2020年03月05日
母の要望で

母の要望で、天津飯を作った。
本体は、鶏卵に、干し椎茸、葱、ちょっと高めのカニカマ、餡は、本味醂、砂糖、オイスターソース、醤油、粉末鶏がらスープの素、干し椎茸の戻し汁、片栗粉、そして卵を焼くのに使う胡麻油(もちろん地元の竹本油脂)、以上が材料だ。
調味料の割合は、以前書いた通り、好みもあれば、銘柄等により、糖分や塩分が違うから、書いても無意味だから書かない(そもそも目分量だし、味見もしたことはない)。
強いていえば、餡は、調味料に含まれるアルコールだけを飛ばして、アミノ酸から旨味を引き出すこと、卵は、卵の解き加減、解いた卵を中華鍋に入れるタイミングで、卵のふわふわ感は変わることだろうか。
掲載写真の天津飯は母の要望で作ったのだが、その母の小学校・中学校の同級生が、2月23日付投稿の「稲垣正浩さんの思い出」の稲垣正浩さんだ。
稲垣正浩さんは、体育学の教授で、筑波大学などで教鞭を執られていた。
海外の体育学の学者さんとも広いネットワークを持っており、東京五輪の話題を介して、海外からの原発事故のこのクニの放射能汚染の実情の情報を私も享有させていただいた。
元気でおられれば、海外からのコロナ情報も稲垣さんのところに集まっていただろうし、私もそれを享有させて頂けていたと思う。
稲垣さんは、東京五輪のみならず、商業化する五輪について否定的に見られておられた。
実をいえば、稲垣さんと出会う以前から、私も五輪については、懐疑的であった。
まず平和の祭典という点。これに疑問を抱いていた。
なぜかといえば、近代オリンピックは、アマチュアを対象とした体育大会として始まったのだが、当時のアマチュアの定義は、軍人、士官学校生、学生であった。つまり軍人やその候補生、官僚の候補生にのみ参加資格が与えられていたのが、クーベルタンが創めた近代オリンピックだったからだ。
実際、第15回大会のヘルシンキオリンピック(1952年開催)まで、馬術競技は軍人以外門戸を閉ざしていた。
これのどこが平和の祭典なのだろうか。
パラリンピックもしかり。
その歴史は、第二次世界大戦後初の1948年に開催されたロンドン(London)オリンピック(第14回夏季オリンピック大会)に合わせ、イギリスのストーク・マンデヴィル・ホスピタル(Stoke Mandeville Hospital)で行われた第二次世界大戦の傷痍軍人の競技会を、そのルーツとする。
ちなみにオリンピック選手を多く輩出する日本体育大学の前身は、陸軍士官學校及び陸軍幼年學校に入るための全寮制予備校として創立された成城學校内の體育會だ。
そのせいかどうかは知らないが、アマチュアのスポーツ選手は、クニのためにメダルを、との感覚がにじみ出ている者が多い。アマチュアのスポーツ選手の引退後の仕事が自民党国会議員というのも、「民のためより、クニのため」という自民党との親和性からだろう。
もっとも「オリンピック憲章」の第1章「オリンピック・ムーブメント」第6節「オリンピック競技大会」第一款前段は、「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と規定する(公益財団法人日本オリンピック委員会編2015年度版英和対訳より)。
だったらメダル獲得の表彰式で国旗を掲揚し、国家を吹奏する必要はないだろう。もっといえば、JOCといった各国のオリンピック委員会など必要ないはずだ。
近代五輪及びそれを統括するIOCの出鱈目さを挙げれば、きりがない。
こんな馬鹿げたイヴェントに一喜一憂することから、そろそろ目覚めるべきと私は思う。五輪のメダル獲得数で一喜一憂する者を生前の稲垣師匠の言葉を借りれば、「ゆでガエル」という。
そして馬鹿げた、かつ出鱈目の東京五輪を理由に基本的人権が制限されるようなことは決してあってはならないことであることを記して筆を置く。
※天津飯を食べ終わった母の一言は、「美味かったで、また頼むね」であった(笑)
こんな簡単なもので、そういわれるのも悪くない\(^_^)/
調理時間5分強(二人前)。ただし干し椎茸の戻し時間を除く。
Posted by 柴田晴廣 at 18:45│Comments(0)
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