2022年07月22日
退院
6月3日に「報告」のタイトルで、青山総合病院副院長の豊田澄男がやるべきことをやらず、がんが再度再発し、絶望的な状態に陥った旨を記した。
https://tokosabu.dosugoi.net/e1233113.html
あまりのことに青山総合病院から豊川市民病院に急いで転院し、最初に豊川市民病院で大腸がんと診断してくれた消化器内科部長の宮木知克医師に診てもらった。
腸閉塞の措置として青山総合病院の豊田は、大腸にステントを留置したが、今回そのステント留置もステントの長さが適切ではなく留置したこと自体も完全な失敗であったことが、滋賀県草津市の淡海医療センターで手術を受けて判明した。
豊田は現在、青山総合病院の消化器内科の担当になってはいるが、元は外科だった。ステント留置にすら失敗した事実を見れば、外科の医師だった頃の腕も想像がつく。
さて、淡海医療センターで手術を受けた経緯であるが、「報告」で書いた通り、6月の初めの時点で、治療は尽き、余命はと訊ねたところ、三ヶ月と豊川市民病院の宮木医師は教えてくれた。
宮木医師はそうはいったものの、「柴田さんは元気だから」と、いろいろと親身になって考えてくれた。
再発部分を取れば、治る可能性はあるのだが、再発した腫瘍が、小腸及び尿管に絡んで癒着し、手術で切除できる医療機関がなかったというのが、当時の私のがんの状況であった。
だが宮木医師は、もしかしたら、淡海医療センターなら手術が出来るかもしれないから、一か八か行ってみないかと紹介状を書いてくれ、それを持って6月の10日に滋賀県草津市まで出向いて、淡海医療センターの副院長の水本明良医師から説明を聞き、いったん帰り、豊川市民病院の宮木医師の意見を聞いて、翌週の17日に淡海医療センターを再び受診し、そのまま入院した。
手術は可能だが、腫瘍が尿管に巻き付いておるため、腎機能が不能になっているかもしれないと血液検査をしたが、幸い腎機能は正常であった。
またイリウス(腸閉塞)気味だから、それを解消してから手術をするとのことで、手術の日程が決まったのが、6月の30日。7月5日に手術を受け、昨日退院した。
困難な手術であったが、抱合部にあった腫瘍は見事に切除された。ただ、骨盤に腫瘍がこびりついており、こそげ落としたが、若干は残っていると。放射線で除去できそうだ。
ただ回復は早く、翌日には自力で立ち上がれ、70メートルほど歩けた。手術直後には、身体に9本もあった管が一日一本以上の割合で取れた。
淡海医療センターの病院食は病院食とは思えないほど美味しく、すべて完食。それもあってか昨日退院することが出来た。
「報告」のコメントで札幌大教授の瀧元さんが、書いているように、故稲垣正浩博士が主宰していた21世紀スポーツ文化研究所の例会に参加する予定であったが、上記理由で参加できなかった。
この例会についてはまたの機会に書かせていただく。
https://tokosabu.dosugoi.net/e1233113.html
あまりのことに青山総合病院から豊川市民病院に急いで転院し、最初に豊川市民病院で大腸がんと診断してくれた消化器内科部長の宮木知克医師に診てもらった。
腸閉塞の措置として青山総合病院の豊田は、大腸にステントを留置したが、今回そのステント留置もステントの長さが適切ではなく留置したこと自体も完全な失敗であったことが、滋賀県草津市の淡海医療センターで手術を受けて判明した。
豊田は現在、青山総合病院の消化器内科の担当になってはいるが、元は外科だった。ステント留置にすら失敗した事実を見れば、外科の医師だった頃の腕も想像がつく。
さて、淡海医療センターで手術を受けた経緯であるが、「報告」で書いた通り、6月の初めの時点で、治療は尽き、余命はと訊ねたところ、三ヶ月と豊川市民病院の宮木医師は教えてくれた。
宮木医師はそうはいったものの、「柴田さんは元気だから」と、いろいろと親身になって考えてくれた。
再発部分を取れば、治る可能性はあるのだが、再発した腫瘍が、小腸及び尿管に絡んで癒着し、手術で切除できる医療機関がなかったというのが、当時の私のがんの状況であった。
だが宮木医師は、もしかしたら、淡海医療センターなら手術が出来るかもしれないから、一か八か行ってみないかと紹介状を書いてくれ、それを持って6月の10日に滋賀県草津市まで出向いて、淡海医療センターの副院長の水本明良医師から説明を聞き、いったん帰り、豊川市民病院の宮木医師の意見を聞いて、翌週の17日に淡海医療センターを再び受診し、そのまま入院した。
手術は可能だが、腫瘍が尿管に巻き付いておるため、腎機能が不能になっているかもしれないと血液検査をしたが、幸い腎機能は正常であった。
またイリウス(腸閉塞)気味だから、それを解消してから手術をするとのことで、手術の日程が決まったのが、6月の30日。7月5日に手術を受け、昨日退院した。
困難な手術であったが、抱合部にあった腫瘍は見事に切除された。ただ、骨盤に腫瘍がこびりついており、こそげ落としたが、若干は残っていると。放射線で除去できそうだ。
ただ回復は早く、翌日には自力で立ち上がれ、70メートルほど歩けた。手術直後には、身体に9本もあった管が一日一本以上の割合で取れた。
淡海医療センターの病院食は病院食とは思えないほど美味しく、すべて完食。それもあってか昨日退院することが出来た。
「報告」のコメントで札幌大教授の瀧元さんが、書いているように、故稲垣正浩博士が主宰していた21世紀スポーツ文化研究所の例会に参加する予定であったが、上記理由で参加できなかった。
この例会についてはまたの機会に書かせていただく。