2022年02月27日

『穂国幻史考(増補新版)』の手引き9(第一話拾遺一補遺)

『穂国幻史考(増補新版)』第一話「記紀の成立と封印された穂国の実像」拾遺一補遺「菅江眞澄とアラハバキ」では、アラハバキ神についても語る菅江眞澄(一七五四?~一八二九)と、東三河のアラハバキ社についての考察である。
 その菅江眞澄の出自については、『はしはの若葉』の天明六(一七八六)年四月條の「あか父母の國吉田ノうまやなる殖田義方のもとへ文通あつらへしかは」と、『えみしのさへき』の寛政元(一七八九)年六月二四日條の「この頃三河の國寶飯郡牛窪村のすきやう者……喜八とかいふにてやあらむ……わか親ますかたのちかとなりの里なるをと」と、自身で記している。
『はしはの若葉』の「殖田義方」とは、吉田宿表町十二町の一つ札(ふだ)木(ぎ)(愛知県豊橋市札木町)の植田義(よし)方(へ)(一七三四~一八〇六)のことであり、『えみしのさへき』の「牛窪村の喜八」とは、當時の牛久保村中代(なかだい)田(だ)、現在の豊川市代田町邊りに居していた河合喜八(一七五七~一八二〇)のことである。
 吉田宿の札木、牛久保村の中代田とも吉田川(豊川(とよがわ)下流の江戸時代の呼稱)の流域に當る。
 そのほか、眞澄の出自については、秋田藩士・石井忠行(ただつら)(一八一七~一八九三)が、文久三(一八六三)年二月から編み始めた『伊頭園茶話』の眞澄が仙北郡六鄕村の竹村治左衞門に語った覺書が出典だといわれる、「三河國熱海郡雲母莊入文村白井氏某之二男菅井眞澄」の一節がある。「熱海郡雲母莊入文村」の「熱海郡」は渥美郡のことと思われるが、渥美郡に入文村はない。だが、吉田川流域ということになれば、八名郡入文村(豊橋市石巻小野田町の一部)がある。
 これらの眞澄の父母が住む地の共通項を擧げれば、近くに白山妙理權現を祀る集落があることだ。
 吉田宿表町十二町の一つ札木から數百㍍南へ下った吉田宿町裏十箇所の一つ新錢町に白山比咩社が鎭座する。この白山比咩社は、吉田宿裏町十二町の一つ魚町(うおまち)(豊橋市魚町)の氏神である安(やす)海(み)熊野權現の脇宮として祀られ、保延二(一一三六)年に札木に遷座し、天正一八(一五九〇)年の吉田城擴張までは、札木に鎭座していたと傳わる。
 寶飯郡牛久保村中代田から南に一㌔ほどの舊寶飯郡宿村北島、八名郡入文村から西に一㌔弱の八名郡三渡野村にも、白山妙理權現社が鎭座する。
 東三河の舊四郡の殘る一つ設樂郡に目を向ければ、德定と片山で「白山比咩」を産土神としており、德定には、眞澄の本名の白井(眞澄の本名は白井榮二)を苗字とする家が記されている。德定の白井家の氏神・熊野權現社に正德二(一七一二)年、荒羽々氣社が勸請されている。
 その白井を本名とする眞澄自身、『そとかはまつたひ』の天明八(一七八八)年七月七日條、『えその手振り』の寛政三(一七九一)年五月二九日條で、『筆のまにまに』で、アラハバキに言及しており、『えその手振り』では、砥鹿神社の荒羽々氣社についても觸れ、『えその手振り』と『筆のまにまに』では、アラハバキを祀る社に觀音菩薩像が安置されている旨記している。
 眞澄は觀音菩薩像の具體的な尊容を記していないが、白山妙理權現の本地は十一面觀音である。

 眞澄は、天明八(一七八三)年、故鄕を出奔し、信濃を經て、出羽、陸奧、蝦夷を旅し、行く先々の風俗等を書き殘したことから、アラハバキ神といえば、東北の神とのイメージが濃いが、眞澄自身が記すように、砥鹿神社の里宮及び奧宮の荒(あら)羽々氣(はばき)神社のみならず、德定の熊野權現社に勸請された荒羽々氣社(現在は竹生神社(新城市杉山行時(ゆきとき))に合祀され、その末社の荒羽々氣社)、式内石座神社(新城市大宮狐塚)の末社の荒(あら)波婆岐(はばき)社、設楽郡豊根村下黒川の熊野權現社の末社の荒羽々氣神社と、眞澄の出身地・東三河には、五社のアラハバキ社がある。

 砥鹿神社里宮の荒羽々氣社について、昭和一九(一九四四)年に刊行された『三河國一宮砥鹿神社誌』は、「弘化四(一八四七)年以前は、祠宇がなく、神木を對象としていた」とする。神が依代とする木=みあれ木が神體だったということになる。
『古事記』上卷の「天の岩戸」條は、「天の香山(かぐやま)の眞男鹿の肩の骨と、天の香山の天の波々迦(ははか)を用意し、占いをさせた」旨を載せる。波々迦とは、朱櫻(かにわざくら)のことである。
 神道五部書の一つ『伊勢二所皇太神宮御鎭座傳記』は、倭媛命崇祭の社であり、その山頂にアマテラスが最初に天降ったという朝熊山に鎭座する朝熊神社(伊勢市朝熊町字櫻木)を擧げ、さらに朝熊神社六座の一つとして櫻大刀神を掲げる。
『古事記』上卷の「天の岩戸」條は、波々迦で占いをさせたとするが、波々迦はみあれ木でなかったか。だとすれば、アラハバキは、みあれの波々迦木の意と推測する。



同じカテゴリー(穂国幻史考)の記事画像
刊行した『穂国幻史考(増補新版)』
海人族の古代史――非常民の民俗学への懸け橋
ちゃんこ鍋と……その薀蓄(笑)
蜂龍盃とねぎま汁で一盃
このクニの専門家という人種 付けたり「ホンブルグ」のことなど
同じカテゴリー(穂国幻史考)の記事
 スポーツ史学会 (2023-07-11 12:35)
 神事藝能と古典藝能 (2023-06-13 08:34)
 日本語について (2023-06-07 16:57)
 持統 (2023-05-17 04:59)
 祭禮ないし祭禮組織の變容 (2023-05-16 14:15)
 親鸞、日蓮、空海と明星のスタンス (2023-04-26 16:31)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。