2022年11月04日

葬頭姫

 この投稿を含めて、このweb-logに、306の投稿をした(2017年10月に、拙著『穂国幻史考』及び『牛窪考増補改訂版』の概要紹介に関する投稿を、このウェブログからすべて削除したから、実際の投稿数は、306以上だが)。
 このweb-logの管理画面には、「アクセス解析」の欄があり、さらにその中に、「人気記事上位100」の欄がある。
 私のweb-logの「人気記事上位100」の欄を見ると、1位が、このweb-logを開設したときに投稿した「はじめに」、2位が2022.6.3に投稿した「報告」、そして3位が、2020.2.22に投稿した「『エミシの国の女神』」だ。
 「『エミシの国の女神』」の投稿で記したように、『穂国幻史考』を刊行しようと思った動機の一つは、『エミシの国の女神』の内容が、余りにもお粗末だったからだ。
https://tokosabu.dosugoi.net/e1126748.html
 私はこの『エミシの国の女神』の構想段階から関わっており、同書の「あとがき」に私の名も載る。
 著者の菊池展明は、この本の発行者「風琳堂」の社主・福住展人氏の筆名。
 福住氏は、私より八学年上であるが、私の弓術の弟弟子の国府高校での同級生。
 『エミシの国の女神』の発刊により、瀬織津姫の名が廣く世に知られるようになる。
 だが、先に記したように、その内容はお粗末なものであった。
 どうお粗末だったかを記せば、瀬織津姫が辯才天等と習合する旨を記すも、それを本地埀迹説を用いた説明がないことだ。
 ゆえに、瀬織津姫の名は廣く知られるようになったものの、僞書『秀眞傳』での瀬織津姫の言説や、スピリチャルといったおよそ学術的でない世界で語られている。
 当然、私はその責任を感じている。
 『エミシの国の女神』では、瀬織津姫は、消された女神と位置付け、記紀には登場しないとする。
 私は瀬織津姫の表記で登場しないだけで、『日本書紀』で、この神は登場すると考えている。抓津姫がそれだ。
 現在、瀬織津姫は、「せおりつひめ」と呼ばれているが、私は「せおつひめ」であり、「そうつひめ」と發音されていたと考えている。
 その「そうつひめ」が、抓津姫なのだ。
 そして抓津姫は『續日本紀』では、都麻都比賣とされ、「つまつひめ」と讀まれるようになる。
 記紀に登場しないのではなく、『日本書紀』には、登場し、『續日本紀』で讀みを變えられたのだ。
 瀬織津姫が、葬頭河の奪衣婆と習合するのも、この神が「そうつひめ」と呼ばれ、「葬頭姫」の漢字が想像されたからだ。
 朔日の投稿「お知らせ」で、『穂国幻史考』増補新版続編は、推敲を重ねている旨を記した。
https://tokosabu.dosugoi.net/e1249142.html
 『穂国幻史考』増補新版続編では、瀬織津姫の本地埀迹説による簡潔な解説もしてある。というより、既に刊行した『穂国幻史考』増補新版で、丹念に説明してある。
https://tokosabu.dosugoi.net/e1232562.html
 瀬織津姫が学術的な論考の俎上に載り、スピリチャルで語られる瀬織津姫に関する言説が払拭されることを願う。



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Posted by 柴田晴廣 at 10:41│Comments(0)穂国幻史考
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