2022年09月10日

推敲中の『穂国幻史考(増補新版続編)』の説明1

 『穂国幻史考(増補新版続編)』は、『穂国幻史考(増補新版)』で展開した独自の説及び、その独自の説の前提となる言説を抽出して、まとめたものである。

 「風土記撰上と佳字二字令」は、『穂国幻史考(増補新版)』第一話「記紀の成立と封印された穂国の実像」の序「穗國とは」から、風土記撰上及び佳字二字令について言及した言説を拔き出したものであり、主に『續日本紀』卷六和銅六(七一三)年五月癸亥朔甲子(二日)條の記述を基に、風土記撰上と佳字二字令が何を目的に制定されたかを考察した。
 「風土記撰上と佳字二字令」の詔が出された和銅六年は、『日本書紀』のゲラ刷りたる『古事記』完成の翌年になる。『日本書紀』は、史實を後世に傳える目的で編纂されたものではなく、史實を消し去り、新たに創作した物語をあたかも歴史の如く語ったものである。
 「記紀」では、「記紀」が初代天皇とする神武の東征で、大和盆地に入るとき、近畿地方には、土蜘蛛を始め、古モンゴロイド(繩文人)の身體的特徴を有する人々がいたことが記されている。佳字二字令及び『風土記』に收録された地名由來譚は、神武が征討した先住者の付けた地名を消すことにあった。
 『古事記』序文第三段も、「然 上古之時 言意并朴 敷文構句 於字皍難」と、「上古の言葉を漢字に直すのは困難である」旨を記し、その例として「日下」を擧げ、「於姓日下謂玖沙訶」と、「日下は玖沙訶と訓むが、日下とそのまま記した」旨を述べる。
 このクサカは、先住者の言葉であり、繩文語の流れを汲むアイヌ語で「舟で運ぶ・岸」を意味する"kusa・ka"に由來する。これをもってしても、『風土記』の編纂意圖をうかがい知れよう。
 『風土記』の撰上及び佳字二字令は、『日本書紀』を裏から支え、先住者の歴史を消し去り、創作された新たな物語を史實と誤認させる目的で制定されたものであることを説明した。

 「日本書紀の暦日とその著述年代」は、『穂国幻史考(増補新版)』第一話「記紀の成立と封印された穂国の実像」の第一章「「記紀」の成立過程と穗國」の第一節「「記紀」の編纂はいつ始められたか」から『日本書紀』の編纂時期について言及した言説を拔き出し、まとめた小論である。
 『穂国幻史考(増補新版)』第一話「記紀の成立と封印された穂国の実像」の第一章「「記紀」の成立過程と穗國」の第一節「「記紀」の編纂はいつ始められたか」は、そのタイトルの通り、「記紀」の編纂がいつ始められたかについて考察した論考である。
 一般には、『日本書紀』の編纂は、天武の時代に始められたとされる。その根據は、『續日本紀』、『日本書紀』及び『古事記』の記述に基づくが、ミスリードを誘発する記述を含む、『古事記』、『日本書紀』及び『續日本紀』は僞書といえる。
 この僞書の記述に基づく、『日本書紀』の編纂は、天武の時代に始められたとする通説に疑いを持ち、「日本書紀の暦日とその著述年代」では、暦法の研究者の小川清彦(一八八二~一九五〇)さん及び中国語学者の森博達さんの言説を踏まえ、持統の時代に編纂が始められた旨を説明した。

 『穂国幻史考(増補新版)』第一話「記紀の成立と封印された穂国の実像」の第一章「「記紀」の成立過程と穗國」の第二節「皇祖神アマテラスの創造と伊勢神宮の創立」では、祀られる神アマテラスは、「記紀」の編纂時に創作されたものであったことを、同章第三節の「アマテラスの誕生と持統三河行幸」竝びに第三章「彷徨うアマテラス」の第一節「ヤマトヒメの巡幸」では、その祀られる神アマテラスを容れる器たる皇大神宮が出來るのも、『日本書紀』の編纂が始められる持統の時代であること、『續日本紀』が默して語らない持統三河行幸の目的を、『萬葉集』に收録された歌から、東三河の制壓であったこと、その制壓の目的は、祀られる神アマテラスの創造の障碍を取り除くことであったことを顯らかにした。
 「皇大神宮の創建と持統三河行幸」では、主に『穂国幻史考(増補新版)』第一話「記紀の成立と封印された穂国の実像」の第一章「「記紀」の成立過程と穗國」の第二節「皇祖神アマテラスの創造と伊勢神宮の創立」及び第三節「アマテラスの誕生と持統三河行幸」竝びに第三章「彷徨うアマテラス」の第一節「ヤマトヒメの巡幸」における言説を基に、皇大神宮が創建されたのは、持統の時代であり、持統三河行幸の目的は、穗國の制壓にあったとの独自の説を詳細に説明した。

  「天皇の棄姓とその弊害」は、『穂国幻史考(増補新版)』第一話「記紀の成立と封印された穂国の実像」の第四章「虚構の万世一系と持統の生い立ち」の第一節「易姓革命から逃れるために姓を棄てた持統」で主張した言説の要點=天皇に姓がないのは、易姓革命を逃れるため、その棄姓により、現在まで續く、民のためにならないクニは潰すという当たり前が通用しない弊害について説明した。
 なお北畠親房(一二九三~一三五四)が著した『神皇正統記』卷二應神條には、「昔日本は三韓と同種也と云事のありし かの書をは 桓武の御代にやきすてられしなり」との記述がある。「桓武の御代にやきすてられ」た書には、天智(六二六~六七二)の出自が詳しく記されていたと考えられる。乙巳の變について記す『日本書紀』卷二四皇極四(六四五)年六月戊申(一二日)條は、蘇我入鹿(六一一?~六四五)の屍を見た古人大兄(?~六四五)は、「見走入私宮 謂於人曰 韓人殺鞍作臣 謂因韓政而誅 吾心痛矣 皍入 杜門不出」と、「自宅に入り「韓人が、鞍作臣を殺した」といい、自宅に引き籠った」とあるからだ。鞍作臣とは入鹿のことである。同卷皇極元(六四二)年一月丁巳朔辛未(一五日)條で、「大臣兒入鹿更名鞍作」と、「鞍作は入鹿の別名」と記してある。この入鹿に最初に斬りかかったのが中大兄、後に天智と呼ばれる男だ。入鹿に最初に斬りかかった韓人は天智のことであり、「三韓と同種也」と天智の出自が詳しく記された書は、天智の男系の子孫・桓武(七三七~八〇六)の時代に焼き棄てられたのだ。
 ちなみに持統(六四五~七〇三)及び元明(六六一~七二一)の父は、天智であるが、その元明の皍位の詔について記載する『續日本紀』卷四慶雲四(七〇七)年七月丙申朔壬子(一七日)條は、「是者關母威岐近江大津宮御宇大倭根子天皇乃 與天地共長 與日月共遠 不改常典止立賜比敷賜覇留法乎 受被賜坐而行賜事止衆被賜而 恐美仕奉利豆羅久止詔命乎衆聞宣」と、皇位繼承の根據を天智が定めたとされるいわゆる不改常典に求めている。
 このクニには、韓人=天智の子孫が天皇として、いまも居座っている。「日帝三十六年」どころの騒ぎではない。

 「御靈信仰と靖國」は、『穂国幻史考(増補新版)』第三話「牛窪考」拾遺一「「若葉祭(うなごうじ祭)」の起源と豊川流域の「笹踊」」補遺一「「うなごうじ祭」名稱考」の最初の見出し「平田派國學者・羽田野敬雄の牛久保觀」の三つ目の小見出し「わが國本來の神祭りとは乖離した國學思想」から、八百萬の神祭りから逸脱した神祭りの一例として擧げた靖國に關する言説を抽出し、まとめたものである。
 その靖國は、無念の死を遂げた兵が天皇に祟るのを防止するための怨靈の鎭魂施設であり、A級戦犯十四名もまた天皇裕仁の代わりに処刑されたことから、怨靈になると判断され、靖國に合祀されたのである。靖國を宗教施設として考察すれば、A級戦犯十四名を靖國に合祀した神職は、戰爭責任は裕仁(一九〇一~一九八九)にあったと考えていたのである。裕仁が、A級戦犯十四名が合祀された後、靖國に参拝していないのは、自身に戰爭責任ありとした靖國の神職たちに対する抗議の意思表示だ。
 「御靈信仰と靖國」では、以上の内容を詳しく説明した。

 「日本人という曖昧な概念」は、『穂国幻史考(増補新版)』第三話「牛窪考」拾遺一「「若葉祭(うなごうじ祭)」の起源と豊川流域の「笹踊」」補遺一「「うなごうじ祭」名稱考」の最初の見出し「平田派國學者・羽田野敬雄の牛久保觀」の最後の小見出し「遠州灘近海にも多くの外國船が航行」から、日本人の概念について言及した言説を拔き出した小論である。
  日本人という概念は、生物学的な血統によるものではなく、日本列島の文化を享有しているという歴史的文化的視点からの分類でもなく、明治政府が徴兵制を施行した時點での明治政府が兵として召集出來る男子を含む家族を日本人と定義したに過ぎない。
「日本人という曖昧な概念」では、徴兵制施行に遡る明治政府が考えた日本人の概念と、一般にいわれる日本人の概念の乖離から、日本人という概念が如何に曖昧なものであるかを説明した。

 「西寶の七福神踊」は、『穂国幻史考(増補新版)』第三話「牛窪考」拾遺一「「若葉祭(うなごうじ祭)」の起源と豊川流域の「笹踊」」補遺一「「うなごうじ祭」名稱考」の二つ目の見出し「田中緑紅主宰『鄕土趣味』の功罪」の四つ目の小見出し「稻垣豆人が「出し豆腐」以上に興味を示した「七福神踊」」から、三河灣最奧に位置する舊寶飯郡西部で傳承される神事藝能「七福神踊」について、そのエッセンスをまとめたものである。
 三河灣最奧に位置する舊寶飯郡西部の神事藝能「七福神踊」は、「七福神踊」といっても、辯才天の代わりに白狐が加わり、なぜか毘沙門天あるいは壽老人を缺いていた。
 「西寶の七福神踊」では、辯才天の代わりに白狐が加わる理由を、『源平盛衰記』卷二八の「經正竹生島詣付仙童琵琶の事」で、平經正が竹生島に参詣し、辯才天の社前で琵琶を奏でると、白狐が出て來たとの記述を手掛かりに説明した。この『源平盛衰記』の記述から、狐は辯才天の使いと考えられるが、竹生島の辯才天像の頭頂部には小さな宇賀神が載る。この宇賀神と伏見稻荷の主祭神・宇迦之御魂神との混同が生じたことから、辯才天の使いが狐となり、辯才天の代わりに白狐が加わった旨の説明をした。
 次に毘沙門天を缺くのは、毘沙門天は、惠比壽神の本地であるとの言説から、壽老人を缺くのは、壽老人と福祿壽は、ともに南極老人星(Canopus)の化身であるとの言説から、毘沙門天あるいは壽老人を缺く理由を推測した。



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Posted by 柴田晴廣 at 19:14│Comments(0)穂国幻史考
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