2018年10月07日
前回の続き(『牛窪考(増補改訂版)』2)
『牛窪考(増補版)』を改訂し、『牛窪考(増補改訂版)』にグレードアップさせようとした動機については、前回書いた通りだ。
今回は、もう少し具体的にどういったことを書き足したかを話したいと思う。
『牛窪考(増補版)』の拾遺一及びその補遺は、祭礼についての論考である。
祭礼の見学調査でよく耳にする言葉に「昔からこうだった」がある。
ところが、この「昔からこうだった」は、話者の個人的経験に基づくものがほとんどで、吉本隆明著『共同幻想論』でいえば、「自己幻想」に過ぎない。
民俗調査などでは、こうした多くの「自己幻想」を伝承と称して、それに検討を加えることもなく、単にそれを収集収録することを目的としている場合がほとんどだ。
こんなことでは、民俗芸能等の本質に迫ることは出来るはずもない。
改訂版では、伝承とは何かを明確にするとともに、『共同幻想論』の「自己幻想」、「対幻想」、「共同幻想」という概念を駆使し、祭礼組織の変容と祭礼自体の変容についても言及した。
この祭礼組織の変容については、本来、がん患者の命を救うべき、がん治療の標準ガイドラインが、結果的には、落とさなくてもいい、多くのがん患者の命を奪っていることに鑑み、祭礼を存続させるための組織の変容が結果的には、祭礼組織の崩壊に繋がり、祭礼自体の存続を危うくしているという点を強調して書いた。
ちなみに私に余命半年と宣告した豊川市民病院消化器外科の加藤瑛の言説は、私への病状の説明ではなく、「自己幻想」を連ねていたに過ぎない(大笑)。消化器外科の部長の寺西太の余命30月という言説は、「自己幻想」ではないものの、疑似科学に基づいたがん治療に携わる医師の多くが抱く「共同幻想」という、幻想の領域の話なのである(笑)。
この加藤瑛のように、学術的な根拠(もっともがん治療に関しては、その基礎となる標準ガイドラインなるものが当たらぬも八卦、当たらぬも八卦の疑似科学(笑)であり、ガイドラインを金科玉条のごとく後生大事にしていては学術的な説明など出来るはずもないが)もない言説が蔓延るのか?
ひとえにそれは、広い視野を持った学際的な見地の欠如が大きく影響しているのだろう。特に医学の世界は、必要以上に分野が細分化されており、加えて、門外漢の外科医が自己の医は算術の思惑から、内科的領域である化学療法に手を出したことにより、疑似科学が大手を振って、まかり通ることになる。
これは、がん治療の現場に限られたことではなく、上記のように民俗の世界でも同様の現象がある。
こうした学際的な視野の欠如の弊害を種々の例を引いて指摘した。
拾遺一の補遺二は、「笹踊」についての論考であるが、今春、塚田哲史から『東三河地方の笹踊りと笹踊り歌』なるタイトルの本が送られて来た。
この本の「はじめに」には、「極めて主観的、恣意的な観点を通して見ようと志した笹踊りの現状報告」と塚田哲史の見解が書いてある。
簡単にいえば、この本は論考といえるものではなく、これまた塚田哲史の「自己幻想」が綴られているに過ぎないものなのだ。
そうした自己幻想が綴られているに過ぎないものなのだが、新聞記者の質の低下からか、中日新聞等で、この本が紹介されていた。
『牛窪考(増補版)』にも、塚田哲史の言説の出鱈目さは指摘してあるが、さらに、『東三河地方の笹踊りと笹踊り歌』に書かれている出鱈目を追加した。
加えておけば、塚田哲史の言説は典型的な疑似科学といえるものだ。
次に拾遺一の補遺の中の補遺三で採り上げた「隠れ太鼓」。この「隠れ太鼓」という山車芸能の考察に当たっては、京都祇園祭の吉符入りに、長刀鉾の会所で行われる「太平の舞」、国の重要無形民俗文化財に指定されている遠州森の山名天王社の舞楽の中の八撥、さらには、中世の車樂上で行われていた鞨鼓稚児舞との関係から、吉田藩士今切關所番の中山美石が幕府祐筆・屋代弘賢に回答した『諸國風俗問状答』の城内天王の祇園祭の車樂についての記載を踏まえ、その成立過程を検証した。それとともに、「笹踊」の覆面についてもこの成立過程の流れの中での影響にも触れた。
また世界文化遺産に指定された「山・鉾・屋台行事」の構成される行司の選定基準の不審から、改めて、山・鉾・屋台の定義から、その成立から様々な形態への変化について検証するとともに、現行の山車や屋台の研究書の疑問を挙げた。
文化庁文化財部伝統文化課が作成した「山・鉾・屋台行事」についてのユネスコ(の無形文化遺産登録の提案も、当たるも八卦、当たらぬも八卦の現行のがん治療の標準ガイドラインと同根といえる。
そして拾遺五の東三河の徐福伝説についての論考では、伝説、伝承の定義と、伝説、伝承と史実についての違いから説いたのは、増補版以来のものであるが、徐福伝承という疑似科学を史実と誤解する者がなぜに多いのかを、広い視野から例を挙げ、疑似科学にはまった理由を解析した。
自分の頭で少し考えれば、こんな疑似科学に陥るはずもないことだが、がん治療に携わる医師の多くが、現行のがん治療の標準ガイドラインという疑似科学に引っかかっていることからすれば、当然のことかもしれない。
がん治療に携わる医師の多くが簡単に疑似科学を信じてしまっていることを知った今回の経験を活かして徐福伝承という幻想を史実と誤解するに至る経緯を説明できたように思う。
値段ばかり高額で、大した効果もないオプジーボを画期的な治療薬と報道している報道機関も、同様だ。こんな高額で対して効きもしない治療薬がどういうものか自分の頭で考えたことがあるのか甚だ疑問だ。疑似科学にはまる多くのがん治療に携わる医師と、オプジーボを画期的な治療薬と報道する報道関係者も根は同じだ。
拾遺五の補遺では、明治政府の神仏分離という文化の破壊により、ぴんと来なくなっている神仏混淆を再現し、その神宮寺の本尊等から垂迹神を推定し、本来の祭神当を明らかにするとともに、それに基づく民衆の信仰や為政者の思惑をあぶり出し、農本主義から外れた民衆の実態を明らかにする点などを書き足した。
以上、大雑把ではあるが、改訂版に書き足した内容の説明である。
今回は、もう少し具体的にどういったことを書き足したかを話したいと思う。
『牛窪考(増補版)』の拾遺一及びその補遺は、祭礼についての論考である。
祭礼の見学調査でよく耳にする言葉に「昔からこうだった」がある。
ところが、この「昔からこうだった」は、話者の個人的経験に基づくものがほとんどで、吉本隆明著『共同幻想論』でいえば、「自己幻想」に過ぎない。
民俗調査などでは、こうした多くの「自己幻想」を伝承と称して、それに検討を加えることもなく、単にそれを収集収録することを目的としている場合がほとんどだ。
こんなことでは、民俗芸能等の本質に迫ることは出来るはずもない。
改訂版では、伝承とは何かを明確にするとともに、『共同幻想論』の「自己幻想」、「対幻想」、「共同幻想」という概念を駆使し、祭礼組織の変容と祭礼自体の変容についても言及した。
この祭礼組織の変容については、本来、がん患者の命を救うべき、がん治療の標準ガイドラインが、結果的には、落とさなくてもいい、多くのがん患者の命を奪っていることに鑑み、祭礼を存続させるための組織の変容が結果的には、祭礼組織の崩壊に繋がり、祭礼自体の存続を危うくしているという点を強調して書いた。
ちなみに私に余命半年と宣告した豊川市民病院消化器外科の加藤瑛の言説は、私への病状の説明ではなく、「自己幻想」を連ねていたに過ぎない(大笑)。消化器外科の部長の寺西太の余命30月という言説は、「自己幻想」ではないものの、疑似科学に基づいたがん治療に携わる医師の多くが抱く「共同幻想」という、幻想の領域の話なのである(笑)。
この加藤瑛のように、学術的な根拠(もっともがん治療に関しては、その基礎となる標準ガイドラインなるものが当たらぬも八卦、当たらぬも八卦の疑似科学(笑)であり、ガイドラインを金科玉条のごとく後生大事にしていては学術的な説明など出来るはずもないが)もない言説が蔓延るのか?
ひとえにそれは、広い視野を持った学際的な見地の欠如が大きく影響しているのだろう。特に医学の世界は、必要以上に分野が細分化されており、加えて、門外漢の外科医が自己の医は算術の思惑から、内科的領域である化学療法に手を出したことにより、疑似科学が大手を振って、まかり通ることになる。
これは、がん治療の現場に限られたことではなく、上記のように民俗の世界でも同様の現象がある。
こうした学際的な視野の欠如の弊害を種々の例を引いて指摘した。
拾遺一の補遺二は、「笹踊」についての論考であるが、今春、塚田哲史から『東三河地方の笹踊りと笹踊り歌』なるタイトルの本が送られて来た。
この本の「はじめに」には、「極めて主観的、恣意的な観点を通して見ようと志した笹踊りの現状報告」と塚田哲史の見解が書いてある。
簡単にいえば、この本は論考といえるものではなく、これまた塚田哲史の「自己幻想」が綴られているに過ぎないものなのだ。
そうした自己幻想が綴られているに過ぎないものなのだが、新聞記者の質の低下からか、中日新聞等で、この本が紹介されていた。
『牛窪考(増補版)』にも、塚田哲史の言説の出鱈目さは指摘してあるが、さらに、『東三河地方の笹踊りと笹踊り歌』に書かれている出鱈目を追加した。
加えておけば、塚田哲史の言説は典型的な疑似科学といえるものだ。
次に拾遺一の補遺の中の補遺三で採り上げた「隠れ太鼓」。この「隠れ太鼓」という山車芸能の考察に当たっては、京都祇園祭の吉符入りに、長刀鉾の会所で行われる「太平の舞」、国の重要無形民俗文化財に指定されている遠州森の山名天王社の舞楽の中の八撥、さらには、中世の車樂上で行われていた鞨鼓稚児舞との関係から、吉田藩士今切關所番の中山美石が幕府祐筆・屋代弘賢に回答した『諸國風俗問状答』の城内天王の祇園祭の車樂についての記載を踏まえ、その成立過程を検証した。それとともに、「笹踊」の覆面についてもこの成立過程の流れの中での影響にも触れた。
また世界文化遺産に指定された「山・鉾・屋台行事」の構成される行司の選定基準の不審から、改めて、山・鉾・屋台の定義から、その成立から様々な形態への変化について検証するとともに、現行の山車や屋台の研究書の疑問を挙げた。
文化庁文化財部伝統文化課が作成した「山・鉾・屋台行事」についてのユネスコ(の無形文化遺産登録の提案も、当たるも八卦、当たらぬも八卦の現行のがん治療の標準ガイドラインと同根といえる。
そして拾遺五の東三河の徐福伝説についての論考では、伝説、伝承の定義と、伝説、伝承と史実についての違いから説いたのは、増補版以来のものであるが、徐福伝承という疑似科学を史実と誤解する者がなぜに多いのかを、広い視野から例を挙げ、疑似科学にはまった理由を解析した。
自分の頭で少し考えれば、こんな疑似科学に陥るはずもないことだが、がん治療に携わる医師の多くが、現行のがん治療の標準ガイドラインという疑似科学に引っかかっていることからすれば、当然のことかもしれない。
がん治療に携わる医師の多くが簡単に疑似科学を信じてしまっていることを知った今回の経験を活かして徐福伝承という幻想を史実と誤解するに至る経緯を説明できたように思う。
値段ばかり高額で、大した効果もないオプジーボを画期的な治療薬と報道している報道機関も、同様だ。こんな高額で対して効きもしない治療薬がどういうものか自分の頭で考えたことがあるのか甚だ疑問だ。疑似科学にはまる多くのがん治療に携わる医師と、オプジーボを画期的な治療薬と報道する報道関係者も根は同じだ。
拾遺五の補遺では、明治政府の神仏分離という文化の破壊により、ぴんと来なくなっている神仏混淆を再現し、その神宮寺の本尊等から垂迹神を推定し、本来の祭神当を明らかにするとともに、それに基づく民衆の信仰や為政者の思惑をあぶり出し、農本主義から外れた民衆の実態を明らかにする点などを書き足した。
以上、大雑把ではあるが、改訂版に書き足した内容の説明である。
Posted by 柴田晴廣 at 12:29│Comments(0)
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