、平井(新城市平井)の天一天王社を勧請した天yoう王社です。
ただ、祭禮のシーズンから言っても祇園会ではありません。
菟足神社のような総氏神といわれる社の氏子域は広いには広いですが、宗略の数は日枝山王社のように、氏子域全体に人が住んでいたわけではありません。
江戸時代の江戸では、ダントツで「だだっ廣い」氏子域を誇っていたのです。
山王祭と同様の山車祭の名古屋東照宮の祭礼なども、城下で広い氏子域を持っていた祭禮といえます。
能で有名な新城富永神社は、神明鳥居が立っていますが、平井(新城市平井)の天一天王社を勧請した天yoう王社です。
ただ、祭禮のシーズンから言っても祇園会ではありません。
菟足神社のような総氏神といわれる社の氏子域は広いには広いですが、宗略の数は日枝山王社のように、氏子域全体に人が住んでいたわけではありません。
江戸時代の江戸では、ダントツで「だだっ廣い」氏子域を誇っていたのです。
山王祭と同様の山車祭の名古屋東照宮の祭礼なども、城下で広い氏子域を持っていた祭禮といえます。
Posted by 柴田晴廣
at 2023年05月23日 11:55

柴田晴廣 様
いつも沢山のことを教えていただきありがとうござます。祇園会といっても、様々なのですね。
安達恭史
いつも沢山のことを教えていただきありがとうござます。祇園会といっても、様々なのですね。
安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月23日 12:34
柴田晴廣 様
荒川の天王祭、氏子六十一か町といっても、江戸時代は郊外で農村でしたから、現代と同じように考えるわけにはいかないですね。もっとも、現代は、小生と同じように外から移住してきた人達も多いので、神輿の担ぎ手に事欠く睦も多い様です。
安達恭史
荒川の天王祭、氏子六十一か町といっても、江戸時代は郊外で農村でしたから、現代と同じように考えるわけにはいかないですね。もっとも、現代は、小生と同じように外から移住してきた人達も多いので、神輿の担ぎ手に事欠く睦も多い様です。
安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月23日 12:51