2020年10月30日
関東煮

今月の初旬(10月3日)、祖母の十七回忌の折に、関東煮を作り、祖母をしのんで一盃やった。
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今日もまた関東煮を作った。
前回アップした具とは異なるものを盛ってアップした。
大根は、米のとぎ汁で下茹でした後に、ほかの具と煮込んだ。
前回書いたように、沸騰する寸前の火加減で汁は澄んだものになる。
だいぶ日が短くなったが、日が落ちる前に呑む酒は旨い。
夏は、酒がぬるくなることから、升で呑むが、少し涼しくなってきたことから、今日は立杭焼のぐい呑みで。
加えて置けば、私は酒を呑む器にはこだわりがある。
盃の厚さなどで酒の味は異なる。
味は、唇に当たる食感によっても変わるからだ。
ゆえに、呑む酒によって器を選ぶ。
洋酒にしても同じだ。
私が好きなスコッチ、フェイマス・グラウス。極々薄いクリスタルのストレートグラスで呑めば、まぎれもなく美味しいスコッチだ。
ところが、厚めのロックグラスで、オンザロックで出せば、バーボンだといえば、旨いバーボンだといって呑む者も多いだろう。
酒を呑む器は、酒呑みにとって重要なアイテムだ。
別にこれは酒に限ったことではない。
お茶漬け、かけ蕎麦、みそ汁等、器に唇が当たるものは、器の厚みや質感が重要だ。
和食は器などと至り顔で語る者がいるが、要は、洋食や中華のように、和食は直接口に付けて食するものが多いことからだ。
ゆえに、器を口に付けない食器は、別段こだわる必要はないと私は思っている。
上記のように、洋食や中華は直接器に口を付けないが、スプーンや蓮華は口を付ける。これにはこだわる必要があると思っている。
Posted by 柴田晴廣 at 18:22│Comments(0)
│雑談