2020年02月18日

無間の鐘(遠州七不思議)と「萬勝號」

 『牛窪考(増補改訂版)』補遺一「「うなごうじ祭」名称考」の一つ目の見出し「平田派国学者・羽田野敬雄の牛久保観」の四つ目の小見出しは「上若の唄う「梅ヶ枝節」も異国起源」である。
 ここに「梅ヶ枝節」とは、明治11(1878)年、劇作者・仮名垣魯文(1829~1894)が俗謡の「かんかんのう」の旋律に、人形淨瑠璃や歌舞伎狂言で知られる『ひらかな盛衰記』(元文4(1739)年、大坂竹本座で人形淨瑠璃として初演(二代目竹田出雲(2692~1756)、三好松洛(1695~1771?)らによる合作の全五段の時代淨瑠璃の四段目「神崎揚屋の段」)、同年丸本物として歌舞伎上演)の傾城梅ヶ枝の件で、梅ヶ枝が、再会した梶原源太景季(1162~1200)のために無間地獄に落ちるのを覚悟して「無間の鐘」に準えた手水鉢を叩いたところ、小判が降る場面からヒントを得た歌詞「梅ヶ枝の手水鉢」(元唄)を戯れで付けたものという。
 「無間の鐘」は、叩けば富を得るも来世では無間地獄に落ちるとされる鐘で、遠州七不思議の一つ。
 「遠州七不思議」によれば「無間の鐘」は、遠州菊川の空道上人が掛川の粟ヶ岳(標高532㍍)にあった曹洞宗の寺院・無間山觀音寺(掛川市東山)に懸けたといわれる(觀音寺は明治の廃仏毀釈により廃寺となり、粟ヶ岳には阿波々神社(掛川市初馬/天平8(736)年創建)のみが残る)。
 上記のように、「梅ヶ枝節」は、俗謡の「かんかんのう」の旋律に、『ひらかな盛衰記』の一場面にヒントを得て歌詞を付けたものだ。
 その「かんかんのう」の元唄は、清樂の代表曲「九連環」。
 この「九連環」を始めとする清樂は、長崎経由で入って来るのであるが、江戸學の大家・三田村鳶魚(1870~1952)は、『三田村鳶魚全集 第20巻』(中央公論社刊)収録の「かんかん踊」(同書224頁)で、「九連環」は、長崎とは別ルートで、寛政12年12月12日、遠州袖志ヶ浦に漂着した「萬勝號」の乗組員によっても伝えられたと記している。
 遠州袖志ヶ浦は、冬のカントリーアイテムには欠かせないコーデロイの国内有数の生産地の磐田市福田(ふくで)の福田漁港沖をいう。
 「萬勝號」が漂着した付近の福田漁港から西六㌔ほどの地には、袖志ヶ浦にちなむ竜洋袖浦公園(磐田市飛平松)がある。元々竜洋袖浦公園には、明野陸軍飛行學校天龍分校所(袖浦飛行場)があった。
 魯文は、「萬勝號」のことなどを知っており、「かんかんのう」の旋律に、「無間の鐘」に纏わる歌詞を付けたのであろう。
 そして 『牛窪考(増補改訂版)』補遺一「「うなごうじ祭」名称考」は、「遠州灘近海にも多くの外国船が航行」へと話が展開して行くのだ。



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Posted by 柴田晴廣 at 06:35│Comments(0)牛窪考(増補版)
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