2018年10月05日

前回の続き(門外漢の外科医がなぜ抗がん剤治療に手を出すのか?)

 前回書いたように、現行のがん治療ガイドラインなるものは、がん幹細胞が確認されているにもかかわらず、再発のメカニズムも説明できないような、天動説のような言説といっていいものです。
 先に天動説の信奉者にいくら精密な天体望遠鏡を与えても、正確な天体の動きをつかめるわけがないと、ガイドラインに拘泥する者のたとえに使いましたが、再発のメカニズムの説明もできないような欠陥マニュアルに基づいて診断したところで、患者の正確な状況など到底把握できるはずもなく、把握できないのであるから、的確な治療もできないということです。
 マニュアルに従ってという点では、マクドナルドなどのファストフードの店員と、ガイドラインに従った医者とは変わるものではありません。
 変わっているところは、ファストフードの接客マニュアルと違って、がん治療のガイドラインはマニュアル自体が欠陥品だということです。つまりガイドラインに従っての治療しかできない医師は、マクドナルドの定員以下ということです。
 ファストフードの例を出しましたが、外食はファストフードに限ったものではありません。
 こちらの要望に応じた注文料理を出すところもあります。
 がん治療というのは本来、こうしたビスポークでなければならないはずです(ビスポークについての詳細は以下を参照してください)。
https://tokosabu.dosugoi.net/e989330.html
 ところが現状は、ビスポークではなく、ファストフードや量販衣料店の吊るし服並みの対応ががん治療のほとんどを占めています。寺西にビスポークの治療を期待しても無理なことです。わかっていたことですが、一応、寺西にビスポークの治療はできるかと聞くと、即座にできますと。厚顔無恥(無知)とは、このことをいうのでしょう。無知としたのは、自身に薬の知識がないことすらわかっていないからです。
 豊川市民病院消化器外科部長の寺西太を庇うつもりは毛頭ありませんが、これは寺西が特殊な例だとは思いません。
 先に書いたように、友人からの又聞きですが、製薬会社の社員によれば、医師なんてちょろいもんだそうです。
 寺西の対応を見て、いうとおりだと確信しましたし、ほかの医師も同じようなものだろうと想像しました。特に門外漢の外科医が本業の外科のほかに薬の知識まで仕入れることは、所詮無理なことだからです。
 そうした門外漢の外科医などが抗がん剤治療に携わっており、たいした知識もないことから、欠陥マニュアルがいつまでも改訂されずに残っておるわけです。
 時代劇などで二足の草鞋といえば、口入屋とやくざの兼業。悪役の代名詞のようなものです。もっとも悪役といっても、小悪党。
 外科医が知識もないくせに、抗がん剤治療に手を出すなど、時代劇の二足の草鞋と同様、社会の弊害です。繰り返しになりますが、二足の草鞋は小悪党に過ぎません。その裏に巨悪がいることはいうまでもないことです。

 さて、寺西と以上のようなやり取りをしたのは、8月の初旬、とにかく浜松医大でセカンドオピニオンを利用しようと、紹介状を書いてもらい、1週間後ぐらいの2017年8月16日に浜松医大の倉地清隆教授に会いに出かけました。
 倉地教授がいうには、この人たちはいつのデータを基準にものをいっているのかということでした。
 前回書いたように、2007年以降、がん幹細胞は続々と確認されています。大腸がんについては、その2007年に早くも確認されているわけですから、それを仮説という寺西は、少なくとも10年以上前の知識しかないことになります。十年一昔、昨今の技術の進歩からいえば、十年なんていうのは一昔どころじゃありませんから、寺西太ならぬ浦島太。
 教員免許の更新制より、人の命を預かる医師免許こそ、更新制にすべきでしょう。それなりの知識はあるでしょうから免許剥奪まではいかなくても、法律の世界では弁護士、司法書士、行政書士、税務の世界では公認会計士、税理士とランクがあり、できる仕事も制限があります。医師免許も更新制にし、ランクわけをし、できる診療治療も制限すべきでしょう。人の命を預かっているんですから。そうしなければ医は算術を助長します。
 話を挟みましたが、加えて、抗がん剤治療を受けても余命30月といっていましたが、これも寺西がしきりに口にしたエビデンスとは無縁の欠陥ガイドラインに基づく治療をした場合のデータに過ぎません。
 現行の大腸がんの抗がん剤は、がん細胞の抑制ないし消滅を目的とするものであり、がん幹細胞の抑制ないし消滅を目的とするものではありません。ところが上述のように欠陥ガイドラインは再発のメカニズムさえ説明できないもので、転移と再発の治療もごっちゃになっています。
 こんなガイドラインに基づく治療によれば、余命30月でしょう。
 沢井製薬のホームページに出ていると思いますが(確か監修は虎ノ門病院の専門医)、オキサリプラチンは、6クール投与すれば、12クール休薬しても、効果は変わりません。ここでいう効果とはがん細胞の抑制という意味での効果です。
 抗がん剤というのは、副作用がひどくなり断念というパターンがほとんどですが、上記の6クール投薬、12クール休薬すれば、副作用もそれほどのものではありません。
 また先に加工附子が副作用の緩和に有効である旨を紹介しましたが、附子が配合されている医薬の代表的なものが八味地黄丸や牛車(ごしゃ)腎気丸があります。実際、牛車腎気丸の服用でオキサリプラチンの副作用が抑えられる報告は出ており、私も牛車腎気丸を服用し、副作用には悩まされませんでした。
 この調子で行けば、ほぼ永久的に投薬しても、副作用が出ることはないと思われますし、そのうちには、最初に紹介した小林教授や児玉教授の現時点のオプジーボなど問題にならない安価で画期的な治療薬が実用化されます。
 そのように考えれば、余命30月など浦島太、もとえ寺西太の戯言に過ぎないわけです。
 もっとも、寺西の治療では余命30月でしょうが。

 ここで、ガイドラインがいかにいい加減なものかという例を挙げておきます。
 三重県選出で公明党所属の議員で坂口力がいました。現職の折には厚生労働大臣を務めており、現在は東京医科歯科大学の特認教授という肩書きを持っております。
 その坂口、医科歯科大の特認教授の肩書きを持っていることからもわかるように、三重大学医学部出身で、医師免許をもっております。また坂口は10年ほど前になりますが、大腸がんを患い余命宣告を受けております。医師免許を取得している坂口ががん患者の当事者になったときに取った選択は、ガイドラインには基づかない治療でした。
 余命宣告された坂口が特認教授として活躍しているわけですから、ガイドラインに従わない治療で完治したといういうことです。医師免許を持っている者が、がんに罹ったときに、標準ガイドラインを選択しなかったというのは、いかにガイドラインがでたらめかを物語っています。

 さて上記のように、ガイドラインに基づいた抗がん剤の投与は30月ぐらいが限界ですから、ガイドラインのデータでは大腸がんのステージ4の5年生存率は1割程度となっています。
 繰り返しになりますが、寺西を庇うつもりはありませんが、欠陥マニュアルが、改訂されていないことなどを考えれば、寺西が特殊な例とも思えません。
 がん細胞なんていうのは40度程度の熱で死滅しますから、ステージ4、つまり末期がん患者が肺炎などで高熱を出し、熱が引いたら、がん細胞が消えていたなんていうこともありますし、ちゃんと治療の仕方を知っている医師もいるわけですから、差引すれば、1割程度の医師しか適切ながん治療の方法を知らないといえるのではないでしょうか。
 政治家が知ったかぶりをしているだけで、中身は素人以下ということは重々承知していましたが、がん治療に携わる医師も政治家に負けず劣らずです。
 がん治療に携わる9割の医師は、5歳児のチコちゃんに「ぼ~と生きてんじゃね~よ」と叱られるようなことしかしていないわけです(笑)。
 このように、がん治療に携わる医師のうち1割程度しか治療の仕方を知らないから、民間療法などに走る者が現れるわけです。
 民間療法ではないものの、近藤誠とかいう医師も同じようなものです。彼の頭の中にはおぼろげながら再発と転移の違いは描かれていたでしょう。しかしがん幹細胞が確認されても、それを知らないのか知ってて採り入れないのか、結局は標準ガイドラインと五十歩百歩。独りよがりの分、ガイドラインより悪い結果を招くことになります。
 芸能人などの金持ちが被害にあっているようですが、ブランド品依存症とでもいいましょうか、自己の確固たる価値観がないため、ぼったくりに近いブランド品(模造品を奨励するつもりはないが、模造品が出回るのは、多くのブランド品は原価は安価で、利益を過剰に上乗せしているからです)にすがることと根は同じでしょう。原価などわずかなものに過ぎない化粧品が高額なほど売れるというのも同様です。
 世間を知らない芸能人なんていうのは、ある意味、葱を背負った鴨に見えるのでしょう。
 こうした事態も、いつまでも疑似科学に過ぎないガイドラインを変更しないことが原因です。

 では、なぜ門外漢の外科医が抗がん剤治療に手を出すのか。ぼ~と生きてる割には、医は算術に長けているのか、先に紹介した小林教授や児玉教授の研究に基づく治療薬が実用化されれば、外科の仕事が激減することはうすうす感づいてはいるのでしょう。
 そうなる前に仕事を確保しておく、それが外科医の総意なんでしょうね。
 加えて、外科医というと、テレビドラマなどではかっこよく描かれていますが、西洋医学の外科は西洋医学の内科と比べれば、その歴史ははるかに浅く、もともとは床屋の仕事でした。床屋のサインポールのトリコロールの白は包帯、赤は動脈、青は静脈です。外科手術も行いますという看板なのです。
 今では見かけなくなりましたが、私が子供のころの床屋さんは、白衣を着ていました。これもこうした歴史的背景に基づくものです。
 外科医には内科医に対するコンプレックスがあり、そのことも内科的な抗がん剤治療の取り込みに一役買ったことは容易に想像できます。
 先に免許の更新制について教員免許を引き合いに出しましたが、小学校の教員免許は全教科教えられますが、中学高校は、科目別の免許です。
 少なくとも、内科的な治療である抗がん剤治療は、原則外科医は禁止にすべき。つまり二足草鞋の禁止です。

 話を戻せば、浜松医大で倉地教授の話を聞き、豊川市民病院で、最初に行ったときの担当だった内科の宮木医師に戻してもらえなかったこと亜から、青山病院を選択しました。結果論からいえば、私の指示通りに動いてくれて余命半年は幻に終わりそうです(笑)

 話は変わりますが、前回書いたように私は24の歳に、激症肝炎に罹っています。
 私が20になる直前に父が工場をはじめ、私も父の仕事を手伝っていました。
 工場を始めて数年も建たず手狭になり、別の場所にも工場を借り、私は新たに借りた工場を担当しておりました。なかなか従業員の手配ができず、私は風邪だとわかっておりましたが、先に体調を崩して休んでいた従業員がおり、高熱があるのはわかっていたものの、1週間ほど朝6時から夜は10時ごろまで仕事(工場ですからもちろん力仕事もかなり含んでいます)。
 休んでいた従業員が出てきて、5時ごろ仕事を終え、医者嫌いの私ですが、星野医院により、帰宅、布団の上で、うとうととしていると、手足の先が痺れだし、異変に気づきすぐに起き、家にいた祖父母と妹に作業着のポケットに診察券があるから星野医院へ電話してほしいと告げ、さすがに自分でももしかしてダメかもしれないと思い、見苦しい格好で死にたくはないと、夏でしたから、アイロンがかかった白の麻のシャツに、黒の麻のスーツで、歩いて星野医院に向かいましたが、星野医院を目の前にして、長距離走を終えた後のように息が上がり、何とかたどり着いたものの、ベッドに横になると、目のみがかろうじて動かせるといった状態でした。
 星野先生の適切な措置により、1時間ほどで回復しましたが、途中、このまま植物状態になるのかとかいろいろなことが頭の中をよぎりました。
 さすがに翌日、来るようにといわれ、翌朝は風邪の熱も引き完全に健康状態でしたが、医者嫌いでも、朝一で診療に出かけました。
 採血をし、翌日結果が出るとのこと。翌朝電話があり、なんともないかとのこと。なんともないと答えると、じゃあ検査のミスかもしれないから、もう一度採血とのこと。
 最初の採血では、ガンマGTPの値が6900、二度目が落ちていたものの3000ほど、自覚症状はありませんでしたが、激症肝炎と診断。
 絶対安静といわれましたが、熱も下がり、自覚症状からは健康そのもので、さらに母が体がなまるで仕事においでんと。
 絶対安静にしていないにもかかわらず、1週間で100ぐらいまで下がりましたが、ひょんなことから絶対安静にしていないことがわかり、市民病院に入院することになりました。
 ちなみに、当時私は消防団に所属しており、症状が出る前日に集団検診で採血をしています。後でわかったことですが、そのときのガンマGTPは正常値でした。

 さてそんなことから市民病院に入院をしたのですが、入院してすぐにいわれたのが、検査をするとのこと。私にはこれは腑に落ちないものでした。激症肝炎だとわかっているわけですし、私は治療に来たわけですから、何の検査をするかという点が腑に落ちないわけです。
 腑に落ちないから、何の検査かという点と、治療に来たのだから、わけのわからん検査などする気はないから、治療しないのなら、退院するというと、寝とれば治ると、当時はタバコをすっていましたが、所持していたタバコはゴミ箱に捨て、とにかくごろごろしていたところ4日ほどで正常値に戻り、退院しました。医者のペースにはまらなかったことが早期退院に繋がったと思います。医者のペースにはまっていれば、良くなるどころか悪化していたでしょう。
 上記のように患者は治れば、原因などどうでもいいわけです。一方医師は原因が知りたい。おそらくなんで6900もガンマGTPの値が上がったのになぜなんともなかったのか、そうしたことを医師は知りたかったのでしょう。治療以上に。
 このように、患者と医師はその目的や思惑が異なるものです。
 医療行為も法律的には、物を買ったり売ったりの売買行為などと同様の契約です。
 患者が医者に注文をつけるのは、契約なら当然のことです。
 その点を前提に医者とは付き合うべきでしょう。
 また医療機関の利用者は、医療行為は、ファーストフード店やコンビニエンスストア、さらには役場などの行政機関と同様のサービス業であることを認識し、遠慮せずに付き合うべきです。こうした遠慮ががん治療に携わる医師の多くが「ぼ~と生きている」一因になっているんですから。

 そしてもう一つ忘れてはならないのは、陸軍軍医のトップだった森林太郎の自己の思い込みにより、多くの兵が病にかかり、命を落としたこと。
 そして軍といえば、もう一つ、いわゆる731部隊には京大医学部の研究者が多数参加し、人道上問題ある実験を繰り返し、その罪を問われることなく、戦後、医学界の指導者として君臨した者が幾人もいることです。

 上記のように、父が工場を始め、私もその会社で仕事をしていたわけですが、当然、下請け仕事。この地方に多い、自動車関連の下請けで三次、あるいは四次下請けといったところでした。
 テレビ番組のスポンサーとなっているような自動車部品の三次下請けの仕事をしていましたが、不良品が出たとき、その説明が、どうも知ったかぶりしているだけで、わかっていないように思え、そもそも設計が悪いのではないかと思い、私はいわゆる文系でしたから物理の基礎から始め、流体力学の専門書等が理解できるようになり、思ったとおり、某自動車メーカーの関連会社の社員も、結局は知ったかぶりだとわかりました。
 その理解を基に、その部品の改良品の特許の出願をしたいと父に相談すると、特許事務所に頼めば、出願だけで何十万もかかるが、自分で特許明細書を作成すれば、当時ですと収入印紙(まだ特許印紙はなかった時代)1500円程度で出願は可能と。
 さらに父は、特許明細書の書き方がわからなければ、図書館に明細書の書き方の本があるとも。
 自分で特許明細書を作成したのをきっかけに、特許制度に詳しくなり、特許検索(当時は紙公報で、公報の手めくりというアナログの検索だが)といったことをやるようになりました。
 今回、加藤瑛の説明がおかしいと思えたのも、この自動車メーカーの関連会社の社員の知ったかぶりの経験が大きかったですし、加藤の説明のおかしさを特許検索を手始めにして、どこがおかしいかが理解できたのも、父が自分で特許明細書を作成せよといったことが大きいと思います。
 父には、感謝しております。お父さんありがとう。



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Posted by 柴田晴廣 at 17:35│Comments(0)雑談
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