2020年02月21日

『牛窪考(増補版)』をなぜ改訂しようと思ったのか

 『牛窪考(増補版)』を発行したのが、2015年9月17日だ。
 その後、このウェブログでも、記したように、2016年4月上旬に何人かに顔色が悪いといわれ、渋々医者に行き、4月下旬に大腸がんステージ3Aと判明。5月2日に9時間余りの手術。その後順調に回復するも、翌年2月に五人目の担当となった消化器外科の加藤瑛が肺に転移しているのを約半年見落とし、2017年7月余命宣告を受ける。
 見落としを誤魔化そうとのでたらめの説明が、余命宣告より私の心には強く残ったものの、やはり余命宣告というのは、自分の死を考え直す機会になることは確かだ。
 また信じる信じないは別にして、輪廻轉生といった概念も身近なものになる。
 先に『義楚六帖』の著者で、僧でもある釋義楚が、東寺長者の觀賢(854~925)の醍醐(885~930)への奏上を佛法の死生観の根本を成す輪廻轉生に照らしてどう見たかということだ(觀賢の奏上は六國史にも反する)。
 出家しているわけでもない私が、おかしいと思うのに、仏教界からそういう声を聴かない。というより仏教界のみならず、仏教徒からそういった声は聞かない。
 觀賢の奏上を真に受け、空海に大師號を授けた醍醐については、日藏(905~967?)が著したといわれる『日藏夢記』は、地獄に落ちたと記している。佛法に照らせば、当然のことであるが、地獄に落ちた理由は、佛法に反する觀賢の奏上を真に受け、空海に大師號を授けたことではない。
 このあたりが、このクニの仏教界の限界だろう。
 私は、主権在民こそが、現時点での政治体制として最も優れたものだと考えている。
 したがって『穂国幻史考』以来、主権在民を謳う現行憲法が施行された1947年をもって日本国元年とすべき旨主張し、あとがきの最後には、日本国〇〇年×月吉日とともに署名をしている。護憲を掲げてブレのない日本共産党がなぜ私のように、現行憲法が施行された年を紀年として、日本国元年としないのが不思議でならない。
 それはさておき、昨今では御朱印ブームであるが、寺院の朱印なら、釈迦の生誕をもって紀年とする。あるいは宗祖の生誕、その寺院の開基年等を紀年として、朱印に記すべきであろう。
 何の疑いもなく、神社に倣い元号を記すあたりが、仏教界のていたらくぶりを表したものだ。
 この仏教界のていたらくは、宗教の根本原理となる死生観の不理解が原因である。
 こうした原理原則の理解が不十分なのは、仏教界に限ったことではない。
 なぜに原理原則の理解が苦手かを考えれば、文言の定義を重視しないからだろう。
 上記の主権在民とも深く関わる言葉に民主という言葉がある。民主は君主制に対する民主制に基づくものだ。
 ところが、その草案に元首は天皇とすると記す政党が自由民主党を名乗っている。加えてその草案には、自由主義の根幹をなす基本的人権を制限する条項が並ぶ。
 民主制でも共和制でもなく、実体金王朝のクニの正式名が朝鮮民主主義人民共和国であるに等しい。
 憲法改正にこだわり、それを主導する清和会は、岸信介を源流とするのであるが、岸は官僚時代、革新官僚に分類された。
 革新官僚とは、ロシア革命により誕生したソ連の五か年計画を範とし、それを実現しようとした官僚をいう。
 そして革新官僚は、統制経済を是とする陸軍の統制派と親和性を持っていた。
 その陸軍では、ムッソリーニ率いるファシスト党のイタリア、ヒットラー率いるナチスドイツと同盟を結ぶ。
 ナチスは日本語に直せば、ドイツ国家社会主義労働党。
 革新官僚や統制派も国家社会主義を標榜していたのだ。
 ところが、なぜか国家社会主義者には「アカ」とのレッテルが貼られることはなく、自由主義者に「アカ」のレッテルを貼り、弾圧した。
 護憲を掲げ、赤旗の記事内容などから判断すれば、日本共産党こそ、自由民主党の党名を掲げるに相応しい。
 ほかの党の党名についても言及すれば、先に記したように、民主は君主の対語である。
 その君主制に基づく元号の令和を党名に掲げる山本太郎氏もどの程度、民主という言葉の意味をかみしめているのか首を傾げる。
 山本太郎は消費税の廃止を掲げているが、消費とは、商品の流通や役務の提供の最終段階で商品や役務が費やされることをいう。
 ところがだ。消費税といわれる税は、商品になる前の部品を元請に納める段階でも課税されている。
 消費の定義からすれば、摩訶不思議なものだ。
 これも実態は取引税なのだ。ところが、全ての取引に課税されているわけではなく、株の取引には除かれている。
 株の取り引きを課税対象にすれば、外国人投資家からも税を徴収できるし、税率も下げることが出来るだろう。
 先日、「募ってはいるが、募集はしていない」と総理大臣にしておくより、天然記念物に指定した方が適切な御仁がいたが、現行の消費税という名の税に何の疑問も感じない者は、「募ってはいるが募集していない」とのたまう御仁を笑うことは出来ない。
 次に国民民主党、繰り返しになるが、現行憲法は主権在民を謳っている。主権国民ではない。
 先の愛知トリエンナーレで、補助金交付反対を主張する者がいた。彼らも「募っているが、募集はしていない」という天然記念物級の御仁と同程度のおつむなのだろう。
 そもそも政権与党の政策に賛成であろうが反対であろうが、税は徴収される。在日外国人についても同様だ。
 また1967年7月14日にストックホルムで改正された工業所有権の保護に関する、1883年3月20日のパリ条約の同盟国で登録された商標の他の同盟国における保護について規定する6条の5A⑵の「本国とは、出願人が同盟国に現実かつ真正の工業上又は商業上の営業所を有する場合にはその同盟国を、出願人が同盟国にそのような営業所を有しない場合にはその住所がある同盟国を、出願人が同盟国の国民であって同盟国に住所を有しない場合にはその国籍がある国をいう」との規定、特許協力条約の出願人について規定する9条⑴で「締約国の居住者及び国民は、国際出願をすることができる」との規定、さらに知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPs協定)1条⑶注1の加盟国の国民についての「この協定において「国民」とは、世界貿易機関の加盟国である独立の関税地域については、当該関税地域に住所を有しているか又は現実かつ真正の工業上若しくは商業上の営業所を有する自然人又は法人をいう」との規定を読んだことがあるのだろうか。
 そして日本の工業所有権法でも、その目的についてに規定する特許法、実用新案法、意匠法、商標法の各1条で、「産業の発達に寄与」を掲げている。
 つまり国民であっても在外者は、内国民に比して、産業の発達に寄与しないから、工業所有権に関する国際条約では、国籍より居住地を先に掲げているのだ。
 こんなことも理解していないから、小池百合子ごときの口車に乗るのだ。
 立憲民主党も、北朝鮮のような国を目指す現政権を打倒するため、野党共闘を実現できないのだからだらしない。首長選挙などで自民党に相乗りしているようでは先が思いやられる。
 結局私も世論調査で支持政党を聞かれれば、支持政党なしと答えるだろう。
 世論調査も馬鹿の一つ覚えで支持政党を聞いているのも、どうかしている。これだけ支持政党なしが多いなら、支持しない政党を聞いたらどうだろう。
 私は選挙権を得てから40年、ぶれずに不支持政党は自民党だ。
 またこれだけ支持政党なし層が多いにもかかわらず、当選して欲しい者の名を記入せよとする選挙制度も、現行のがん治療のガイドラインに負けず劣らずの欠陥制度だ。
 当選して欲しい人ではなく、当選して欲しくない者を記名するようにすれば、投票率も上がるだろうし、高々二割程度の支持しかない政党が安定多数を確保することは出来なくなるだろうし、選挙が終わったから禊が済んだなどの開き直りは通用しなくなる。
 全てが主権在民の不理解が、歪んだ官を生むのだ。

 定義といえば、柳田國男(1875~1962)は、昭和16(1941)年、東京帝國大學の理工系の學生を中心とした聴衆を前に講演した『日本の祭』での「祭」と「祭礼」の定義も酷いものだ。
 柳田が提唱した民俗学(後述するように私は柳田が提唱した民俗学を学問だと思わないが)が採録の対象とした伝承は、幻想に他ならない。
 話を余命宣告に戻せば、自己の死を直視すれば、残された人はどんな思いかはだれしも思い浮かべるだろう。
 吉本隆明著『共同幻想論』でいえば、対幻想だ。
 昨年の6月、父が急逝したのも、対幻想をさらに深く考えるようになった。
 いうまでもなく、『共同幻想論』は、国家を論じたものであるが、祖神信仰なども原初的には、残された者の個人に対する対幻想が起源であろうし、怨霊信仰も、故人への対幻想が昇華し、共同幻想になったものに他ならない。
 上記のように柳田の提唱した民俗学は幻想の典型例である伝承の採録を目的とした。採録を目的としたとしたのは、採録した伝承を自己幻想、対幻想、共同幻想に分類し、そこから検証するということをしなかったからだ。私が柳田が提唱した民俗学は学問ではないと考えるのも、分類検証がないからだ。
 たとえば、祭礼を見学に行くと、「昔からこうだった」との言説をよく耳にするが、そのほとんどが自己幻想に過ぎない。
 柳田のやっていたことは骨董収集家が収集した骨董を眺めて悦に入っているのと、あるいはスタンプラリーのスタンプを集めるのにいそしんでいる者と変わらないのだ。私は中山太郎が採った民俗学の手法の評価の低さに首を傾げる。
 余談を挟んだが、私には余命宣告より、豊川市民病院消化器外科の加藤瑛のでたらめな説明が心に強く残った。この腑に落ちない説明を整理するため、特許庁ホームページから電子図書館に入り、がんの治療薬の特許出願に添付された明細書の先行技術の記載等からがんの発生、転移、再発のメカニズムを把握し、幾つかの学術論文に当り、現行のがん治療の標準ガイドラインが疑似科学であるとの結論に至り、でたらめな説明の根源もここにあることで納得した。
 こうした疑似科学は、医者が使いたがるエビデンスとやら(上記のように科学に基づくエビデンスではない)ではなく、共同幻想に過ぎないのだ。
 『牛窪考(増補版)』は、1980頁、対して増補改訂版は、現在3148頁。1200頁近く増えていることになる。
 中で、補遺一「「うなごうじ祭」名称考」の三つ目の見出しは、増補版では、「大正一〇年の「若葉祭」」であったが、増補改訂版では、「大正一〇年の「若葉祭」と祭礼組織の変容」と改題し、その一つ目の小見出し「『下中祭礼青年記録集』が記す「祭礼紛擾の件」」の内容は、増補版では、9頁を費やしたに過ぎなかったが、増補改訂版では、現在87頁に及んでいる。
 なぜこれほどまで紙面が増えたか。
 15年前の祖母の葬儀の折には、葬儀会館が空いていなかったこともあり、通夜は自宅、告別式は寺院の本堂で執り行った。
 今回父の葬儀は、葬儀会館で執り行ったが、喪主を務めたこともあり、隣保を始めとする村落共同体の変容を実感した。
 そうした中で、『共同幻想論』で、吉本隆明が示した自己幻想、対幻想、共同幻想という概念で、村落共同体や祭礼組織の変容ないし崩壊を説明をできると考え、紙面が増えたのだ。
 もちろんこれだけではない。
 補遺一「「うなごうじ祭」名称考」は、「うなごうじ祭のうなごうじは蛆虫のこと」といった根拠なき妄説の淵源がどこにあり、どう拡散し、定説の如くなったのかを検証した論考である。
 また先に説明した拾遺五「検証 東三河の徐福伝説」も、都市伝説ともいえる徐福伝説の成立過程を検証したものである。
 そこでわかったことは、幻想をほったらかして置けば、やがて史実を呑み込むということだ。
 呑み込まれないために、遠慮なく、書き記したことも紙面が増えた要因だ。もちろん遠慮が外れた原因の一つは余命宣告(笑)だろう。
 先にも書いたが、『牛窪考』の各論を別々に発行しなかったのは、各論が複雑に絡み合って一つの論考集を形成しているからだ。
 実際、改訂するとなると、参照頁なども直さなければならず、別々に発行するより遥かに労力を要する。しかしその労力を要しても、『牛窪考』全体で、一つの著作と著者の私は考えているのである。

※補足
1政治家の仕事はクニを護ることでなく、民を護ることだ。
 そして民を護れないクニをさっさと潰し、新たなクニを創ることが政治家の仕事だ。
 このクニには、この当たり前のことがわかっていない政治家しかいないことから支持政党なしとした。
 不支持政党を自民党としたのは、「この国のために汗を流す」だの「この国の将来のため」だの民よりクニを優先する発言をする政治家が突出しているからだ。
2村八分とは、火事と葬儀以外の付き合いをしないことをいうが、昨今では家族葬が増えている。村八分という視点から見れば、自ら望んで村九分を望む家が多くなったということだ。
 これを村落共同体の崩壊の具体例として挙げて置く。



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Posted by 柴田晴廣 at 07:29│Comments(0)牛窪考(増補版)
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