2022年04月04日

刊行予定の『穂国幻史考(増補新版)』の目次等

 刊行予定の『穂国幻史考(増補新版)』は、A5判縦書き 四四二九頁 文字数三三八九五六三字(以上予定)
 目次は以下のとおり。

  穂国幻史考(増補新版) 〈目次〉

はしがき 8
第一話 記紀の成立と封印された穂国の実像 13
  目次 16
はしがき 20
 モノローグ 54
 序 穗國とは 58
 第一章 「記紀」の成立過程と穗國 68
  第一節 「記紀」の編纂はいつ始められたか 68
  第二節 皇祖神アマテラスの創造と伊勢神宮の創立 102
  第三節 アマテラスの誕生と持統三河行幸 133
 第二章 穗別の祖・朝廷別王は、悲劇の皇子・ホムツワケノミコトだ 172
  第一節 『古事記』開化條の系圖を復元する 172
  第二節 穂別の祖・朝廷別王と日下部氏 221
  第三節 朝廷別王と穗國 268
 第三章 彷徨うアマテラス 302
  第一節 ヤマトヒメの巡幸 302
  第二節 穗國とヤマトヒメ(かぐや姫をめぐって) 332
  第三節 虚構のアマテラスと「書紀」の齋王 377
 第四章 虚構の万世一系と持統の生い立ち 402
  第一節 易姓革命から逃れるために姓を棄てた持統 402
  第二節 「書紀」の著述はなぜ雄略紀から始められたか 460
  第三節 天智の出自を隱すために編纂された「書紀」 495
 終章 穗國造・菟上足尼と丹波道主王の末裔たち 520
 (拾遺一)  砥鹿神社考 552
  第一章 神主・草鹿砥家 552
   第一節 縁起と草鹿砥氏 552
   第二節 草鹿砥と日下部 557
   第三節 草部明神と饌川水神舊社地 566
  第二章 社家・戸賀里氏 576
   第一節 穗國造と戸賀里氏 576
   第二節 戸賀里名稱考 585
   第三節 穗國造と蠶影神 594
   第四節 蠶影神とかぐや姫 601
  第三章 彦狹嶋の東遷と日下部氏 615
   第一節 日下部氏と日本武尊の系譜 615
   第二節 大碓命と美濃國造 624
   第三節 虚構の日本武尊東征 631
   第四節 三島神の東遷と砥鹿神社 663
  終章 砥鹿神社舊社地考 690
  (拾遺一補遺) 菅江眞澄とアラハバキ 712
    第一章 眞澄の出身地 712
    第二章 穗國のアラハバキ社 723
    第三章 藥師如來・白山權現とアラハバキ 730
    第四章 朝熊山の櫻大刀神 738
 (拾遺二) 丹波傳承考 754
  第一章 丹波の間人傳承 754
   第一節 丹波と穗國 754
   第二節 間人と土師 757
   第三節 厩戸皇子の祖母・小姉の正體 766
  第二章 守屋と馬子 779
   第一節 勝海殺害 779
   第二節 崇佛・排佛 784
   第三節 三輪君逆の殺害 790
   第四節 押坂彦人皇子 797
  第三章 穴穗部殺害事件考 804
   第一節 麻呂子傳説 804
   第二節 宣化の皇女たち 812
   第三節 日祀と推古 817
  終章 東漢直駒 825
 (拾遺三) 天武の命日をめぐって 834
  第一章 吉野の盟約 834
  第二章 川嶋皇子考 836
  第三章 天武と草薙の劔 843
 (拾遺四) 人麻呂考―─元明皍位をめぐって 854
 エピローグ 868
あとがき 870
主要参考文献 888
第二話 登美那賀伝説 891
  目次 894
はしがき 896
 第一章 野田城主富永氏 912
  第一節 首無の冨永 912
  第二節 夭逝千若丸 915
  第三節 石座神社と富永氏 927
 第二章 神武東征考 948
  第一節 神武東征の出發地は對馬だ 948
  第二節 大和の攻防 964
  第三節 磯城縣主家系圖を復元する 993
  第四節 大田田根子は磯城縣主だ 1011
 第三章 三河大伴考 1031
  第一節 大伴直と倭宿禰 1031
  第二節 三河大伴直と石座神社 1044
  第三節 安日傳承の原像 1052
 (拾遺) 富永系圖と木地師 1058
   海倉淵の椀貸傳説 1058
   惟喬傳説と六歌仙 1069
あとがき 1080
主要参考文献 1086
第三話 牛窪考 1089
  目次 1092
稲垣正浩 オンデマンド出版による『牛窪考』(柴田晴廣著)、刊行。電子版も。 1102
はしがき 1106
 第一章 牛久保の地名由來譚と牧野氏 1238
 第二章 古名・常寒 1249
 第三章 若宮殿建立と常荒 1260
 第四章 牧野氏の出自 1272
 第五章 牛窪と八尻 1278
 (拾遺一) 「若葉祭(うなごうじ祭)」の起源と豊川流域の「笹踊」 1286
   「うなごうじ祭」は「蛆蟲祭」ではない(1314) 豊川流域の「笹踊」と朝鮮通信使(1371) 「若葉祭(うなごうじ祭)」の起源と寶永の大地震(1378)
  (補遺一)「うなごうじ祭」名稱考 1386
    平田派國學者・羽田野敬雄の牛久保觀(1386)
     反骨を貫く若宮殿の縁起(1388) 國學の核心は中華思想にあり(1390) わが國本來の神祭りとは乖離した國學思想(1417) 上若の唄う「梅ヶ枝節」も異國起源(1460) 遠州灘近海にも多くの外國船が航行(1464)
    田中緑紅主宰『鄕土趣味』の功罪(1485)
     地面に寝転ぶ姿態からの聯想には疑問(1490) 稻垣豆人著『三河引馬神社の奇祭』の本當の著作者は誰か(1502) 引馬天王社の「出し豆腐」(1515) 稻垣豆人が「出し豆腐」以上に興味を示した「七福神踊」(1540) 『牛久保私談』『東三河に於ける御神事笹踊』等の地元近時代資料の檢討(1621)
    大正一〇年の「若葉祭」と祭禮組織の變容(1639)
     『下中祭礼青年記録集』が記す「祭礼紛擾の件」(1639) 「祭礼紛擾の件」が緑紅に輿えた影響(1749)
     「うなごうじ祭」という通稱についての假説(1757)
     梅村則義著『奇祭 牛久保のうなごうじまつり』の「蟲封じ説」の檢證(1761) 卯月八日の「紙下げ蟲」と『救民妙藥』の「小兒舌胎」(1770) 『牛窪密談記』等に見る「若葉祭」の由來(1786) 繩文に由來する灰塚野の祭りが「うなごうじ」の語源(1797) 「うなひ髪」由來は疑問(1818)
  (補遺二)豊川流域の特殊神事「笹踊」の考察 1836
    豊川流域に分布する「笹踊」の概要 1836
     「笹踊」に関する先行研究の概略(1836)
       「笹踊歌」をテーマとする研究の限界(1840) 間宮照子著『三河の笹踊り』の功績(1937)
     豊川流域の「笹踊」の分布と天王社(1958)
      間宮照子著『三河の笹踊り』収録以外の社で「笹踊」を行っていた可能性(1958) 天王信仰と「笹踊」發祥の直接の關係は疑問(1976)
     「笹踊」の所作及び囃子方他(2005)
      「笹踊」の特徴及び「笹踊」と呼べる藝能の範疇(2005) 豊川流域の「笹踊」の類型(2018) 囃子方の役割等及び過去においての踊り手の選考(2038)
      「笹踊」の起源に關する諸説の檢討(2054)
    豊川流域の各社に奉納される「笹踊」の個別檢討 2094
     吉田神社(2094) 牛久保八幡社(2141) 三谷八劔神社(2161) 新城富永神社(2172) 豊川進雄神社(2180) 御馬引馬神社(2206) 菟足神社(2202) 当古進雄神社(2252) 大木進雄神社(2287) 上千両神社(2296) 富岡天王社(2301) 式内石座神社(2305) 上長山(白鳥・素盞嗚・若宮)(2316) 豊津神社(2330) 伊奈若宮八幡社(2337) 老津神社(2352) 大村八所神社(2360) 石原石座神社(2369) 各笹踊の具體的起源と傳播(2387)
    各社の「笹踊歌」の歌詞(補遺二参考資料) 2410
     伊奈若宮八幡社(2411) 石座神社(岡崎市石原)(2411) 石座神社(新城市大宮)(2412) 牛久保八幡社(2413) 菟足神社(2415) 老津神社(2416) 大木進雄神社(2417) 大村八所神社(2419) 御馬引馬神社(2420) 上千両神社(2421) 上長山白鳥神社(2423) 上長山素盞嗚神社(2423) 上長山若宮八幡社(2424) 当古進雄神社(2425) 豊川進雄神社(2425) 豊津神社(2427) 富岡天王社(2428) 新城富永神社(2429) 三谷八劔神社(2430) 吉田神社(2432)
  (補遺三)「隱れ太鼓」考 2436
     「隱れ太鼓」が奉納される祭禮(2436) 「隱れ太鼓」とは(2441) 「三つ車」の詳細と「若葉祭」の大山車の役割等(2486)
    『帝都物語外伝 機関童子』に見る「若葉祭」の「隱れ太鼓」(2517)
     機関童子と「駱駝の葬禮」(2537) 歌舞伎の「人形振り」と「若葉祭」の「隱れ太鼓」(2544)
     「若葉祭」の「隱れ太鼓」と尾張の山車からくり(2557)
     東三河の山車からくりと三谷祭の山車の概略(2577) 東照宮祭に始まる尾張山車からくり(2574) 「若葉祭」の「隱れ太鼓」は、山車からくりの「人形振り」か(2582)
    豊川下流域の大山車と尾張型山車(2600)
     山車と屋臺はどう違う(2600) 尾張型山車の分類と傳播(2688) 昼間から提燈を飾る東三河の囃子車と遠州の屋臺(2733) 尾張の「大山」及び「車樂」と豊川下流域の大山車(2776)
    豊川下流域の大山車の起源とその亞型 (2770)
      「若葉祭」大山車の「再興」が意味するもの(2770) 小坂井の大山車は西若組の舊車(2824) 「豊川庄屋文書」に載る山車は大山車ではない(2841) 吉田祇園祭の車樂と「隱れ太鼓」(2854) 三谷祭の山車の原型は「若葉祭」にあった(2914)
    化政期の寄席藝能が「隱れ太鼓」に輿えた影響(2986)
     豊川流域の「笹踊」と豊川下流域の大山車の祭禮における位置附け(2986) 「若葉祭」の「隱れ太鼓」が「人形振り」になったのは大山車再興の際か(3033) コレラの流行と張子の虎、首振り人形の起源も文政期(3094) 「隱れ太鼓」の起源の檢討(3097)
 (拾遺二) 牛久保と山本勘助 3112
   勘助は實在したか(3112) 『牛久保古城圖』の描く山本勘助養家・大林勘左ヱ門屋敷(3118) 遺髮塚は養父・大林勘左衞門の屋敷に建てられた(3126)
 (拾遺三) 『牛久保古城圖』考 3140
   聖圓寺はいつ廢寺になったか(3141) 善光庵の建立時期と移轉再建(3154) 光輝庵が牛久保に移轉したのはいつか(3160) 養樹寺の創建はいつか(3165) 大聖寺の移轉と牛久保城築城の關わり(3168) 淨福寺の移轉と西三河の一向一揆(3173) 長谷寺の再建と移轉時期(3176) 上善寺と載る矛盾(3189) 東勝寺を載せる矛盾(3196) 了圓寺が古城圖に見えない理由(3243) 榊原澁右衞門の出奔と法信寺の建立(3216) 庚申寺の建立、及び『牛久保古城圖』の作成經緯(3225)
 (拾遺四) 善光庵の創建と再建 3232
   善光庵の創建と善光寺如來 3232
    古記に見える善光寺如來の由來(3233) 善光寺如來が上善寺に安置された經緯(3240) 善光寺池と善光寺川(3243)
   善光庵の再建者・潮音道海と「大成經彈壓事件」 3245
    『大成經』とは(3247) 潮音道海と『大成經』(3251) 長野采女と京極内藏之助(3268) 「伊雜宮事件」(3274) 忌部澹齋と『大成經』(3285) 長野采女と廣田丹齋(忌部澹齋)(3295) 高野本と山鹿素行(3299) 高野本と鷦鷯本の關係(3319) その後の潮音道海(3324)
 (拾遺五) 檢證 東三河の徐福伝説 3330
    山本紀綱著『日本に生きる徐福の伝承』が独り歩きした小坂井の徐福伝説(3330)
     徐福伝説とは――傳説の定義を中心に(3341) 徐福と始皇帝――徐福の姓・始皇帝の姓(3357) 徐福の子孫が秦氏を名乘るのか――徐福伝説成立の下地(3360) 秦氏と徐福――弓月君と百濟の國姓(3374)
    菟足神社の徐福伝説説明板を檢證する(3382)
     日色野と秦氏――淵源は銅鐸埋納地を秦氏關聯とする大口喜六か(3382) 『牛窪記』等に載る徐氏古座侍郎――長山熊野權現神主・神保氏の本姓は惟宗(3421) 菟足神社を創設したという秦石勝について――姓氏家系の大家・太田亮氏の著作から(3461) 生贄神事は中国的か――奥三河の鹿射神事及び諏訪の御頭祭と菟足神社の生贄神事(3475)
    山本紀綱に小坂井の徐福伝説を紹介した近藤信彦と渥美郡の幡多鄕(3520)
     橋本山龍運寺と船町文庫――大口喜六、近藤信彦は、幡太鄕比定地の住人(3528) 羽田八幡宮と幡太鄕――近藤信彦と羽田野敬雄(3538) 蓬萊島と築嶋弁天社――山田宗徧により秦御厨に造園された蓬萊島(3554) 御衣祭と上佐脇の八社八苗字――『大神宮諸雜事記』と日下部姓波多野氏(3560)
  (補遺)非農耕民はなぜ秦氏の裔を稱するのか 3650
    非農耕民と秦氏――東三河を中心に(3652)
     彈左衞門家と渥美郡出身の車善七――側近を三河出身者で固めた家康(3664) 彈左衞門と伊奈本多家――臨川山本龍寺の開基を巡って(3670) 牧野氏と鶴姫傳説――信長の世に廢寺となった豐川村東光寺(3679) 車善七の敗訴と大岡忠相――豐川村矢作と彈左衞門(3716) 牛頭天王の本地と播磨、そして秦氏――祇園感神院及び『野馬臺詩』が記す日本の國姓(3732)
    ひょうすべと秦氏――農本主義と非定住者(3875)
     ひょうすべと椀貸傳説――三河大伴を例にして(3883) ひょうすべと三島神――三島神が降臨した攝津三島江と上宮天滿宮(3893) 三島神と鳶澤甚内――火明命を中心とした海人の世界(3941)
  附録一 相撲雑話 4016
    序 本書第一話における野見宿禰論 4016
    第一章 節會時代の相撲 4071
    第二章 神事から見た相撲 4084
    第三章 吉田追風家と弓術吉田流 4114
    終章 私と相撲、そして弓 4139
  附録二 吉田城沿革と、三州吉田の怪猫騷動 4148
    はじめに 4148
    吉田城沿革 4157
    三州吉田の怪猫騷動 4176
    結びにかえて 4190
  附録三 県道三一号線物語――古代から現代まで 4192
    鎌倉街道と県道三一号東三河環状線 4192
    東三河平野部の古代の地名と交通路 4214
    律令時代における東三河平野部の官道と鎌倉街道 4242
あとがき 4276
主要参考文献 4398
あとがき 4412


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Posted by 柴田晴廣 at 16:08│Comments(0)穂国幻史考
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