2022年02月23日

『穂国幻史考(増補新版)』の手引き5(第一話第三章)

 既述のように、原初的なアマテラスは、年に一度、海からやって來る神が着る神衣を、湯河板擧で織る棚機つ女であった。その神衣を織るアマテラスが祀られる神として、登場するのが、『日本書紀』卷五及び卷六の崇神――埀仁の條だ。第三章「彷徨うアマテラス」の第一節「ヤマトヒメの巡幸」では、この祀られる神・アマテラスを考察した。
『日本書紀』卷六埀仁條は、アマテラスを祀る場所を探して、倭姫が巡幸するという譚だ。先に記したように、伊勢神宮が出來るのは、持統が生きた時代だ。また持統と孫の文武の姿が、アマテラスと孫の二ニギの物語に投影されており、これも既に述べたが、二ニギと埀仁には、共通した逸話が語られる。
 加えて、アマテラスの祀る場所を探して巡幸した倭姫は、丹波道主王の娘・日葉酢媛の娘だ。このクニが母系制であったことを考えれば、倭姫は母から祭祀を繼承したことになる。本來の日神は、天火明命であり、『先代舊記本紀』卷五「天孫本紀」の尾張氏系圖では、天火明命の六世孫・建(たけ)田(た)背(せ)命をが丹波國造の祖だとする。丹波道主王家は、天火明命の祭祀に係っていたのだろう。
 倭姫巡幸の記述は、『日本書紀』卷六埀仁條のみならず、内宮の禰宜の荒木田氏が編者の『太神宮諸雜事記』にも載り、三河國渥美郡、遠江國濱名郡に巡幸した旨が載る。内宮の禰宜が、三河渥美郡あるいは遠州濱名郡に伊勢神宮を創建する構想を抱いていたことを窺わせる。

 話は変わるが、一〇世紀ごろに成立したといわれる日本最古の假名物語『竹取物語』は、文武の時代を舞臺とし、かぐや姫に求婚する五人の公家も、文武時代の實在の人物がモデルだという。
『竹取物語』での竹取の翁の名は讚岐造だ。埀仁の妃の一人・迦具夜比賣命は、大筒木埀根王の娘であるが、『古事記』中卷開化條の系譜には、大筒木埀根王の同母弟に讚岐埀根王を載せる。
 そして『竹取物語』では、滿月の夜にかぐや姫が月に歸るが、史實では、文武が滿月の夜に亡くなる。
『竹取物語』の作者は、埀仁に文武が投影されていると認識していたことになる。
『竹取物語』では、月にかぐや姫が歸った後、帝が不死の藥が入った壺を富士山頂で燒いたとの設定であるが、文武の姿が投影されている二ニギは、磐長姫を返したことにより、磐長姫は天皇の壽命が身近くなるように呪いを掛けた。『竹取物語』の作者は、二ニギに文武の姿が投影されていることも見破っていたことになる。

 延暦二三(八〇四)年に成立した『皇太神宮儀式帳』にも、倭姫巡幸の譚を載せるが、倭姫に副えた五柱の送驛使のうち、四柱は、『竹取物語』で、かぐや姫に求婚する五人の公卿のうちの四人に對應する。『皇太神宮儀式帳』の倭姫巡幸を記述した者も、倭姫巡幸は文武の時代のことと認識していたことになる。
 天香具山命を祖とし、香具夜姫も露天商と同族とする、祖父の口傳は、『日本書紀』のからくりを解くキーワードになっていたのである。
 繰り返しになるが、アマテラスを容れる器=伊勢内宮が完成するのは、文武二(六九八)年のことだ。伊勢に赴いた最初の齋王は、『續日本紀』卷一文武二年九月丁卯(一〇日)條の「遣當耆皇女 侍于伊勢齋宮」と記される、天武の娘の當耆皇女(?~七五一)である。



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