2022年08月04日

ISC21六月月例会「『穂国幻史考』(柴田晴廣著)を読む」の感想等 2

 瀧元先生は、武と舞の同根性を研究のテーマとされている。
 相撲は「素舞ひ」が語源といわれるが、私は芝居の語源も「素舞ひ」だと考える。
 つまり私も、武と舞は同根と考えている。
  『穂国幻史考(増補新版)』第三話附録一のタイトルを「相撲雑話」としたのは、相撲部屋というビジネスモデルを介して、本場所及び巡業という興行の特殊性にまでは言及することが出来なかったからだ。
 横綱はボクシングのチャンピオンとは異なる。本場所はトーナメント戦でもなければ、リーグ戦でもない。もちろん本場所の幕の内優勝力士が横綱を名乗れるわけではない。
 武と舞の同根性からいえば、相撲部屋の一門は、歌舞伎役者の屋號に似る。
 歌舞伎役者の屋號の多くは、役者の實家の芝居茶屋や出方の屋號を転用したものだった。
 正式名・相撲案内所=相撲茶屋の主人は逆に元力士の関係者である。
 茶屋と本場所での興行は、プロボクシングやプロ野球より、芝居の興行と芝居茶屋に似る。
  稲垣博士は、スポーツと娯楽、スポーツと贈与を研究テーマの一つとされていた。
 瀧元先生も指摘されておるように、『穂国幻史考(増補新版)』は、繩文の視点から、日本列島の歴史を捉え直したものである。
 相撲についても、相撲節會に先立ち、部領使と呼ばれるスカウト役が諸國から力士を集めた。部領使は、防人を引率した役職であり、七世紀中ごろには、この防人を引率した部領使が、蝦夷の俘囚を移配先に護送するようになる。節會時代の力士を考える上では、繩文の視点が必要なのである。
 相撲部屋は、ボクシングジムと日本ボクシング協会の関係と異なり、日本相撲協会からの独立性が高い。相撲部屋の継承の実態は、女将から娘という母系を基本とする。繩文の視点が必要なのである。
 稲垣博士のもとで学んで来られた瀧元先生には、以上のような観点から、武と舞の同根性についての関係を是非言及して行って頂きたいと願う。

 最後に竹村さんの発表であるが、稲垣博士から、21 世紀スポーツ文化研究所編『スポートロジイ』第二号を頂いており、そこに収録されていた竹村匡弥著『野見宿禰と河童伝承に潜む修祓の思想』については、『穂国幻史考(増補新版)』拾遺五「檢證 東三河の徐福伝説」の補遺「非農耕民はなぜ秦氏の裔を稱するのか」の二つ目の見出し「ひょうすべと秦氏――農本主義と非定住者」の二つ目の小見出し「ひょうすべと三島神――三島神が降臨した攝津三島江と上宮天滿宮」で採り上げている。
  『野見宿禰と河童伝承に潜む修祓の思想』をタイトルとする論考で、竹村さんがいう「河童伝承」とは、潮見神社(佐賀県武雄市橘町大字永島)に代々傳わる「ヒョウスベよ 約束せしを忘るなよ 川立ておのが あとはすがわら」との呪文をいう。潮見神社は、橘諸兄(六八四~七五七)、橘奈良麻呂(七二一?~七五七)、橘島田麻呂(生没年不詳)、橘公業(生没年不詳)及びその後裔で河童(兵主部)の主という澁谷氏を祭神とする。
 この潮見神社に傳わる上記呪文については、京極夏彦・多田克己編『妖怪図巻』「ひょうすべ」の項(一四四・一四五頁)でも採り上げているが(『穂国幻史考(増補新版)』拾遺五補遺の二つ目の見出し「ひょうすべと秦氏――農本主義と非定住者」参照)、竹村さんも、『妖怪図巻』「ひょうすべ」の項も、何故に橘氏及びその後裔の澁谷氏を祭神とする潮見神社で、野見宿禰の後裔の菅原氏に關する水難防止、河童除けの呪文が殘っているのかの説明はない。
 私の興味は、水神とは縁の薄い橘氏を祭神とする潮見神社になぜ河童傳承が殘るかであった。
 橘諸兄、橘奈良麻呂、橘島田麻呂の三人は、直系の血縁關係があり、七世紀後半から八世紀の人物で、敏達(五三八?~五八五)後裔の源平藤橘の橘氏である。
 對して橘公業は、鎌倉初期の武將で、嘉禎二(一二三六)年に本領伊豫國宇和郡を西園寺公經(一一七一~一二四四)に讓り(實際には公經が幕府に願い出て强引に横領した)、潮見神社の背後の山頂に潮見城を築き、その眷属の兵主部も潮見川に移住して来たといわれる。伊豫から肥前に移った橘公業は、源平藤橘の橘氏ではなく、三島神を奉じた伊豫橘氏(越智氏)の橘遠保(?~九四四)の子孫ともいう。
 伊豫橘氏が奉戴する三島神=大山積神について、『伊豫國風土記』逸文「乎知郡御嶋」の項は、「仁德の世、百濟から渡來して津國の御島に座した大山積神を、乎知郡(越智郡)の御島(瀬戸内海にある三島諸島)に勸請した」旨を記す。
 三島神が渡來したのは、攝津三島の淀川の川中島(三島神社/現三嶋鴨神社。慶長 3(1598)年に大阪府高槻市三島江二丁目に移転)。三嶋鴨神社から北へ凡そ四㌔進めば、上宮天滿宮(高槻市天神町一丁目)が鎮座する。境内には、官公の遠祖・野見宿禰の祖廟(傳野見宿禰古墳の上に野見神社(式内論社)が鎭座)がある。野見宿禰の祖廟に菅原道眞(八四五~九〇三)の御靈代を祀ったのは、道眞の曾孫の菅原幹正(生没年不詳)である。ここで漸く潮見神社の祭神の一柱・橘公業と官公が繋がるのである。
 ところで、細平井桁とともに橘紋を家紋とする井伊氏の祖・共保(一〇一〇~一〇九三)の誕生譚、渭伊神社(浜松市北区引佐町井伊谷)本殿の後方の丘が藥師山と呼ばれること、菩提寺の萬松山 龍潭寺(浜松市北区引佐町井伊谷/臨濟宗妙心寺派)の本尊が虚空藏菩薩であること等から、井伊氏も伊豫橘氏を本姓とすると考えられる。
 その井伊氏の本貫地・井伊谷から北北東に七㌔ほどの同じ引佐町の久留米木地区(浜松市北区東久留米木及び西久留米木)には、龍宮に通じる淵があり、そこから出て來た小僧が村人の仕事を手傳い、村人が感謝を込め、ご馳走したが、誤って小僧には毒となる「蓼汁」を出したことから、小僧が死んでしまったという、河童傳説に通じる龍宮小僧傳説が殘る。
  井伊共保の子孫・井伊俊直は、『和名類聚抄』(承平年間(九三一~九三八)に 源順(九一一~九八三)が編纂した辭書)二〇卷本(國語學者の龜田次郎(一八七六~一九四四)は、二〇卷本を後人が増補したものとしている)の一二部「國郡部」に記載される麁玉郡赤狹鄕に因み、赤佐を名乘る。赤佐氏が本據とした赤狹鄕にある「家を護るは岩水寺」といわれて安産祈願などの參拜客で賑わう龍宮山岩水寺(浜松市浜北区根堅/神龜二(七二五)年開山)には、天龍川沿いの椎ヶ淵(浜松市天竜区二俣町鹿島)を舞臺にした龍神傳説が殘る。
 かように、伊豫橘氏を本姓とすると推測される海人・井伊氏は、龍神傳説に彩られ、潮見神社の河童傳承も、伊豫橘氏を本姓とする橘公業の一族が共同幻想に昇華させた譚だと考えられる。
 以上の私の見解について、どう思っているか、竹村さんの見解を聞きたい。
 また、『妖怪図巻』「ひょうすべ」の項は、「『落穂余談』では、その昔に三河国(静岡県西部※)の設楽某という力持ちが河童を捕らえ、これを殺そうとしたところ、自分を助けてくれれば以後設楽氏一族郎党を水難から守ることを約束し、その証文の代わりに、「ヒョウスヘは約束せしを忘るなよ川立ち男氏は菅原」という呪文を教えたというが、設楽氏はもと菅原の姓であったという(※三河國は静岡県西部ではなく、愛知県東部。引用者柴田註)」と記す。
 この設樂氏は、本姓を三河大伴氏とし、同族の富永氏が居城にした野田館垣内城の対岸の海倉淵(新城市一鍬田殿海道及び一鍬田五井ノ巣邊り/舊八名郡)は、龍宮に續くといわれ、「河童の駒引」と通底する「椀貸傳説」が殘る(『穂国幻史考(増補新版)』第二話「登美那賀伝説」拾遺「富永系圖と木地師」の最初の項「海倉淵の椀貸傳説」及び第三話「牛窪考」拾遺五補遺「非農耕民はなぜ秦氏の裔を稱するのか」の二つ目の見出し「ひょうすべと秦氏――農本主義と非定住者」の一つ目の小見出し「ひょうすべと椀貸傳説――三河大伴を例にして」参照)。
 当然この「海倉淵の椀貸傳説」は、潮見神社に傳わる「ヒョウスベよ 約束せしを忘るなよ 川立ておのが あとはすがわら」との呪文と關係すると思われる。
 竹村さんが、「海倉淵の椀貸傳説」をどう考えるかの見解を聞きたい。
 もう一つ。竹村さんは兵主部から、蚩尤、さらには、蚩尤の子孫というモン族の牛の供犧から河童傳承を考察すべきとお考えのようだが、『穂国幻史考(増補新版)』は、船井先生や瀧元先生が認識されているように、繩文の視点から日本列島の歴史を捉え直すことを大きなテーマとする。
 当然、動物の供犧についても繩文に由來すると私は考え、『今昔物語』卷一九第二話「參河守大江定基出家セル話」や『宇治拾遺物語』卷四の第七話「三河入道の遁世世に聞ゆる事」に載る菟足神社の風祭の猪の供犧及びその名殘と思われる東三河平野部の神幸に随伴する獅子頭について、『穂国幻史考(増補新版)』第三話拾遺五「檢證 東三河の徐福伝説」の二つ目の見出し「菟足神社の徐福伝説説明板を檢證する」の四つ目の小見出し「生贄神事は中国的か――奥三河の鹿射神事及び諏訪の御頭祭と菟足神社の生贄神事」で、話を展開している。   この繩文の視点からの動物の供犧についての私の見解をどう判断するか、竹村さんの意見を聞かせて頂きたい。
 以上が、21 世紀スポーツ文化研究所六月月例会「『穂国幻史考』(柴田晴廣著)を読む」の私の感想及び意見である。
                                                        二〇二二年七月二四日
                                                                柴田晴廣



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Posted by 柴田晴廣 at 00:42│Comments(0)穂国幻史考
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