2022年01月04日

『牛窪考(増補改訂版)』の内容の説明1(はしがき)

「オンデマンド出版による『牛窪考』(柴田晴廣著)、刊行。電子版も。」は、母の小学校、中学校の同級生で、スポーツ史学会の会長等を歴任した稲垣正浩(一九三八年三月二六日~二〇一六年二月六日)博士による前著『牛窪考(増補版)』を刊行したときのその内容を紹介して頂いた稲垣博士のweb-logへの投稿を、ご遺族の許可を得て、『牛窪考(増補改訂版)』の紹介文とさせていただいた。
 増補版も今回の増補改訂版もその指針に変わりはないからである。
 稲垣さんの略歴を記せば、大阪府富田林市で生まれるが、昭和二〇(一九四五)年四月、豐橋市立東田國民學校に入學するが、一九四七年四月、父の在所(実家)の豊橋市大村町横走の曹洞宗の寺院・堀内山長松院に転居し、私の母と同じ、豊橋市立大村小学校に転入、その後、豊橋市立北部中学校、愛知県立時習館高等学校を経て、一九五六年四月、東京教育大学体育学部体育学科、一九六〇年四月、同大体育学部専攻科、一九六二年四月、同大大学院教育学研究科修士課程、一九六六年、同大大学院教育学研究科博士課程入学、一九六九年三月、同課程単位取得退学、一九七四年四月、愛知教育大学教育学部助教授、一九七六年四月、大阪大学教養部助教授、一九七八年四月、 奈良教育大学教育学部助教授、一九八四年一月、奈良教育大学教育学部教授、一九九六年一二月、スポーツ史学会会長就任。
 参考までに、下記のURLは、私がこのweb-logに以前投稿した稲垣博士との思い出について、
https://tokosabu.dosugoi.net/e1127015.html

「はしがき」には、初等教育の作文、特に読書感想文が大の苦手で大嫌い(説明文は得意)だった私がなぜに『牛窪考(増補改訂版)』、さらにはその基となった『穂国幻史考』を書いたかの動機。なぜ私をはじめ、作文が嫌いで苦手な者が多いかを愚民化教育の賜物である文部科学省のカリキュラムの欠陥に言及しつつ、本話の内容を説明した。
『穂国幻史考』執筆の動機にも繋がる構想段階からかかわった『エミシの国の女神』の問題点に多くの紙面を割いた。
 その『エミシの国の女神』の問題点を挙げれば、『エミシの国の女神』は、第Ⅰ編「大昔に女神あり」、第Ⅱ編「女神は明かす」、第Ⅲ編「受難の女神」、第Ⅳ編「舞い降りた女神」という構成で、「起承轉結」の「轉」に当たる「受難の女神」は、「エミシの国の女神――持統三河行幸とアラハバキの神たち」、「天白神という女神――三河から東北へ」の二つの章からなる。その「受難の女神」の最初の見出しは、「エミシの国の女神――持統三河行幸とアラハバキの神たち」と、本のタイトルでもある「エミシの国の女神」が盛り込まれている。
 加えて、『エミシの国の女神』の「あとがき」には、「そして、三河を探索する上で、貴重な資料の提供や助言をいただいた柴田晴廣氏」とあるが、私が提供した資料や助言は全く反映されておらず、その舞台は、三河ではなく、東北遠野になってしまっている。
 また『エミシの国の女神』の著者で、その発行者でもある福住展人(菊池展明は筆名)氏は、『エミシの国の女神』の構想段階から刊行して数年の間、「かみあかし」という言葉をよく口にしていた。福住氏は、神佛分離等によって、祭神の變更を餘儀なくされた社の變更前の祭神を明らかにすることを「かみあかし」という表現で語っていた。この「かみあかし」には、本地埀迹説を駆使する必要がある。ところが、福住氏は、本地埀迹説を駆使して、祭神の變更を餘儀なくされた社の變更前の祭神を證すという手法は採っていない。
 本書では、過誤記憶が、共同幻想にまで昇華し、都市伝説化した言説(都市伝説とは、口承される噂話のうち、現代発祥のもので、根拠が曖昧・不明であるものをいう(大辞林)から、嚴密には都市伝説ではないが)の檢證を一つの柱としているが、『エミシの国の女神』は、スピリチャルという怪しげな世界でもてはやされ、祖の言説は都市伝説化している。
 その都市伝説化の危惧から、二〇〇七年に刊行した『穂国幻史考』の執筆の動機となったのだ。
 ここで過誤記憶について説明する。
 人間の記憶。脳科学の世界では、人間の記憶をその保持時間の長さによって、感覚記憶、短期記憶、長期記憶に区分する。この長期記憶は、非陳述記憶と陳述記憶に分類され、陳述記憶はさらに自分が体験したことなどの出来事記憶と繰り返し学習して覚えた意味記憶の二つの類型に分けられる。
 ところで、この出来事記憶、どの程度正確であろうか。
 たとえば、刑事訴訟法上の法原理に補強法則というものがある。被告人を有罪とする場合には自白以外に他の証拠を必要とするというものだ。自白は強要される場合もあり、冤罪に繋がるからだ。しかし自分が体験したことと異なる自白であっても、自白した本人ですら、自身が体験したものと誤って認識していることがある。これを脳科学の分野では過誤記憶という。
 戊辰戰爭での奧羽列藩同盟。賊軍といわれるが、奧羽列藩同盟の兵士が、當時、自身が賊軍の兵士と思って戰っていただろうか。
 江戸幕府は、万一の場合に備え、皇族を寛永寺に迎え、輪王寺宮として崇め、いざというときには、この輪王寺宮に踐祚させ、官軍として戰えることを想定していた。
 實際、戊辰戰爭當時、輪王寺宮公現(1847~1895)は、東部皇帝を名乘り、延壽という獨自の年號を使っていた。鷗米の新聞では、天皇が二人いたと書いてある。
 勝てば官軍。敗れた奧羽列藩同盟の兵士には過誤記憶(自己幻想)が形成され、戊辰戰爭で賊軍として戰った奧羽列藩同盟という共同幻想となり、歴史が創された。
 余談になるが、この公現の男系の玄孫が、タレントの竹田何某である。本人は明治天皇の玄孫を称するが、明治天皇は女系の先祖に過ぎない。
 ここで、自己幻想、対幻想、共同幻想についても説明すれば、吉本隆明(一九二四~二〇一二)が、一九六八年に刊行した『共同幻想論』で、国家の成立の説明に使った用語であるが、人の営みである人類学の範疇に含まれる民俗に、自己幻想、対幻想、共同幻想という概念を当てはめることは有効な手法である。
 下記のURLは、このweb-logに、『エミシの国の女神』の問題点について、以前に投稿したもの
https://tokosabu.dosugoi.net/e1126748.html



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Posted by 柴田晴廣 at 07:28│Comments(0)牛窪考(増補版)
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