2021年03月03日

ひな祭り――剥き身の押し寿司

 今日はひな祭りということで、蜊の剥き身を買って来て、剥き身の押し寿司を作った。

剥き身の押し寿司

 私が子供の頃は、握り寿司は、お客さんが来たときに、出前で取るものであり、家で作る寿司といえば、この剥き身の押し寿司や干し椎茸を戻し甘辛く煮たものを具とした押し寿司、稲荷ずし、かんぴょう卷といったところだ。
 特に春先のひな祭りや春の祭礼では、剥き身の寿司は欠かせないものであった。
 私の住む牛久保の「若葉祭」も、四月八日が当たり日であり、「若葉祭」の折には、剥き身の寿司を作った。
 この剥き身を煮る匂い、酢の匂い、そして爆竹の火薬の匂い、これらが合わさった匂いが、私が子供の頃のお祭りの匂いだ。
 その私が子供の頃、干し椎茸の戻し汁で、剥き身を甘辛く煮て、その汁で、戻した干し椎茸、その後に、油揚げ、最後にかんぴょうを煮た。
 椎茸と剥き身の香りと味がしみ込んだ油揚げ寿司は格別だ。これが正統な東三河の稲荷寿司である。
 豊川市が観光の一環として推すゲテモノ稲荷など、外道の外道だ。
 そもそも稲荷の門前は牛頭天王社の氏子であり、その祭礼は、蜊の旬のシーズンからは外れている。稲荷の門前では、こうした正統な稲荷寿司とは縁がなかったのかもしれない。
 上記のように、本来は干し椎茸の戻し汁で、剥き身を煮るべきだが、イチビキの昆布椎茸しょうゆで味を付けた。残った汁で、油揚げを煮て、稲荷寿司にした。
 うちが商売をやっていたことから、牛久保の「若葉祭」の折には、祖母・すま子の母・さわ(厳密には変体仮名でさわ)が寿司を作りに来てくれた。曾祖母さわの味を再現できただろうか。曾祖母さわからいえば、私が初曾孫になる。優しかった曾祖母にはかわいがってもらった。
 なおカテゴリーを「牛窪考(増補版)」としたのは、「牛窪考(増補版)」でも、剥き身の寿司を採り上げたからである。



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Posted by 柴田晴廣 at 17:25│Comments(0)牛窪考(増補版)
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