2020年02月19日

「かんかんのう」と「駱駝の葬禮」

 先に記したように、「梅ヶ枝節」は、「かんかんのう」に『ひらがな盛衰記』の「無間の鐘」に纏わる歌詞を付けたものだ。
 唄われなくなって久しいが、私が若い衆のころの「若葉祭」の上若組の大山車曳きでは、スタンダードな曲だった(正確にいえば「梅ヶ枝節」の内容を含む「かんかんのう」を唄っていた)。
 この大山車上で行われる山車芸能が「隠れ太鼓」であり、『牛窪考(増補改訂版)』の補遺三「「隠れ太鼓」考」は、この山車芸能「隠れ太鼓」を考察したものだ。
 先に豊橋鬼祭のお頭様のお渡りについての考察で、幕府右筆の屋代弘賢(1758~1841)が、その土地の冠婚葬祭等の様子を尋ねるため、各地の知人宛に作成した『風俗問状』に、吉田藩士の中山美石(1775~1843)が答えた『風俗問状答』に触れたが、中山はこの『風俗問状答』で、各享和2(1802)年、生涯一度の旅(京坂旅行)に出た曲亭馬琴(1767〜1848)は、旅行記『羇旅漫録』(卷の上の一八「吉田の花火」)で、「三州吉田の天王まつりは六月十五日 今夜の花火天下第一と稱す」と称賛した吉田の祇園の車樂(大山車)でも、「隠れ太鼓」と思しき芸能が行われていたことが記されている。
 この中山美石の記載以外「隠れ太鼓」について記した資料はないといっていいが、「若葉祭」の「隠れ太鼓」については、荒俣宏が『帝都物語外伝 機関童子』で採り上げている。というより、副題の「機関(からくり)童子」とは、「若葉祭」の「隠れ太鼓」を演ずる稚児のことなのだ。
 『牛窪考(増補改訂版)』補遺三「「隠れ太鼓」考」の最初の見出しのタイトルを「『帝都物語外伝 機関童子』に見る「若葉祭」の「隠れ太鼓」」としたのは、それゆえだ。
 その『帝都物語外伝 機関童子』九章「カラクリの裏面」七章「八幡宮の童子」で、荒俣は、「若葉祭」を見学に来た作中人物・慶間泰子に、

  いま、愛知県の豊川市にいます。(中略)
  ここに八幡宮というお宮があって、機関(からくり)童子(どうじ)というものが出てくる祭りがあるの。山車の上に乗った唐子がアクロバットをみせるのだけれど、ふつうこれはカラクリ人形がすることなのね。でも、ここでは、人間の子が人形の代わりに曲芸をするのよ!だから機関童子というのね。とにかく同封の写真を見て。白塗りの唐子は、人間のくせに人形のまねをするの。(中略)
  実は、山車(だし)を見物し終えて、同封したポジフィルムの現像があがるまでのあいだ、八幡宮近くの食堂にはいって、そこのおじいさんに話を聞いたの。機関童子のことをね。
  おじいさんは八十年も牛久保町に住んでいるから、たいていのことは知っていた。この山車からくりは「うなごうじ祭り」というお祭りの出しものでね、むかしは男の子が選ばれたんだって。山車の上でアクロバットをする子たちは神の子で、単に人形の代わりをするんじゃないっていう話よ。おじいさんによると、神様の動き方は、人形のようにぎくしゃくしてるんだって。(中略)
  そう、ああした人形の動きは、死者の動きなのよ。人間のそれをまねしつつも、決してそのとおりにはまねられない。
  とすれば、機関童子がまねているからくり人形も、死人と関係があるかもしれない。そう思って、このおじいさんにからくり人形の話を聞いたの。そしたら、思いがけず、傀儡の話になったのよ!

と語らせている(角川文庫版97~99頁)。
 フィクションであるから、全てが真実ではない。ただ「機関童子がまねているからくり人形も、死人と関係があるかもしれない」とは、さすが荒俣だと思うのは私だけだろうか。
 「機関童子がまねているからくり人形も、死人と関係があるかもしれない」が伏線となると私には思えるのだが、一五章「大江匡房に訊く」で、

  さらに興味ぶかいのは、芸にひいでた著名な傀儡の名だ。小(こ)三(さん)とか千歳とか日百とか、匡房は奇怪な芸名をもった名人の名をあげていた。どれも数字に縁がある。ここに占いや呪文とのかかわりがありそうだった。
  「小三といえば、落語に柳家小さんという名人がいたね。コサンが、まさか傀儡の芸名に由来しているとは、知らなかったな!」

と、傀儡の話に唐突に落語家の小さんの名が出て来るからだ(角川文庫版169頁)。
 名人小さんといえば、226事件の折、野中四郎(1903~1936)率いる第一師團歩兵第三聨隊第七中隊に所蔵していた五代目(本名 小林盛夫/1915~2002)が、『帝都物語外伝 機関童子』が書きあがった1995年5月に、落語家では初の人間国宝になっている。
 五代目は落語協会会長でもあったが、年配の方は、永谷園のコマーシャルに出ていた小さんといった方がわかりやすいだろう。
 ただ上述のように、五代目は、『帝都物語外伝 機関童子』が書きあがったときに人間国宝になっている。『帝都物語外伝 機関童子』の文中で、名人と呼ぶには多少の違和感を伴う。
 ほかに名人といえば、三代目(本名 豐嶋銀之助/1855~1930)だろう。
 三代目小さんは、上方落語『駱駝の葬禮(そうれん)』を移入した人物として知られる。
 『駱駝の葬禮』は、上方落語の四代目桂文吾(1865~1915)が今日の筋立てに完成させ、三代目小さんは、大正時代に、この文吾から伝授された。
 先に、「機関童子がまねているからくり人形も、死人と関係があるかもしれない」は、伏線だと私は思うと述べた理由もわかるだろう。
 『駱駝の葬禮』といえば、噺が始まるときには、すでに河豚に中って死んでいるラクダ(本名は上方落語では卯之助、江戸では馬)を屑屋の久六が看々踊を踊らす場面だ。
 看々踊は、「かんかんのう」に合わせて踊る。
 私も、補遺一「「うなごうじ祭」名称考」の最初の見出し「平田派国学者・羽田野敬雄の牛久保観」の四つ目の見出し「上若の唄う「梅ヶ枝節」も異国起源」を、補遺三「「隠れ太鼓」考」の最初の見出し「『帝都物語外伝 機関童子』に見る「若葉祭」の「隠れ太鼓」」の最初の小見出し「機関童子と「駱駝の葬禮」」の伏線として使っているのだ。
 『牛窪考』の各項を別々に刊行しないのも、「上若の唄う「梅ヶ枝節」も異国起源」を読まなければ、「機関童子と「駱駝の葬禮」」は理解できないからだ。
 余談になるが、私は若干の吃音があった。過去形で書いたのは、今はないからだ。
 その吃音は治そうと、大学入学で上京した折に、池袋演芸場に足を運んだ。落語などを参考にすれば、吃音が治るのではと考えたからだ。
 お陰で、それほど足を運ばずに、吃音は治った。
 そんなある日、今の噺は面白かったかと尋ねられたことがあった。はっきり言ってよくわからなかったが、それを見透かされたように、この噺は芝居が前提になっているから芝居を見ていないと、面白くないだろうといわれた。
 そんなことから、芝居も観に行った。もちろん学生の身であるから、一番安い、いわゆる「大向う」での観劇だ。
 「大向うをうならせる」というように、「大向う」には、見巧者が集まる。「大向うから声がかかる」というように、「成田屋」などの屋号は「大向う」から掛かる。『再茲歌舞伎花轢』のように、大向こうからの「待ってました」の声がかからなければ、舞台が進行しないものもある。
 そんなに何度も通ったわけではないが、若いといいうこともあって、見巧者の方がいろいろと教えてくれた。
 「機関童子と「駱駝の葬禮」」に続けて「歌舞伎の「人形振り」と「若葉祭」の「隠れ太鼓」」の展開が出来たのも、当時覚えた芝居の知識が大きい。
 ここに「人形振り」とは、人形淨瑠璃を歌舞伎化した演目である丸本物(まるほんもの)(人形淨瑠璃の戯曲を歌舞伎用に改変し、歌舞伎狂言として上演したものをいう)において役者が人形の動きをまねて演じることをいい、「人形振り」で演じられる登場人物の背後には、必ず人形遣い役が役者の体を支えながらあたかも人形を動かしているかのように演出する。
 今日の人形淨瑠璃は三人使いで行われるが、「若葉祭」の「隠れ太鼓」は、三人使い以前の突っ込みというスタイルに近い。
 「歌舞伎の「人形振り」と「若葉祭」の「隠れ太鼓」」は、こうした点を丹念に説明し、「若葉祭」の「隠れ太鼓」どういった形の人形繰りなのかを明らかにした。
 話を戻せば、文吾が『駱駝の葬禮』を完成させるのは、「かんかんのう」の流行から大分遅れる。というより「かんかんのう」が流行したのは、文吾が生まれる以前だ。
 古典落語というものは、一人の噺家が創り上げたものばかりではない。
 落語には「三題噺」というものがある。「三題噺」は、初代三笑亭可樂(1777?~1833)が始めたといわれ、観客から「人物」「物」「場所」の三つのお題を頂戴し、即興で演じるものである。
『駱駝の葬禮』も、たとえば「唐人踊を演じる踊り手」「劍菱」(清酒の銘柄の一つで上方では弔事の際に振舞われた)「千日前」(現在は大阪を代表する繁華街の一つであるが、江戸時代には大規模な墓地であり、刑場、火葬場があった。酒の「冷)」と火葬場の「火屋」が『駱駝の葬禮』の「落(さげ)」になる)というお題を受けた噺家が即興で演じたものが、その原型かもしれない。
 客席から「和藤内」「張子の虎」「あみだ池」といった「お題」が出されたことも想像される。「首振り芝居」が隆盛を極める前の試行錯誤の中、寄席の「三題噺」やその「お題」からヒントを得た戯作者が、和藤内役の子供に唐子衣装を着せ、また虎役に「張子の虎」の首の動きを真似た「仕方舞」を思い付き、幕間などに行った可能性は十分にあり得る。こうした「仕方舞」が「若葉祭」の「隠れ太鼓」の動きに繋がったのかもしれない。

 なお先に挙げた『再茲歌舞伎花轢』は、江戸天下祭の一つ山王祭を舞台としたものだ。申酉の別名があるように、天下祭では、先頭を諫鼓鶏の山車、御幣を担いだ猿の山車と続いた。
 もう一つの天下祭・神田祭も「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王さま」も電信電話線條例や軌道條例が施行される前は、山車祭であった。
 『再茲歌舞伎花轢』は、その手棍前の衣装を始め、山車祭を考察する上で、参考になる演目だ。もちろん補遺三に反映させてある。

※補足(2020.2.19 8:40追加)

 「仕方」とは身振りや手真似をいい、身振りや手真似で表現する舞を仕方舞という。
 上述のように、「人形振り」とは、人形淨瑠璃を歌舞伎化した演目である丸本物(まるほんもの)(人形淨瑠璃の戯曲を歌舞伎用に改変し、歌舞伎狂言として上演したものをいう)において役者が人形の動きをまねて演じることをいい、「人形振り」で演じられる登場人物の背後には、必ず人形遣い役が役者の体を支えながらあたかも人形を動かしているかのように演出する。
 ただし、「人形振り」の中には、『柳絲引御攝』(作詞 篠田瑳助(?~1859)、作曲 五世杵屋彌十郎(1816~1878)、振付 五世西川扇藏(?~1860))のように、能狂言の演目である三番叟を松羽目の舞台で糸繰りの「人形振り」で演ずるものもある。加えて『柳絲引御攝』での翁と千歳は、ぜんまい仕掛けの「人形振り」で演じる。

※補足2(2020.2.19 20:00追加)
 新しくなってから行っていないが、歌舞伎等の知識は、御園座の地下2Fにあった演劇図書館で閲覧した資料に負うところも大きい。



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Posted by 柴田晴廣 at 07:29│Comments(0)牛窪考(増補版)
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