2020年02月17日

新羅堂崩れ

 「菟足神社と徐福伝説」なる説明板の設置経緯は、繰り返しになるが、龍雲寺住職・近藤信彦が、『日本に生きる徐福の伝承』の著者・山本紀綱の義姉に宛てた礼状を発端とする。
 その検証には、それほどの紙面を要しないものの、近藤がなぜ礼状に記した内容を思い付くに至ったかの検証には紙面を要した。
 渡来人との関係といえば、『日本紀略』(11世紀後半から12世紀に成立 編者不詳 全34卷)前篇14の弘仁11(820)年2月丙戌條に、「配 遠江駿河兩國 新羅人七百人反叛 數 人民  燒 屋舎  二國發 兵撃 之 不 能 勝 盗 伊豆國發 乘 船入 海 發 相模武藏等七國軍 勠 力追討 威伏 其崒崒」(レ点及び返り点は省いた)との記述がある。
 「新羅堂崩れ」といわれる事件だ。
  『日本紀略』には、新羅人が反乱を起こした具体的な場所までは記載していないが、「新羅堂」跡付近には朝鮮式山城が見つかっており、また富幕山南麓では新羅焼きの壺などが発掘されていることから、新羅人の集落があったと推測され、新羅人の反乱は富幕山南麓で起こったとする伝承が「新羅堂崩れ」となる。
 湖北五山の一つ瑠璃山大福寺(浜松市北区三ヶ日町長福)は、この新羅堂跡にあったといわれる幡教寺を前身とする。

 この「新羅堂崩れ」については、『牛窪考(増補版)』では言及していないが、「増補改訂版」では、拾遺五「検証 東三河の徐福伝説」の三つ目の見出し「山本紀綱に小坂井の徐福伝説を紹介した近藤信彦と渥美郡の幡多鄕」の最後の小見出し「御衣祭と上佐脇の八社八苗字――『大神宮諸雜事記』と日下部姓波多野氏」で紙面を割いた。
 湖北五山の一つ大福寺、大福寺からさほど離れていない湖北五山の一つ摩訶耶寺(三ヶ日町摩訶耶)、同じく奥山の方廣寺は、富幕山の南に位置する。さらには三輪神ゆかりの濵名總社も鎮座する。浜松市に編入される以前の旧引佐郡は面白いところだ。
 湖北五山の龍潭寺、寶林寺、さらには、「家を護は岩水寺」といわれる浜北人骨の出土地に隣接する龍宮山岩水寺も興味深い伝承を有している。遠州三山も面白い。これらの寺社の本尊と垂迹神の関係から、伝承を考察すると、いろいろと見えて来る。
 『牛窪考(増補改訂版)』では、上記の遠州の寺社について、拾遺五補遺「非農耕民はなぜ秦氏の裔を称するのか」の一つ目の見出し「非農耕民と秦氏――東三河を中心に」の最後の小見出し「牛頭天王の本地と播磨、そして秦氏――祇園感神院及『野馬臺詩』が記す日本の國姓」や二つ目の見出し「ひょうすべと秦氏――農本主義と非定住者」の二つ目の小見出し「ひょうすべと三島神――三島神が降臨した攝津三島江と上宮天満宮」で言及した。
 また遠州からは離れるが、富幕山を挟んだ愛知県側の冨賀寺と車神社についても神仏混淆の観点から、拾遺五補遺の一つ目の見出し「非農耕民と秦氏――東三河を中心に」の四つ目の小見出し「車善七の敗訴と大岡忠相――豐川村矢作と彈左衞門」で言及した。
 「新羅堂崩れ」から離れてしまったが、遠州には敬滿神社という秦氏関連の神社もある。
 東三河より、徐福伝説が発生する下地はあったのだ。つまり徐福伝説など、偶然の産物に過ぎないのだ。
 先にも書いたが、日本徐福学会を始め、徐福が日本列島に来たとする証拠は持ち合わせていない。
 そして『義楚六帖』や『日本刀歌』がどういった意図で書かれたかを考えれば、徐福が日本列島に来たなどという荒唐無稽な言説をまともに採り上げることはないのだ。
 たとえば、グアム島。ここでの通貨はアメリカドルだ。そしてグアムはアメリカの準州。
 皇朝十二錢といったものも発行されたが、貨幣の本質的要件である流通したものではなかった。日本が通貨発行権を持つのは、寛永通寶からだ。ちなみに寛永通寶の鋳造地の一つが、現在の豊橋市広小路三丁目辺り、かつての新錢町だ。
 信長が旗印にした永樂通寶は、明の永樂帝が発行したものであるし、寛永通寶が発行されるまでのこの国の通貨は、中国錢だったのだ。
 その中国人が、書いたのが、『義楚六帖』や『日本刀歌』だ。
 しかも『義楚六帖』の著者は、釋義楚と名乗るように、僧侶だ。『義楚六帖』が発行する少し前、このクニでは、空海が大師號を授かる。東寺長者の觀賢が醍醐に奏上し、醍醐が大師號を授けたのだが、僧侶の義楚が空海に大師號を授けた理由を知れば、佛法に照らして、どう思ったか想像してみればいい。
 その義楚が日本の僧・弘順大師から聞いた話が、徐福伝来説の根拠となるのだ。
 中国人の研究者ならともかく、こんなものを徐福伝来の根拠とする日本の研究者?は御目出度いにもほどがある。

 つらつらと書き連ねて来たが、拙著の信憑性について疑義を持たれる方も多いと思う。
 先に記したように、『牛窪考(増補版)』は、豊川市中央図書館、豊橋市中央図書館、愛知大学総合郷土研究所が上製本を所蔵している。
 実をいえば、私は上製本を持っていない。
 オンデマンドとしたのも、2000P近くの紙面から印刷製本に膨大な費用が掛かるからだ。
 もちろん、上記の図書館に上製本を寄贈したわけではない。
 PDFに直したデータを送って上製本もオンデマンドで出版しており、牛久保の菊屋書店、豊橋豊川堂で購入できる旨を記して上記三つの図書館に送ったのだ。
 値段も値段だから、当然査読して購入するかしないかの決定を下しただろう。
 もちろん上代七万円の値引きなどしていない。営業を掛けたのは、上記図書館だけだ。つまり上記図書館の査読に耐えた内容と体裁だったということだ。
 増補改訂版は、ここで書いたように遠州の話も紙面を割いてある。上記三つの図書館だけでなく、もう少しフレームを広げて営業を掛けてみるとするか。



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Posted by 柴田晴廣 at 12:07│Comments(0)牛窪考(増補版)
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