2020年03月15日
還暦
予定通り、明山荘で、母と還暦祝いをしてきました。
父が健在なら、父の米寿の祝いを兼ねてやりたかったのですが、昨年六月、父が急逝してそれが叶わなかったことが残念です。
昨日は、雨でしたが、今日は晴れました。
晴廣の名前倒れにならなくてほっとしております(笑)
では、予告通り、私の還暦についての考えや位置付けについて簡単に記したいと思います。
「冠婚葬祭」という言葉があります。儒教文化圏にみられる生前及び没後の儀式です。
儒教文化圏ということで、「冠婚葬祭」は、従属者の德目の一つ「孝」に基づいて行われるものです。
「冠婚」は、生前の、「葬祭」は没後に行われるものです。
信長が好んだ幸若舞『敦盛」の一節に「人間五十年下天の内を比ぶれば」とあります。
人生五十年の時代、還暦は想定されていなかったわけです。
冠は、總角を改め、冠(烏帽子を初めてつけること。乳幼児の致死率が高かった時代、元服を迎えることは目出たいことだったわけです。
親に先立つ子は不孝とされ、わが国でも賽の河原での石積みの譚が伝わります。
次に婚。子孫を残す=家を残すということで、儒教の価値観でいえば、家はもっとも大事なものです。
葬。「あなたの最後の親孝行」といった葬儀社のCМがあるように、これも「孝」に基づくものです。ただこのCМ。儒教の価値観からいえば間違っています。祭もまた子孫が行う「孝」に基づく行事だからです。
上記のように、人生五十年の時代には、想定されていなかっただけで、還暦も通過儀礼として現代的な意味での「冠婚葬祭」になるのではないかというのが私の考えであり、還暦の位置付けです。
杜甫の七言律詩「曲江」二首の二の頷聯二句目の「人生七十古來稀」を出典とする数え七十歳を祝う古希どころか、喜寿、傘寿、米寿、卒寿、白寿を祝う人も珍しくありません。
このまま平均寿命が延びれば、二度目の還暦祝いなんていうのも出て来るでしょう。
有意義な時間を過ごせました。
料理も担当の方の対応も頗るよかったです。
それにしても、陽のあるうちから呑む酒は旨い。
Posted by 柴田晴廣 at 17:00│Comments(0)
│雑談