2022年03月18日

『牛窪考(増補改訂版)』の内容の説明25(あとがき~)

『穂国幻史考(増補新版)』第三話「牛窪考」の「あとがき」では、『穂国幻史考(増補新版)』第三話「牛窪考」の各論を総括するとともに、なぜに『穂国幻史考』に、自己幻想、対幻想、共同幻想の概念を用い、改訂し、『穂国幻史考(増補新版)』として、新たに刊行しようとした理由を記した。

『穂国幻史考(増補新版)』第三話「牛窪考」の基となる『牛窪考(増補版)』刊行後の二〇一七年七月一九日に、がんの転移を見落とされ、誤魔化しの説明を受けるとともに、余命八月、治療をしても三十月との宣告を受けた。
 当然のことながら、自分が死んだら、周囲の人たちはどんな思いをするだろうと考えた。対幻想である。そして『牛窪考(増補改訂版)』の執筆中に父が急逝した。父の死により、対幻想が具体化するとともに、対幻想に幾つかの類型があること、氏神信仰や怨靈信仰は、対幻想の概念を用いて説明できることに気が付いた。
 さらには、祭禮を見学していてよく耳にする「昔からこうだった」のほとんどは自己幻想に過ぎないこと、祭禮組織ないし祭禮の變容は、自己幻想、対幻想、共同幻想の概念を用いて説明出来ることにも思い至った。
 加えて「記紀」の描く世界は究極の共同幻想であること、この究極の共同幻想を解體するには、これも共同幻想であるが、本地埀迹説が有効なことに気付いた。『穂国幻史考』に自己幻想、対幻想、共同幻想の概念を用い、改訂し、『穂国幻史考(増補新版)』として、新たに刊行しようとした理由は以上である。

 余談になるが、余命宣告を受けて、一応であるが、自身の死生観も確立した。此世も彼世も「胡蝶之夢」と認識している。この連続が輪廻転生。「胡蝶之夢」のような優雅な内容ばかりではないから、六道輪廻。よく登場する人物や場所は宿縁があると思っている。もっとも、「色皍是空 空皍是色」とは程遠い。自分で戒名を付けたのも此世への執着の裏返しだ。

 がんの転移の見落としの説明から、医療機関ないし医療行政の出鱈目さにも気付かされた。
 臨床も当然ながら、経験則が、科学的根拠に先行する。後付けの科学的根拠が見つからないだけで、経験則上、有効な治療であっても、エビデンスがないと斥けるのが、医学の世界ではまだまだ横行している。
 これと関係するが、分析技術なども完全とはいいがたい。
 化学合成薬の歴史はたかだか二百年。副作用もこの未熟な分析技術と相俟ってのものと思う。
 生薬を使うのは、東洋医学のみではない。リキュールは、古代ギリシャの醫師ヒポクラテス(Hippocrates/前四六〇頃~前三七〇頃)が、ワインに藥草を溶かし込み、藥酒を作ったのを起源とする。
 プロテスタントの醫教分離まで、リキュールの多くは、教会や修道院で作られていた。
 この醫教分離は、わが国にも及び、四苦八苦の四苦(生老病死)からの衆生濟度を缺いた醫師は、醫は算術に走った。醫は算術とはいわないまでも、陸軍々醫總監で、陸軍省醫務局長を務めた森林太郎(一八六二~一九二二)も四苦からの衆生濟度を缺いた醫師の一人だ。
 さらにやっかいなのは、一部の外科醫は、關東軍防疫給水部本部で、四苦からの衆生濟度とは眞逆の人體實驗を行い、いまだにその弊害はこのクニの医学会から払拭されていないことだ。
 医療行政の一つである、がん治療の標準ガイドラインについて言及すれば、このガイドラインは、自由と自由が衝突したとき、精神的自由より経済的自由が優先するという新自由主義者の小泉純一郎が厚生大臣のときに助成金が交付され、制定されたものだ。四苦からの衆生濟度より経済性を優先させたものだ。もちろん本來の意味の救世濟民ではなく、救世濟民の視点を欠く経済性だが……。

 国家資格の中でも、自動車の運転免許証並みに不合格になるのが、難しいのが医師免許の試験だ。加えて、博士号の中で最も取得しやすいのも医学博士だ。医療行為も契約という側面から見れば、コンビニでジュースを買うのと変わりはない。ところが、事前に価格も提示せず、ぼったくりと変わらないのが医療契約だ。日本医師会の会員の中の一定数の医師は、医療は特別との共同幻想を定着させなければ、医師の権威が保てないと思っているのだろう。誤解のないように加えて置けば、私は優秀でまっとうな医師がいないといっているのではない。そのような優秀でまっとうな医師の意見をかき消すほど、医療は特別との幻想を流布させようとする声が多いことを問題にしてるのだ。

 話は変わるが、『穂国幻史考(増補新版)』第一話「記紀の成立と封印された穂国の実像」第四章「虚構の万世一系と持統の生い立ち」の第一節のタイトルは、「易姓革命から逃れるために姓を棄てた持統」である。この持統の棄姓により易姓革命は機能しなくなり、放伐思想は封じられた。結果、このクニでは、為政者に護民思想が生まれず、民を護れぬ国はとっとと潰し、新たに民を護れる国を創るという、当たり前のことも理解していない政治屋が跋扈している。そうした主権在民を理解していない政治屋は押し並べたように「日本のため」と口にする。
 封建時代には、「民は生かさず、殺さず」との言葉があったが、主権在民のいま、「クニなど生かさず、殺さず」が、クニを縛る指針と民衆も理解すべきだ。これが徹底されないから、生産性とは対極にあるオリンピックでメダルを獲得することが、先進国だとの勘違いが始まる。
 加えて、オリンピックが平和の祭典であるというのも幻想だ。近代オリンピックが始まった当初、参加資格があったアマチュアとは、軍人、士官学校生、そして学生だった。一九五二年に開催されたヘルシンキ大会まで馬術の出場資格は軍人に限られていた。
 パラリンピックも第二次世界大戦の傷病軍人のスポーツ大会が起源だ。

 さて、『穂国幻史考(増補新版)』第三話「牛窪考」拾遺五「檢證 東三河の徐福伝説」の説明で述べたように、わが国の佛教界のレベルはことのほか低い。
 これは朱印などにも顕現している。せめて朱印ぐらい、キリスト教やイスラムに倣い佛教暦で年月日を記すか、宗祖の生誕年、あるいはその寺院の創建年からの紀年を用いてもらいたいものだ。
 神道についても同様だ。地祇を祭神とする神社で元號を朱印に用いるなど、祭神の冒涜に他ならない。かようにこのクニの宗教者のレベルは低い。
 宗教、政治、医療とありとあらゆる分野で、このクニは出鱈目なのだ。
『穂国幻史考(増補新版)』第三話「牛窪考」の「あとがき」では以上のようなことも記した。

『穂国幻史考(増補新版)』の「あとがき」では、『穂国幻史考(増補新版)』利用における著作権法上の注意点等、第三話の「あとがき」では、がんの転移を中心にその治療の問題点を説明したが、ここでは再発時を含めた具体的に私がどのような治療をしたか、及びその治療の選択肢を狭める、医療行政における官民癒着の一例レジメンの弊害についても言及した。

『穂国幻史考(増補新版)』は、東三河の歴史や民俗を題材にしたものの、通説をなぞったものではない。東三河の歴史や民俗を介して、歴史や民俗から何をどう学び、どう生かすかの地均しの論考と自負している。
 以上、『穂国幻史考(増補新版)』を読み進める上での参考になれば、幸甚である。
 多様な価値観が認められる社会の実現を目指し、主権在民を謳う日本国憲法が施行された一九四七(昭和二二)年をもって、日本国元年とする紀年を記して、筆を置く。

  日本国七六年三月吉日
                                                                        穗國宮嶋鄕常左府にて
                                                                             理證晴連居士



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