2022年02月25日

『穂国幻史考(増補新版)』の手引き7(第一話終章)

 終章は、「穗國造・菟上足尼と丹波道主王の末裔たち」は、タイトルどおり前半は、『先代舊事本紀』卷一〇「國造本紀」穗國造の項に載る菟上(うなかみの)足(すく)尼(ね)について、後半は、丹波道主王の末裔について考察した。
「國造本紀」の「穗國造」の項は、「雄略の時代に生江(いくえ)臣の祖・葛城襲津彦の四世孫・菟上足尼を穗國造に任じる」旨を記載する。「國造本紀」については、同書に記載されている國の數が、『宋書』列傳五七「夷蠻傳」倭國條で、倭王武が順帝に上表した記述に載る國の數と近似していることから、「國造本紀」が編纂の基とした資料は五世紀のもの、つまり、推古朝の『天皇記』等の編纂に用いられた資料と同じだ思われる。
 豊川市小坂井町宮脇に鎭座する菟(う)足(たり)神社の祭神が、菟上足尼である。菟足神社は、「延喜式神名帳」記載の三河國寶飯郡六坐の一つであり、かつては寶飯郡渡津鄕の總氏神であった。ところが、「國造本紀」が穗國造とする菟上足尼の名は、「國造本紀」以外には登場しない。宮路山(豊川市赤坂町宮路)等にも傳承が殘る砥鹿神社の神主家の祖・草鹿砥公宣とは對象的だ。
 菟足神社々傳によれば、菟上足尼は、菟足神社の西・柏木の濱(豊川市平井町神明邊り)に上陸し、最初は平井八幡社(豊川市平井町水戸田)に祀られ、白鳳一五年に現在地へ遷坐したと傳わる。
 菟足神社の大祭「風祭」の当日、平井八幡社から出発する行列は、この遷坐の様子を傳えるものという。その平井八幡社を出発した平井の行列の中の平井の若い衆は、菟足神社の境内に入ると、拜殿に駆け上がりなだれ込む。それを拜殿内にいる大字小坂井や大字宿の氏子総代などの役員が押し戻す。あたかも菟足神社に攻め込んでいるようだ。
 菟足神社は渡津鄕の總氏神だが、その氏子でもある宿には、『國内神名帳』の「從五位上 多美河津天神 坐寶飯郡」と記載される多美(たみ)河(かわ)津(つ)神社(豊川市宿町宮脇)が坐す。祭神は、朝廷別王だ。
「宿」には、「宿縁」、「宿案」などの熟語からわかるように、「前々から」という意味がある。
「風祭」の平井の行列が遷坐の樣子を傳えるものであるとすれば、現在の菟足神社の鎭座地には、「前々から」の神・朝廷別王を祭神とする多美河津神社が鎭座し、平井から菟上足尼を奉祭する者が押し寄せ、力でこの地を奪ったとも取れる。
 白鳳一五年という遷坐の時期を考えれば、持統三河行幸の前觸れのようなものではなかったか。その持統三河行幸の半年ほど前の『續日本紀』卷二大寶二(七〇二)年四月庚戌(一三日)條には、「詔定諸國國造之氏 其名具國造記」と、「諸國の國造となる氏族を定め、それを「國造紀」に記した」旨を載せる。律令國造の記載だ。『先代舊事本紀』は物部氏の手によるものといわれる。私は「記紀」編纂時に、不比等以上に、官位が高く、『竹取物語』で、かぐや姫に求婚する五人の公卿の一人・中納言石上麻呂のモデルとなった左大臣石上麻呂(六四〇~七一七)が關輿していたと考える。
 以上を考慮すれば、菟足神社の祭神・菟上足尼は、律令國造だったのかもしれない。

『穂国幻史考(増補新版)』第一話「記紀の成立と封印された穂国の実像」第二章「穗別の祖・朝廷別王は、悲劇の皇子・ホムツワケノミコトだ」の説明で述べたように、終章の「穗國造・菟上足尼と丹波道主王の末裔たち」の後半部分は、露天商の傳承がベースになっている。
 既述のように、「記紀」の編纂には、不比等の思惑が大きく影響しているが、その不比等の思惑が實り、攝關政治絶頂の御堂關白道長(九六六~一〇二七)の時代、京の都に鬼が現れる。鬼の首魁は丹波の大江山(京都府福知山市大江町)に棲む酒呑童子。酒呑童子は、越後の彌彦山で生を受けたといわれ、彌彦山には越後一宮彌彦神社(新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦)が鎭座する。祭神は、露天商の祖・天香具山命である。
 丹波といい、土師系の大江の地名といい、酒呑童子は、丹波道主の裔を想起させる。
 大江山の酒呑童子に關聯して、一條戻橋(京都市上京区堀川下之町)の鬼の話がある。源頼光の四天王の一人・渡邊綱(九五三~一〇二五)が、鬼の腕を切り落とすが、鬼はそのまま愛宕山へ飛び去った。後日、鬼は老婆に化けて腕を取り返しに來た。 
 腕を取り戻すという逸話は、河童傳説にしばしば見られる。腕を拔かれた河童が、腕を取り返しに來るというものである。河童は、相撲を好むといわれ、相撲の始祖は、野見宿禰だ。
 河童については、木偶(デク)に呪法をかけて土木工事を手傳わせ、工事から開放された木偶が河童になったとする傳承もある。
 中世に、「傀儡子(くぐつ)」と呼ばれる木偶(傀儡(デク))を操る集團がいた。
 大江匡房(一〇四一~一一一一)は、傀儡子について、「家を持たず、定住せず、天幕を張り、水草を追って移動する。(中略)男は、皆弓馬を使い、狩獵を行っている。(中略)木偶を操るに巧みで、(中略)女は、愁い帶び妖艶な足つきで春をひさぐ」旨を『傀儡子記』で述べている。
 柳田國男(一八七五~一九六二)は、大正二(一九一三)年に発表した『所謂特殊部落ノ種類』において、「クグツ」について、近世末期の無宿人の系譜に屬するサンカが、これに當たるとしている。
 サンカの研究というと、三角寛(一九〇三~一九七一)が思い浮かぶが、三角のサンカについての言説のほとんどは、三角の創作によるものである。
 三角は、「ひとのみち」の信者であり、「ひとのみち」は、當時の他の神道系教團と同樣に、皇祖神アマテラスを頂點とする天皇中心主義をその史觀とした。
 そうした思想的背景を持つ三角であるが、上垣和三郎からの蝮部(タヂヒベ)の傳聞の紹介は、蝮部の祖を火明命を祖とし、三角の創作とは思えない。またサンカの始祖傳承には、酒呑童子の影が色濃く殘る。
 無宿人の系譜を引くならずもののサンカが行商を行い露天商と接觸し、觸發され、始祖傳承を創作したのだろう。

 以上、『穂国幻史考(増補新版)』第一話「記紀の成立と封印された穂国の実像」の序から終章までの説明をしたが、穗國を一言でいえば、天皇制から排除された鬼のクニとなるだろう。



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