2017年09月08日

semi brogue

 写真はバルモラルのセミブローグです。
 セミブローグとは、キャップトゥにメダリオン、ブローギング(パーフォレーション)を施したレースアップシューズをいいます。
 右側のセミブローグはチャーチ。ディプロマットの商品名で出ています。ただ現在のラスト173ではなく、ラスト73のオールドチャーチです。
 ちなみに、靴の左と右の形が異なるようになったのは、チャーチが左右の別がある靴を作ってからです。チャーチの創業は1873年です。靴に左右の別が出来るのは、鹿鳴館時代も終わって10年近く経った19世紀末のことです。
 長崎市には、幕末のブーツのオブジェがあるそうですが、時代考証出鱈目ですね。幕末には、下駄や草履と一緒で、靴にも左、右の違いはなかったのです。
 私が設計したシューキーパー(http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/newpage7.htm)に左右の別がないのも、土踏まず辺り以外に、靴の左右の形状に差はないからです。
 左側は、1879年、ノーサンプトンで創業したクロケット&ジョーンズのセミブローグ。
 いずれも30年以上前に買ったものです。

semi brogue

 30年程前は、タンニン鞣しより、クロム鞣しのボックスカーフが本格的な革靴の主流でした。
 チャップリンの映画『黄金狂時代』では、革靴を食べるシーンがありましたが、これはクロム鞣しの革で出来た靴ではなく、タンニン鞣しの革靴であることが前提になります。
 軍靴を始め、軍の革製品がタンニン鞣しを基本とするのは、最後は食料にと考えているからです。敗戦間際の、物資の調達が困難になった時期には、スルメを鞣して軍の革製品の代用にするといった研究もあったようです。保管中に鼠に齧られたといった話もあったそうですが。
 明治以来、軍とともに皮革及び靴産業も進展して来ました。ある意味「親方日の丸」ですから、多くの企業は世界的な競争力がなく、輸入の革靴などは、高率な関税が課せられています。
 関税が撤廃されれば、苦しい業界といえるでしょう。
 とはいうものの、印傳、姫路白革は、ほかには見られない鞣しの技術です。また、ヨーロッパに起源を持つものの、江戸時代に独自の発展を遂げた金唐革も、希少な皮革の装飾技法といえると思います。
 莨入の叺には、印傳、姫路白革、金唐革が使われていましたが、現在あまり注目されていないことは残念な限りです。



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Posted by 柴田晴廣 at 18:06│Comments(0)雑談
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