2020年02月15日

『今昔物語』卷一九第二話「參河守大江定基出家セル話」1

 さて、先に記したように、11日には、豊橋の鬼祭に出掛けた。
 出掛けた理由は、これも先に書いたように、『牛窪考(増補改訂版)』拾遺五「検証 東三河の徐福伝説」の二つ目の見出し「菟足神社の徐福伝説説明板を検証する」の最後の小見出し「生贄神事は中国的か――奥三河の鹿射神事及び諏訪の御頭祭と菟足神社の生贄神事」で、東三河の獅子頭のお渡りについて言及してあり、鬼祭のお頭様(獅子頭)のお渡りで確認したい事項があったからだ。
 、『牛窪考(増補改訂版)』は、タイトルの通り、『牛窪考(増補版)』の改訂版であり、『牛窪考(増補版)』は、豊川市中央図書館、豊橋市中央図書館、愛知大学総合郷土研究所に上製本が収蔵されている。
 繰り返しになるが、、『牛窪考(増補改訂版)』拾遺五「検証 東三河の徐福伝説」の二つ目の見出し「菟足神社の徐福伝説説明板を検証する」の最後の小見出し「生贄神事は中国的か――奥三河の鹿射神事及び諏訪の御頭祭と菟足神社の生贄神事」では、東三河の獅子頭のお渡りについて言及してある。
 ここに生贄神事とは、『今昔物語』卷一九第二話「參河守大江定基出家セル話」あるいは『宇治拾遺物語』卷四の第七話「三河入道の遁世世に聞ゆる事」に載る風祭の猪の供犠をいう。
 この風祭の猪の供犠が中国的かを検討した「生贄神事は中国的か――奥三河の鹿射神事及び諏訪の御頭祭と菟足神社の生贄神事」は、『牛窪考(増補改訂版)』拾遺五「検証 東三河の徐福伝説」の二つ目の見出し「菟足神社の徐福伝説説明板を検証する」の最後の小見出しであることからもわかるように、菟足神社に設置された「菟足神社と徐福伝説」なる説明板に菟足神社の徐福伝説の一つとして挙げられたものだ。
 この菟足神社に設置された「菟足神社と徐福伝説」なる説明板が設置された経緯について説明して置こう。
 ことの発端は、山本紀綱が自著の『徐福 東来伝説考』を義姉(妻の姉)の夫と愛知縣立第四中學校(愛知県立時習館高等学校の前身)の同級生であった船町の橋本山龍運寺住職の近藤信彦(1895~1979)に贈ったことであった。
 本を贈られた近藤は、「秦の徐福が五百人の少年らとともに三河湾の六本木というところに来航着船し、その子孫はそこに定住して秦氏を称し繁栄した。現にその地方には、二戸の秦氏が残っている。そこから約二里離れて式内の古社菟足神社(小坂井町)があり、またその一里ほど離れたところに菟足神社の元宮と称する小社がある。菟足神社はその創始者が秦氏と伝えられている。その祭神(祖神)は、中国の神とみえ、古来その祭礼には豚猪等の犠牲(いけにえ)を供え、その社の近くに菱木(ひしき)野(の)というところがある。思うに、菱木の垣でかこんで犠牲のものを祭礼のときまで飼育したものとみえる。三河の国司大江定基がそのいけにえの残忍なありさまを見て厭世の心をおこし、出家して天台宗の僧となり、後唐土に留学して寂照法師となったことは、古来有名な史伝である」(山本紀綱著『日本に生きる徐福の伝承』一一九頁)ことを記した霊場を山本の義姉に送った。
 そして近藤の礼状を基に、山本は近藤の言説を確認するために東三河に訪れている。
 『日本に生きる徐福の伝承』(1979年発行)は、タイトルの通り、東三河の徐福伝承のみを扱ったものではない。この『日本に生きる徐福の伝承』で、山本紀綱は、「この三河地方についても、はじめに紹介したように、豊橋竜運寺の近藤信彦老師などは、徐福一行が三河湾の六本木というところに渡来し、そこに定住したという説があることを示されている。しかし今までのところ、三河湾をかこむ東三河地方(現在の小坂井町・御津町などを含む地方)では、徐福渡来の伝説に直接つながる伝承や遺跡などと称するものは見当たらない。また菟足神社宮司川出清彦氏のお知らせにも、「当地方の古老、隣接の平井・日色野・前芝地方にも心当たりの方々に聞き合わせましたが、徐福の伝説は目下のところないようです。尚心がけて居ります。云々、」ということであった」(同書一四五・一四六頁)と、東三河には、「徐福渡来の伝説に直接つながる伝承や遺跡などと称するものは見当たらな」かったとの結論に達している。
 ところが、この山本の『日本に生きる徐福の伝承』が独り歩きし、その後の徐福ブームに乗って刊行された書籍には、徐福渡来伝承地として菟足神社を含む東三河が挙げられるようになる。
 そうした書籍の一つ内藤大典 坂井孝之 久冨(くどみ)正美の編んだ『弥生の使者徐福――稲作渡来と有明のみち――』(一九八九年「弥生の使者徐福刊行会」刊)の読者が菟足神社を訪れ、当時の小坂井町教育委員会に問い合わせたことから、菟足神社に「菟足神社と徐福伝説」なる説明板が設置されたのである。



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Posted by 柴田晴廣 at 11:07│Comments(0)牛窪考(増補版)
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