2022年01月03日

牛窪考(増補改訂版)

 カテゴリー「雑談」の投稿が続きましたが、久々に本web-logの本筋の投稿です。
 一応、『牛窪考(増補改訂版)』が完成しました。
 A5判縦書き、総頁数3322頁。文字数にして1,985,933字。
 一応完成ということで、非売品ですが、知人や研究者には頒布し、国立国会図書館にも納本しました。
 追って、その内容の概要についての投稿をするつもりです。
 以下が目次になります。

  牛窪考(増補改訂版) 〈目次〉

稲垣正浩 オンデマンド出版による『牛窪考』(柴田晴廣著)、刊行。電子版も。 14
はしがき 18
 第一章 牛久保の地名由來譚と牧野氏 150
 第二章 古名・常寒 161
 第三章 若宮殿建立と常荒 172
 第四章 牧野氏の出自 184
 第五章 牛窪と八尻 190
 (拾遺一) 「若葉祭(うなごうじ祭)」の起源と豊川流域の「笹踊」 198
   「うなごうじ祭」は「蛆虫祭」ではない(226) 豊川流域の「笹踊」と朝鮮通信使(283) 「若葉祭(うなごうじ祭)」の起源と寶永の大地震(290)
  (補遺一)「うなごうじ祭」名稱考 298
    平田派國學者・羽田野敬雄の牛久保觀(298)
     反骨を貫く若宮殿の縁起(300) 國學の核心は中華思想にあり(302) わが國本來の神祭りとは乖離した國學思想(329) 上若の唄う「梅ヶ枝節」も異國起源(372) 遠州灘近海にも多くの外國船が航行(376)
    田中緑紅主宰『鄕土趣味』の功罪(397)
     地面に寝転ぶ姿態からの聯想には疑問(402) 稻垣豆人著『三河引馬神社の奇祭』の本當の著作者は誰か(414) 引馬天王社の「出し豆腐」(427) 稻垣豆人が「出し豆腐」以上に興味を示した「七福神踊」(452) 『牛久保私談』『東三河に於ける御神事笹踊』等の地元近時代資料の檢討(533)
    大正一〇年の「若葉祭」と祭禮組織の變容(551)
     『下中祭礼青年記録集』が記す「祭礼紛擾の件」(551) 「祭礼紛擾の件」が緑紅に輿えた影響(660)
     「うなごうじ祭」という通稱についての假説(669)
     梅村則義著『奇祭 牛久保のうなごうじまつり』の「虫封じ説」の檢證(673) 卯月八日の「紙下げ虫」と『救民妙藥』の「小兒舌胎」(682) 『牛窪密談記』等に見る「若葉祭」の由來(698) 繩文に由來する灰塚野の祭りが「うなごうじ」の語源(709) 「うなひ髪」由來は疑問(730)
  (補遺二)豊川流域の特殊神事「笹踊」の考察 748
    豊川流域に分布する「笹踊」の概要 748
     「笹踊」に関する先行研究の概略(748)
       「笹踊歌」をテーマとする研究の限界(752) 間宮照子著『三河の笹踊り』の功績(849)
     豊川流域の「笹踊」の分布と天王社(870)
      間宮照子著『三河の笹踊り』収録以外の社で「笹踊」を行っていた可能性(870) 天王信仰と「笹踊」發祥の直接の關係は疑問(888)
     「笹踊」の所作及び囃子方他(917)
      「笹踊」の特徴及び「笹踊」と呼べる藝能の範疇(917) 豊川流域の「笹踊」の類型(930) 囃子方の役割等及び過去においての踊り手の選考(950)
      「笹踊」の起源に關する諸説の檢討(966)
    豊川流域の各社に奉納される「笹踊」の個別檢討 1006
     吉田神社(1006) 牛久保八幡社(1053) 三谷八劔神社(1073) 新城富永神社(1084) 豊川進雄神社(1092) 御馬引馬神社(1118) 菟足神社(1144) 当古進雄神社(1164) 大木進雄神社(1199) 上千両神社(1208) 富岡天王社(1213) 式内石座神社(1217) 上長山(白鳥・素盞嗚・若宮)(1228) 豊津神社(1242) 伊奈若宮八幡社(1249) 老津神社(1264) 大村八所神社(1272) 石原石座神社(1281) 各笹踊の具體的起源と傳播(1299)
    各社の「笹踊歌」の歌詞(補遺二参考資料) 1322
     伊奈若宮八幡社(1323) 石座神社(岡崎市石原)(1323) 石座神社(新城市大宮)(1324) 牛久保八幡社(1325) 菟足神社(1327) 老津神社(1328) 大木進雄神社(1329) 大村八所神社(1331) 御馬引馬神社(1332) 上千両神社(1333) 上長山白鳥神社(1335) 上長山素盞嗚神社(1335) 上長山若宮八幡社(1336) 当古進雄神社(1337) 豊川進雄神社(1337) 豊津神社(1339) 富岡天王社(1340) 新城富永神社(1341) 三谷八劔神社(1342) 吉田神社(1344)
  (補遺三)「隱れ太鼓」考 1348
     「隱れ太鼓」が奉納される祭禮(1348) 「隱れ太鼓」とは(1353) 「三つ車」の詳細と「若葉祭」の大山車の役割等(1398)
    『帝都物語外伝 機関童子』に見る「若葉祭」の「隱れ太鼓」(1429)
     機関童子と「駱駝の葬禮」(1449) 歌舞伎の「人形振り」と「若葉祭」の「隱れ太鼓」(1456)
     「若葉祭」の「隱れ太鼓」と尾張の山車からくり(1469)
     東三河の山車からくりと三谷祭の山車の概略(1469) 東照宮祭に始まる尾張山車からくり(1486) 「若葉祭」の「隱れ太鼓」は、山車からくりの「人形振り」か(1494)
    豊川下流域の大山車と尾張型山車(1512)
     山車と屋臺はどう違う(1512) 尾張型山車の分類と傳播(1600) 昼間から提燈を飾る東三河の囃子車と遠州の屋臺(1645) 尾張の「大山」及び「車樂」と豊川下流域の大山車(1668)
    豊川下流域の大山車の起源とその亞型 (1682)
      「若葉祭」大山車の「再興」が意味するもの(1682) 小坂井の大山車は西若組の舊車(1736) 「豊川庄屋文書」に載る山車は大山車ではない(1753) 吉田祇園祭の車樂と「隱れ太鼓」(1766) 三谷祭の山車の原型は「若葉祭」にあった(1826)
    化政期の寄席藝能が「隱れ太鼓」に輿えた影響(1898)
     豊川流域の「笹踊」と豊川下流域の大山車の祭禮における位置附け(1898) 「若葉祭」の「隱れ太鼓」が「人形振り」になったのは大山車再興の際か(1945) コレラの流行と張子の虎、首振り人形の起源も文政期(2006) 「隱れ太鼓」の起源の檢討(2009)
 (拾遺二) 牛久保と山本勘助 2024
   勘助は實在したか(2024) 『牛久保古城圖』の描く山本勘助養家・大林勘左ヱ門屋敷(2030) 遺髮塚は養父・大林勘左衞門の屋敷に建てられた(2038)
 (拾遺三) 『牛久保古城圖』考 2052
   聖圓寺はいつ廢寺になったか(2053) 善光庵の建立時期と移轉再建(2066) 光輝庵が牛久保に移轉したのはいつか(2072) 養樹寺の創建はいつか(2077) 大聖寺の移轉と牛久保城築城の關わり(2080) 淨福寺の移轉と西三河の一向一揆(2085) 長谷寺の再建と移轉時期(2088) 上善寺と載る矛盾(2101) 東勝寺を載せる矛盾(2108) 了圓寺が古城圖に見えない理由(2115) 榊原澁右衞門の出奔と法信寺の建立(2128) 庚申寺の建立、及び『牛久保古城圖』の作成經緯(2137)
 (拾遺四) 善光庵の創建と再建 2144
   善光庵の創建と善光寺如來 2144
    古記に見える善光寺如來の由來(2145) 善光寺如來が上善寺に安置された經緯(2152) 善光寺池と善光寺川(2155)
   善光庵の再建者・潮音道海と「大成經彈壓事件」 2157
    『大成經』とは(2159) 潮音道海と『大成經』(2163) 長野采女と京極内藏之助(2180) 「伊雜宮事件」(2186) 忌部澹齋と『大成經』(2197) 長野采女と廣田丹斎(忌部澹齋)(2207) 高野本と山鹿素行(2211) 高野本と鷦鷯本の關係(2231) その後の潮音道海(2236)
 (拾遺五) 檢證 東三河の徐福伝説 2242
    山本紀綱著『日本に生きる徐福の伝承』が独り歩きした小坂井の徐福伝説(2242)
     徐福伝説とは――傳説の定義を中心に(2253) 徐福と始皇帝――徐福の姓・始皇帝の姓(2269) 徐福の子孫が秦氏を名乘るのか――徐福伝説成立の下地(2272) 秦氏と徐福――弓月君と百濟の國姓(2286)
    菟足神社の徐福伝説説明板を檢證する(2294)
     日色野と秦氏――淵源は銅鐸埋納地を秦氏關聯とする大口喜六か(2294) 『牛窪記』等に載る徐氏古座侍郎――長山熊野權現神主・神保氏の本姓は惟宗(2333) 菟足神社を創設したという秦石勝について――姓氏家系の大家・太田亮氏の著作から(2373) 生贄神事は中国的か――奥三河の鹿射神事及び諏訪の御頭祭と菟足神社の生贄神事(2387)
    山本紀綱に小坂井の徐福伝説を紹介した近藤信彦と渥美郡の幡多鄕(2432)
     橋本山龍運寺と船町文庫――大口喜六、近藤信彦は、幡太鄕比定地の住人(2440) 羽田八幡宮と幡太鄕――近藤信彦と羽田野敬雄(2450) 蓬萊島と築嶋弁天社――山田宗偏により秦御厨に造園された蓬萊島(2466) 御衣祭と上佐脇の八社八苗字――『大神宮諸雜事記』と日下部姓波多野氏(2472)
  (補遺)非農耕民はなぜ秦氏の裔を稱するのか 2562
    非農耕民と秦氏――東三河を中心に(2564)
     彈左衞門家と渥美郡出身の車善七――側近を三河出身者で固めた家康(2576) 彈左衞門と伊奈本多家――臨川山本龍寺の開基を巡って(2582) 牧野氏と鶴姫傳説――信長の世に廢寺となった豐川村東光寺(2591) 車善七の敗訴と大岡忠相――豐川村矢作と彈左衞門(2628) 牛頭天王の本地と播磨、そして秦氏――祇園感神院及び『野馬臺詩』が記す日本の國姓(2644)
    ひょうすべと秦氏――農本主義と非定住者(2787)
     ひょうすべと椀貸傳説――三河大伴を例にして(2795) ひょうすべと三島神――三島神が降臨した攝津三島江と上宮天滿宮(2805) 三島神と鳶澤甚内――火明命を中心とした海人の世界(2853)
  附録一 相撲雑話 2928
    序 『穂国幻史考』における野見宿禰論 2928
    第一章 節會時代の相撲 2983
    第二章 神事から見た相撲 2996
    第三章 吉田追風家と弓術吉田流 3026
    終章 私と相撲、そして弓 3051
  附録二 吉田城沿革と、三州吉田の怪猫騷動 3060
    はじめに 3060
    吉田城沿革 3069
    三州吉田の怪猫騷動 3088
    結びにかえて 3102
  附録三 県道三一号線物語――古代から現代まで 3104
    鎌倉街道と県道三一号東三河環状線 3104
    東三河平野部の古代の地名と交通路 3126
    律令時代における東三河平野部の官道と鎌倉街道 3154
あとがき 3188
主要参考文献 3308



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Posted by 柴田晴廣 at 14:37│Comments(0)牛窪考(増補版)
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