2023年04月29日

見性成佛

 このweb-logで何度も書いているが、此の世も彼の世も胡蝶の夢と思っている。
 そして、その連続が輪廻轉生。
 楽しい夢ばかりではないから、六道輪廻。
 醫療行為は、四苦からの衆生濟度。
 生老病死は、生まれ、老い、病になり、やがて死を迎えるという人生の順に並んでいるのではなく、苦しい順に並んでいると今は思っている。死も苦しいだろうが、生き地獄の言葉もあるように生きることは、死より苦しいこともある。治る病は數多あれど、老いには抗えない。
 ただ、その生老病死も所詮は幻想だろう。
 すべての事象が共同幻想であり、受想行識もまた自己幻想ないし対幻想にすぎないからだ。
 正法明如來という佛が、衆生濟度のため、菩薩になった觀自在菩薩が説く、智慧。
 般若心經の理解は深まり、四苦からは解放された。とはいえ、般若心經に書かれた文字からの受想行識の理解であり、直指人心 見性成佛ではない。
 悟りははるか向こう。まだまだ輪廻轉生は続く。
 先に投降した不立文字の続きである。
https://tokosabu.dosugoi.net/e1270787.html



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Posted by 柴田晴廣 at 10:51│Comments(39)雑談
この記事へのコメント
柴田晴廣 様

 四月三十日、大変、愉しい時間を過ごすことが出来ました。ありがとうございました。予想をしていたよりもずっとお元気であったことを何よりも喜ばしく思いました。ご無理をせず、ご自愛下さいませ。

 今回も短い逗留でした。以前から訪れたかった、河岸段丘下の旧鎌倉街道を豊川から牛久保方面に抜けて、花井寺をみて、更には、幼少の頃、渡辺産婦人科下に「旧鎌倉街道」の標石があった記憶をもとに見に行ったのですが、段丘崖沿いは宅地造成が進んでおり、標石は、もうありませんでした。もっとも、この標石は古いものではなかったはずですが、段丘崖下の道が旧鎌倉街道であったことの名残を見えなくしてしまったことは残念でありません。

 湧水もいくつかありましたが、幼少の頃、岸組の段丘下にあった通称「洗濯川」の湧水池は、荒れ果てて淋しい姿でした。
 
安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月02日 21:50
安達恭史さま

 二十代のころ、花井寺に坐禅に行っておりました。
 崖下の道だとわかりませんが、線路沿いの道を歩くと、花井寺の北の市道公園の辺りが低くなっております。
 花井寺は段丘崖の谷のようなところに建っています。
 正月の二日に行くと、客殿に入ることが出来ます。
 花井寺の客殿は、見る価値がある建物です。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2023年05月03日 00:45
柴田晴廣 様

 花井寺は、今回、初めて訪れた地元の古刹ですが、結構な広さで驚きました。今でも座禅の会があるようで、誰でも参加できるそうですね。周りは宅地になりましたが、静かな場所でした。座禅をするにはよい環境だと思いました。

安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月03日 05:50
安達恭史さま

 中尾工業が花井寺の檀家です。
https://nakaokogyokk.com/p10.htm
 客殿も中尾さんの財力があってのものだと思います。
 私の母方の祖父は、現在は豊橋市の長瀬町ですが、尋常高等小學校は、私の家の北にある南岸山東勝寺内にあった牛久保尋常高等小學校、徴兵検査は花井寺だったそうです。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2023年05月03日 07:58
柴田晴廣 様

 河岸段丘下の三明寺、花井寺には倭姫巡幸逸話との関連性を思い浮かべる話が残り、大江定基と力壽の昔ばなし、持統の三河行幸とその目的、文武の煩悩逸話、と、『穂國幻史考(増補新版)』には盛りだくさんの考察が記載されていますので、大変興味を持っておりました。時間をかけてじっくりと、散策することはできませんでしたが、いつか、実現しようと思います。

 四年前に亡くなった、友人のおっさま(通称べんちゃん=ベンジャミン)の姓は、星野です。荒川区にある真言宗豊山派寺院の僧侶でした。今頃は成仏して美女たち(彼は音楽ユニットのPerfumegがお気に入りの様でした。かなりの面食いでした)に囲まれて呑んでいるか、はたまた酒の飲み過ぎと美女好きの罰が当たり、天道から人間道(あるいは修羅)に転げ落ち、どこかで生まれ変わっているか、二つに一つの大人物でした。行名の星野荘や熱田大宮司の話が出てきますと、亡きベンジャミンと呑んでいた頃を思い出しました。柴田さんもべんちゃんと呑みながら話を聞きたい、とおっしゃっていましたが、叶いませんでしたね。

安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月03日 09:56
安達恭史さま

 拙著『穂国幻史考(増補新版)』で、言及したように、三明寺から花井寺付近には、法月山光輝庵の前身・大運寺、『国内神名帳』の宮解天神、さらには、廃寺となった風月山隣松寺もこの付近にあったとする説もあります。
 定善寺(現上善寺)も瀬木にありましたし、牛宇保八幡社の境外摂社の天王社も中条町大道に鎮座し、その北に奥の院のような形で榎藥師が控えておりました。
 現在とは、だいぶ様相が違っていたことでしょう。
 私は眞言宗の教義等については、佛説からみて、おかしなものだと認識しておりますが、そのあたりをべんちゃんに質問してみたかった。
 私より一回りぐらい下だと思いましたが、安達君の話から、佛説については、詳しい高僧と思っておりました。
 長谷寺と三輪山についても、いろいろ語りたかったですね。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2023年05月03日 11:13
安達恭史さま

 これも拙著『穂国幻史考(増補新版)』で、言及しましたが、法月山の山號からもわかるように、光輝庵の前身・大運寺があった辺りは、「ほおづきの」と呼ばれていました。
 本坂峠の向こうにも板築山(ほおづきやま)があります。
 本坂峠を挟んで、姫街道の西と東には、「ほおづき」の地名があったことになります。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2023年05月03日 11:48
安達恭史さま

 本坂道について言及しておけば、利用者の利便性から考えれば、宇利峠を越える方が、楽だったはず。
 入り鉄砲、出女との政策から、本坂道を東海道の脇街道にしたのだろう。
 ただ、江戸時代に作られたわけではなく、はるか昔からこの街道は存在した。
 橘逸勢は、流罪になりこの道を通った。
 フナ侍・浅野内匠頭は、平川門から江戸城外に出た。
 本坂道も、罪人の通る道として、古代には機能していたように思う。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2023年05月03日 12:21
柴田晴廣 様

 色々と教えていただきましてありがとうございました。もっとも、ベンジャミンとは呑みの席で真言の教義の話を聞くことはなかったのですが、一番、面白かったのは、長谷寺で修行中、先輩僧侶たちがキャッチボールしてて暴投し、国宝にボールぶつけて傷つけてしまい、寺族で修繕費を賄った話です(笑)。

安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月03日 16:37
安達恭史さま

 先に書かれているように、曹洞宗の寺院では永平寺と白山との関係から白山妙理權現が祀られております。
 白山妙理權現の本地佛の十一面觀世音菩薩は、六觀音の一つであり、修羅道を救うといわれる。
 六道について補足すれば、六道の内、天道、人間道、修羅道を三善趣、畜生道、餓鬼道、地獄道を三惡趣とするが、修羅道を惡趣に含め、四惡趣とすることもある。元々、地獄、餓鬼、畜生、人間、天上を五趣とし、五趣の中には修羅はなかった。修羅道がなかった理由は、阿修羅が天龍八部衆の一柱であり、修羅道は天道に含まれていたからである。天道から人間道を跳び越し、その下に位置付けられた修羅道を化益する十一面觀世音菩薩を本地とする白山妙理權現を信仰の對象として選んだ被差別民であるが、それを選んだ理由には、人間道の上に位置した天道の世界にいた阿修羅が、人間道の下の修羅道に落とされたことと無縁ではあるまい。
 その白山信仰は死と再生の宗教である。
 蘇我氏は、崇佛といわれるが、排神ではない。
 蘇我氏という氏名から、その神祭りは、黄泉がえりの宗教であったと考えられ、故に輪廻轉生を教義とする佛教を受け容れる下地があったのだろう。
 乙巳の變で、没落した倭の大王・蘇我宗家が被差別民の形成にかかわっていたことは容易に想像される。
 白山信仰は、蘇我氏の神祭りを基にしたものと私は考える。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2023年05月03日 18:17
柴田晴廣 様

 乙巳の変で、蘇我宗家が没落したわけですが、生き延びた蘇我一族は、奴婢のような扱われ方をしたのでしょうか。

安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月04日 09:23
柴田晴廣 様

 日本書紀によれば、六四九年三月に、蘇我倉山田石川麻呂が謀反の疑いを受けて妻子ともども首をくくり、親蘇我派も同様の道を辿ったようですから、乙巳の変以降、徹底的に蘇我氏をたたき弱体化させていったことがわかりますね。そうなると、丁未の乱のとき、物部氏一門の扱いを考え併せれば、蘇我氏一門の扱いも厳しいものであったことが想像されますね。

安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月04日 10:08
安達恭史さま

 韓半島の歴史をみれば、前政権の扱いは徹底したものであることが容易にわかると思います。
 翻って、我が国。
 天皇なんていうのは、韓半島出身者の末裔。
 『神皇正統記』卷2應神條には、「昔日本は三韓と同種也と云事のありし かの書をは 桓武の御代にやきすてられしなり」との記述がある。
 桓武の時代に焚書されたとすることから、三韓と同種は、桓武の先祖のことと考えられる。
 『續日本紀』卷四〇の延暦9(789)年1月壬午(15日)條には、「皇太后 姓和氏 諱新笠 和氏 百濟武寧王之子純陀太子之裔也」と、「高野新笠は、百濟の武寧王(462~523)の子・純陀太子(?~513/『日本書紀』卷17繼體7(516)年8月癸未朔戊申(26日)條に、「百濟太子淳陀薨」とある)の後裔」との旨が記されている。『續日本紀』は、菅野朝臣眞道(741~814)らが編纂し、延暦16(797)年に桓武に奏上した。桓武の時代に燒き捨てられた「三韓と同種也」と書かれた「かの書」は、桓武の母の高野新笠の出自について記されたものではない。現に『續日本紀』に、高野新笠は百濟系歸化人の子孫だった旨の記述が殘っているからだ。
 となれば、桓武の母ではなく、父方の祖で、『日本書紀』卷24皇極4(645)年6月戊申(12日)條で、「韓人」と記される天智(626~672)のことである。
 韓半島に出自を持つ天皇家なら、没落した蘇我宗家を被差別民に陥れることなどたやすいことだろう。
 ちなみに、半村良(1933~2002)著『産霊山秘録』で、ヒ一族を日とも卑とも非とも記されるとし、山野を跳梁し、神に仕え、皇室より上に位するとの設定をとっている。
 おそらく半村良は、私が考えているような形で被差別民が成立したと考えているのでしょう。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2023年05月04日 11:03
柴田晴廣 様

 色々と教えていただきましてありがとうございました。天智が百済人であったことを伝えると、大抵の日本人は驚きますね。

安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月04日 15:22
安達恭史さま

 日本語の敬語は相対敬語ですが、天皇ないし皇族に対しては、韓国・朝鮮語と同様に絶対敬語。
 宮中言葉の「おもうさま」は、韓国・朝鮮語の「オモニ」から。
 現在の佐渡ケ嶽部屋は、先代の佐渡ケ嶽(横綱琴桜)の娘婿の元関脇琴の若、大嶽部屋も、大鵬の娘婿の貴闘力が興したもの。
 相撲部屋は基本的に、女将から娘への母系相続。わが国では、母系相続が基本。
 ところが、万世一系という男系。
 これだけ見ただけでも、天皇が、韓半島出身者の末裔なのは、当然のことです。
 その韓半島出身者の末裔を元首に仰ぐ憲法の草案とする自由民主党が、どういった集団かは、自ずと導かれると思います。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2023年05月04日 16:09
安達恭史さま

 韓半島出身者の末裔を元首と仰ぐ、自由民主党が旧統一教会と密接な関係になることも何の不思議もありません。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2023年05月04日 17:04
柴田晴廣 様

 「天壌無窮の神勅」を読むと、万世一系であっても男系と限定してはいなっかた記憶があります。男系としたのは最近の話でしょうか?
 持統や元明が記紀での皇統を非渡来系/万世一系とし、出自を隠蔽したにしても、記載内容をみれば百済、任那、新羅といった韓半島の国々との関係は密であったことは容易にうかがえますね。

 天皇陵の調査を頑なに拒む宮内庁。明かされては不都合なのでしょうね。

安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月04日 17:52
安達恭史さま

 皇統譜に記載されているすべての天皇が、男系でさかのぼれば、ニニギの子孫になります。
 ですから、最近のことではありません。
 ただ、記紀の系譜をみれば、母系の痕跡(現資料が母系)が見えます。
 「天壌無窮の神勅」は、皇位継承の正当性を、韓人=天智に求めているわけですから、皇位継承の男系相続は、記紀の時代にはじまるといえます。
 1300年以上も養ってやっているんですから、日帝36年なんて、短い短い。
 明仁や裕仁らをとっとと、大韓民国なり、朝鮮民主主義人民共和国なりに返して、韓国や北朝鮮に賠償請求をすべきでしょう。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2023年05月04日 18:13
訂正

 裕仁× 徳仁〇
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2023年05月04日 18:42
柴田晴廣 様

 天壌無窮の神勅の件、大変よくわかりました。以前から気になっていたところでしたから、すっきりしました。ありがとうございました。

安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月05日 10:02
安達恭史さま

 天壌無窮の神勅より、不改常典を考えるといろいろと見えてきます。
 『續日本紀』卷7で、元正の即位の正当性を天智に求めていますが、元正は草壁の娘ですから、天武に正当性を求めなければおかしいはずです。
 それが、元正の母・元明、その父の天智という血筋をさかのぼっていることが、おかしい。
 これは聖武や孝謙についても同様です。さすがに、淳仁の即位の際には、不改常典を根拠としません。
 もっとも、『續日本紀』の編纂は、桓武の時代に始められるわけですから、天武でなく天智に求めたのでしょう。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2023年05月05日 11:29
柴田晴廣 様

なるほど。天智の不改常典、わかりました。

安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月05日 11:44
安達恭史さま

 このクニが母系であったことを考慮すれば、持統、元明の皇位継承の正当性は、蘇我の血筋にあった。
 文武や聖武、称徳も、草壁を介し、倭王阿毎の後継・天武に正当性が求められます。
 淳仁についても、舎人から天武。
 ただ、これでは、不比等を不都合。
 母系と利用しつつ、天皇の外戚として、権力を手にするため、天智に正当性を求め、最終的に不改常典を捜索したと考えられます宇。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2023年05月05日 13:20
柴田晴廣 様

 ここはとても重要なところですね。持統、元明の即位の正当性は、実のところ、蘇我大王家の血筋にあることなのだが、これだと藤原不比等にとっては不都合であり、記紀の筋書きでは蘇我大王家の血統としてではなく、父親の天智の血筋に正当性を求める不改常典を創作させた、ということですね。

安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月05日 20:02
柴田晴廣 様

 藤原不比等にとって、天武の倭王阿毎の系譜も不都合だったのですか?何度も質問をして申し訳ございません。

安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月05日 20:09
安達恭史さま

 乙巳のクーデターで、蘇我宗家を滅亡させた天智の盟友が鎌足。
 鎌足の子・不比等は、蘇我宗家の後継・天武の時代は不遇。
 記紀の編纂目的の一つは、アマの歴史の抹殺。
 故に、推古麻のに編纂された天皇記等や天武麻に記録肯定された帝記等は、現存しません。
 アマの系譜が存在すれば、王朝交替があったことになり、天皇の棄姓が無駄になります。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2023年05月05日 21:06
柴田晴廣 様

 甘樫丘に邸宅を構えていた蝦夷、入鹿が、当時の大王家。アマ。そうすると、天武は大海人でありアマすなはち蘇我大王家の系譜にあった、ということから、藤原不比等にとってみれば天武時代は不遇をかこっていた、と理解できるということですね。アマの歴史の抹殺を、持統、元明によく受け入れさせたものだと思います。
 脅したのでしょうかね?年は違うが天武と川嶋皇子の命日が九月九日と同じと記されていますし、死因は不明。
 
安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月06日 00:41
安達恭史さま

 川嶋皇子は、天智の子ですが、母系で見れば、忍海造。
 忍海造について、新撰姓氏録』第一帙河内皇別忍海部の項は、「開化天皇皇子比古由牟須美命之後也」と記しています。
 加えて、現存しない帝紀及び上古諸事の記録校訂に携わっていました。
 また、元明の皍位に異を唱え、粛清されたと考えられる柿本人麻呂の本姓は、和邇臣であり、前田速夫著『海人族の古代史 非常民の民俗学への懸け橋』の第二部「海人族と古代王権」の第2章「ワニ氏・尾張氏・息長氏」の「ワニ氏と応神天皇」の項では、和邇氏の本貫を若狹とし、その出自を海人としています。
 これらも海人の歴史の抹殺です。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2023年05月06日 08:28
安達恭史さま

 このweb-logに何度も書いておりますが、私の家は露天商の親方でした。
 祖父から聞いた話では、露天商の祖は天香具山命で、かぐや姫も同族だと。
 この天香具山命も海人であり位、『古事記』中卷の系譜では、かぐや姫は、川嶋皇子と同様に、比古由牟須美命の後裔とされます。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2023年05月06日 09:02
柴田晴廣 様

 ご回答、ありがとうございました。海部氏と並ぶ海人族の雄、和邇氏ですね。前田速夫さんの著書も確認しました。継体、欽明朝の頃には和邇氏は春日氏に吸収されてしまったのだろう、とあり、春日氏の同族に、大宅、粟田、小野、柿本氏が連なっているのですね。

安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月06日 09:37
柴田晴廣 様

 小生、ご存知の通り、会社勤めです。日々雑多な事象で振り回されており、四苦八苦しております。生老病死に加えて愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦にまみれております。齢を重ねるほど、これら自分では如何ともしがたい苦が、この身に重くのしかかってくることを強く感じるようになりました。人間とは厄介な存在です。

 どうぞ、お身体をご自愛くださいね。

安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月12日 07:43
安達恭史さま

 色受想行識の色は共同幻想に見えて、実は自己幻想に過ぎない。
 色即是空空即是色とは、これを言っていると考えられます。
 受想行識は、当然自己幻想。
 だから、五蘊皆空。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2023年05月12日 10:53
柴田晴廣 様

 ご返信、ありがとうございました。小生の四苦八苦の話をべんちゃんが聞いたら、きっと大笑いすることでしょう。

 そういえば、十一面観世音菩薩の背面に、拝観者から見えない「大笑面」がありますね。

安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月13日 09:53
柴田晴廣 様

 昨年まで『月刊住職』を二年間、購読しました。内容はまじめであり、寺の存続問題、廃寺問題、寺族の生活問題、税金、近隣との軋轢など、俗世の垢にまみれたような話題が毎号のように記載されています。檀家さんの高齢化やコロナ禍で交流が疎遠になりがちだった檀家さんや周辺住民とのコミュニケーションのためにイベントを企画する若い僧侶の話題もありますが、豊川の陀羅尼山財賀寺が取り上げられていて興味深く読みました。小学生のとき、遠足で訪れたくらいで、以来、訪れておりません。

 財賀寺は高野山真言宗の寺ですね。ベンジャミンのお山、豊山長谷寺の真言宗で、どちらも真言密教の教えですけど、ベンジャミンが酔っぱらったときの会話がほぼ会話になっておらず、人間としてどこか突き抜けていたのを思い出しました。ベンジャミンの謎の真言には、秘密のベールがかけられたままです。

安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月13日 13:23
安達恭史さま

 先のコメントは、般若心經の最初の部分
 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舍利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是
 の現在の私の理解です。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2023年05月13日 13:42
柴田晴廣 様

 般若心経ですね。何度も読み返したり、サンスクリット語の読経を聞いたりしておりました。般若心経の冒頭部分は、真理であると小生も思います。ただ、この境地には到達しておりません。人は、しばしば、「修行が足りん!」と揶揄しますが、私のような凡夫にはなかなか到達しえない境地です。

安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月13日 14:44
安達恭史さま

 財賀寺は、現在、開創1300年記念で、前立の出張開帳を行っています。
http://www.ccnet-ai.ne.jp/zaikaji/page095.html
 豊川信用金庫牛久保支店の新規改装(元の牛久保支店中条出張所)に合わせて、前立が開帳されました。
 この財賀寺、現在は眞言宗の寺院ですが、少なくとも室町時代の最初ごろまでは天臺宗の寺院でした。
 東三河の眞言系寺院の幾つかの古刹は、もともと天臺系の寺院で会った可能性が高く、改宗は、新羅堂崩れの影響によると私は考えております。
 奈良の長谷寺も、最初から眞言宗の寺ではありませんでしたね。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2023年05月13日 15:20
安達恭史さま

 財賀寺も、三河國司・大江定基(962?~1034)の愛妾・力壽ゆかりの寺です。
 大江定基は、後に天臺僧となります。
 龍雲山三明寺、松鷲山花井寺も、大江定基ゆかりの寺です。
 兩寺とも、現在曹洞宗の寺院ですが、元は眞言宗の寺院だったといいます。
 大江定基は力壽が亡くなったことがきっかけとなり、出家していますから、三明寺や花井寺も元々は、天臺系の寺院だったと考えられます。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2023年05月14日 14:05
柴田晴廣 様

 財賀寺も大江定基所縁の寺なのですね。

 前立巡幸のこと、『月刊住職』にも載っていたかなぁ。前立巡幸の話は記憶にあります。財賀寺のHPで読んだのかもしれません。

安達恭史
Posted by 安達恭史 at 2023年05月14日 14:45
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